『 大谷サーン 14勝目 』
エンゼルスの 大谷翔平選手
苦しみながらも 14勝目を挙げた
常に比較される ベーブ・ルースの勝利数を超えたので
意義ある 勝利だった
200奪三振も達成し MVP獲得の期待も高まる
ただ ヤンキースの アーロン・ジャッジ選手の成績が凄すぎて
あの成績で MVPを獲得できないとすれば それも問題だ
やはり 大谷選手の成績は 別枠にすべきだと思ってしまう
☆☆☆
『 わが身ひとつの 』
月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねど
作者 大江千里
( 巻第四 秋歌上 No.193 )
つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ
わがみひとつの あきにはあらねど
* 歌意は、「 月を見ていると 様々なことが連想されて たいそう悲しいのだが なにも私一人のためにある 秋ではないのだが 」といった、比較的分かりやすい歌です。この和歌は、小倉百人一首にも入っていますので、私たちに馴染み深いものです。
* 作者の大江千里(オオエノチサト)は、平安時代初期の貴族であり、著名な歌人です。
官位は、正五位下・式部権大輔ですから、中下級の貴族ということになります。ただ、歌人としては、古今和歌集には10首、勅撰和歌集全部では25首が採録されていますので、一流の部類に入る歌人と言えます。
* こうした官位や、歌人としての実績の割りには、その生涯には靄がかかったような部分が感じられる人物でもあります。
まず、生没年ともに未詳のままです。残されている官歴から、883 年に備中国大掾に就いていることが記録されています。おそらく、七位か八位程度の官位だったのではないでしょうか。
897 年に従六位上、903 年に正六位下・兵部大丞に就いています。最終官位は正五位下ですから、その昇格は少し後のことになります。
これらから推定しますと、生年は820 年代前後、没年は905 年より後のことであったでしょう。かなり長命であったと推定できます。
* 千里の父は、参議・大江音人、生母は未詳です。
一説には、父を大江玉淵とするものがあるようですが、官歴などを参考にしますと、玉淵は兄、とする方が自然のようです。
そして、この大江音人という人が、歴史上大きなうねりを背負っている人物なのです。
* 音人の父は大枝本主、母は中臣石根娘です。
この石根娘は、平城天皇の第一皇子阿保内親王に仕えていましたが、阿保親王が 810 年に起った抗争事件(薬子の変)の為、父などに連座して、太宰府へ流罪となりました。この時、石根娘は懐妊していましたが、その状態のまま大枝本主のもとに嫁ぎました。つまり、音人の実父は阿保親王ということになり、在原業平らと兄弟ということになります。(異説もあり、この説は定説にはなっていないようです。)
* 大江氏は、この音人を始祖としています。大江氏の前身は、古代豪族の土師氏に遡ります。
桓武天皇の御代の 791 年に、土師諸上らに『大枝(オオエ)』の姓が与えられました。音人の祖父にあたる人物です。
そして、866 年に音人の手によって『大江』に改姓され、以後現代にまで伝えられています。
* 作者の大江千里は、こうした政情を背負って誕生したようです。千里が阿保親王の孫にあたるということについては異説もありますが、官位のわりには、皇室近辺の政変を受けやすい立場にあったように推定されるのです。大学寮で学んだ千里ですが、儒学者としての活躍や漢詩なども余り伝えられていないことは、千里の生涯は決して安易なものではなかったように考えてしまうのです。
その代わりというわけではないのでしょうが、現代の私たちに、美しい和歌を伝えてくれているのかも知れません。そう考えれば、千里の和歌が少し違って見えるような気もするのです。
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