『 まず足下から 』
統一地方選挙の後半戦が スタートした
99の市と区の首長と 315の市と区の議員選挙で
明後日の18日には 町村の首長及び議員選挙も告示され
いずれも 23日に投票が行われる
身近な行政を担って下さる人々を 選ぶ選挙なので
しっかりと 人物を見極めたいと思う
ただ 岸田首相の演説会場が 襲われた後だけに
投票する側の私たちも 正々堂々の選挙が行われるよう
それぞれの地域の対策が 問われることになる
首長も議員も住民も 足下を固める大切な選挙だと思う
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『 白露は玉なれや 』
秋の野に 置く白露は 玉なれや
つらぬきかくる 蜘蛛の糸すぢ
作者 文屋朝康
( 巻第四 秋歌上 NO.225 )
あきののに おくしらつゆは たまなれや
つらぬきかくる くものいとすぢ
* 歌意は、 「 秋の野に 置かれた白露は 玉なのだろうか その玉を 蜘蛛の糸が 貫いて草の葉にかけているよ 」といったもので、一つの光景を素直に詠んだものでしょう。
* 作者の文屋朝康(フンヤマアサヤス)は、平安時代初期の下級官人です。
生没年ともに未詳ですが、伝えられている官歴から、900 年を挟んだ時代を生きた人です。
朝康の父は、六歌仙の一人である文室康秀です。
「六歌仙」と言いますと、まるで歌人として最高峰に位置しているかに受け取りがちですが、少し違うと思われます。六歌仙と呼ばれるようになったのは、古今和歌集の仮名序の中で、紀貫之が「近き世にその名聞えたる人は」として挙げられている六人のことで、確かに歌の上手なのでしょうが、対象は紀貫之以前の人物に限られますし、選定も紀貫之の主観に過ぎないのです。
* 因みに六歌仙と呼ばれていますのは、僧正遍昭・在原業平・文室康秀・喜撰法師・小野小町・大伴黒主です。
そして、紀貫之は、文室康秀の歌風について、「詞はたくみにて、そのさま身におはず。いはば、商人のよき衣着たらむがごとし。」と記しています。あまり好意的な評価とは思えませんが、紀貫之の評価は全員に対して好意的とは思えないのです。どうも、紀貫之という人は、かなり自意識の強い人物だったのではないかと感じてしまいます。
* 少し横道にそれましたが、作者の朝康の官職は、892 年に駿河掾・902 年に大舎人大允・年代不詳の大膳少進で、最終官位は従六位下のようです。父の官位も、正六位上と伝えられていますから、共に貴族と呼ばれる地位に上ることはなかったようです。
* 古今和歌集に採録されている朝康の和歌は、掲題の一首のみです。勅撰和歌集には、後撰和歌集にも二首選ばれています。ただ、多くの歌会に参加しているなどから、評価不足のような気がしてなりません。
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