『 大谷サーン ぜひホームラン王を! 』
大谷翔平選手は ホームラン32本で 前半戦を終えた
60本超えが期待される ハイペースだが
まだまだ先は長い
三塁打も 奪三振も 等々 期待は尽きないが
ぜひとも ホームラン王のタイトルを 手にして欲しい
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『 声をほにあげて 』
秋風に 声をほにあげて くる舟は
天の門わたる 雁にぞありける
作者 藤原菅根朝臣
( 巻第四 秋歌上 NO.212 )
あきかぜを こえをほにあげて くるふねは
あまのとわたる かりにぞありける
* 歌意は、「 秋風の中を 艪を漕ぐ声を高々とあげて 来る船は 大空の門を渡っている 雁であったのだ 」といったものでしょう。
この歌は、歌会で詠まれたもののようですから、実景というより技巧的な作品と考えられます。
なお、「門(ト)」は、海が狭くなっているところを指します。また、雁が列をなして飛ぶ姿は、よく船にたとえられています。
* 作者の藤原菅根(フジワラノスガネ)は、平安時代初期の貴族・学者です。( 856 - 908 )行年五十三歳です。
父は、藤原南家の右兵衞督(従四位上)良尚。母は、菅野高年(従五位下因幡介)の娘です。公卿には一歩及ばない中級貴族の家柄と言えます。
* 884 年 文章生に補され、文官・学者の道に進みました。
* 892 年 敦仁親王の立太子に際して、菅原道真の推挙により春宮侍読となり、親王に論語等を講じました。
* 897 年 敦仁親王の即位(醍醐天皇)に伴い、従五位下を叙爵、昇殿も許されています。さらに、同年のうちに従五位上に昇っていますが、これには道真の推挙があったとも伝えられています。
* 899 年には文章博士となり、
* 900 年には、蔵人頭兼左近衛少将に就いています。菅根四十五歳のことでした。
* 当時、貴族政界において、藤原氏の台頭が目立ちつつありましたが、まだ、北家でなければという時代ではありませんでした。他の氏族もまだ相応の勢力は保っていて、菅根に取って菅原道真の支援は大きな力になっていたと考えられます。
ところが、901 年、菅原道真が失脚するという大事件(昌泰の変)が起きました。道真は、大宰権帥として九州に送られ、菅根も連座する形で、蔵人頭を解任され大宰少弐に左遷されていますが、その翌月には九州に赴くことなく許されて蔵人頭に復帰しています。
これは、おそらく醍醐天皇の信頼が厚かったからだと推定されますが、道真からは満座の場で頬を打たれるという恥辱を受けていたとされ、それほど親しくなかったという見方もあったようです。
* 復帰後は、これまで以上の昇進を果たし、908 年正月、従四位上ながら参議に任じられ、公卿に列しています。父を超える昇進でした。
しかし、同年10月7日に亡くなりましたが、死因は雷に打たれたものとされています。つまり、道真の祟りによるものだというのです。
* 菅根の最期は頓死とも言えるもののようですが、道真との微妙な関係の中、貴族としては満足な生涯だったのではないでしょうか。
ただ、歴史上の興味としては、道真との関係をもっと多方面の観点から勉強してみる価値がありそうです。
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