雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

大谷サーンがいっぱい

2023-07-12 18:24:32 | 日々これ好日

      『 大谷サーンがいっぱい 』

    米大リーグ オールスター戦
    テレビは あちらこちらで 大谷サーン 大谷サーン
    四球で出塁したあと 一塁手ばかりでなく
    二塁三塁と 塁を進めるごとに 相手選手とコミュニケーション
    きめ細かな報道ぶりに 感心していると
    早くも スーツなどの お値段までが報じられている
    いやはや まったく 大谷サーン大谷サーン状態だ

                     ☆☆☆ 

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定子皇后 崩御 ・ 望月の宴 ( 84 )

2023-07-12 08:00:25 | 望月の宴 ③

     『 定子皇后 崩御 ・ 望月の宴 ( 84 ) 』


皇后宮(定子)は、この月が産み月に当たらせられる。
御気分も勝れなくいらっしゃるので、清照法橋(セイショウホッキョウ・定子の母方の叔父らしい。)が常に参上して、御願立て(ゴガンタテ・安産の願掛け)をなさり、戒(戒律に従うことを誓い、加護を祈る。)をお受けになるなど、痛々しいまでに心打たれることが多かった。
また、御産にふさわしい白一色の御調度などを、帥殿(ソチドノ・定子の兄伊周)の方でお支度を急がれるが、「そうした品々は、いずれ宮中より届けて参るでしょう」ということであるが、こちらの方でも用意しないわけにはいかず、お支度をされる。
女房にも衣の数々を賜って御産の心準備をなさるが、宮御自身(定子)の御心は安まることはなく、これといった目的もなく御手習いをなさっては、あれこれと悲しいことばかりをお書き付けになる。

帥殿は都にご帰還なさった時からのご精進なので、法師と変わらぬ有様、勤行であるが、今は皇后宮の御産のことばかり口になさっている。
中納言殿(定子の弟隆家)も自邸には帰られず、ひたすらお側に伺候なさっている。
若宮(敦康親王)も姫宮(脩子内親王)も、御有様がたいそう可愛らしいので、何事につけ慰められて、それぞれの御方のご自分の命は明日どうなるのか分からぬとしても、皇后宮の御有様だけは何が何でもお健やかであらねばと、意を決しておられるにつけても、若宮さま方を掛け替えのない大切なものとしてお世話なさっているのも、まことにもっともなことと見受けられる。

こうしているうちに、十二月になった。
皇后宮は御気分が悪く思われて、今日か明日かと心待ちでいらっしゃったが、今年はたいそう慎むべき御年(二十五歳の厄年)にさえ当たっているので、どのようなことになるのかと、心配そうにご兄弟方が見守っていらっしゃると、皇后宮はたいそう苦しげでいらっしゃる。
然るべきお祓いや誦経などが絶え間なく行われる。特に効験あらたかな僧たちを呼び集めていて、一同声を張り上げ騒然たる有様である。

御物の怪を移されて人たちがたいそうやかましく騒いでいるうちに、長保二年十二月十五日の夜になった。
帝にも御様子が伝えられていたので、いかにいかにと御見舞いの使者がしきりに訪れる。
こうしているうちに、御子がお生まれになった。女子でいらっしゃったのが残念ではあるが、何はともあれ平安であったことが何よりであったと思い、今は後産(アトザン)の事が心配であった。
額をついて、騒がしく祈り立て、あれこれ御誦経の布施を出して使者を送られるが、御薬湯を差し上げてもお召し上がりになるご様子でないので、皆々なす術なくうろたえ惑うばかりでいたが、ずいぶん長い時間がたつので、ますますもって気掛かりなことであった。
「大殿油(オオトナブ・灯火)を近くに持って参れ」と言って、帥殿が御顔を拝されると、まるで生きていないかのようなご様子である。驚いて掻き探り奉ると、すでに冷たくなっていらっしゃったのである。

ああ、大変なことになったと呆然としているが、僧たちはうろうろとして、それでもなお御誦経を続け、部屋の内でも外でも額を強く打ち付けて声高に祈っているが、何の甲斐もなく、そのまま終ってしまったので、帥殿は御亡骸を抱き奉られて、声も惜しまずお泣きになる。
それも当然のことではあるが、、そういつまでも嘆いてばかりいられようかと、若宮(生まれたばかりの子)を抱いて他所にお移し申し上げて、御亡骸はお寝かせになられた。

「このところ、ほんとうに心細げなご様子であられたが、どうしたことかと心配申し上げていたが、まことにこのようなことにお成りになるとはお思い申し上げなかった。我が命の長いことは何と辛いことか」と、また「何とか御供してあの世に参りたい」などとばかり、中納言殿も帥殿もお泣きになる。
姫宮(脩子内親王)や若宮(敦康親王)なども、みな別の場所にお移し奉るにつけても(死穢を避けたもの)、忌まわしく情けないことである。
この殿方の配流があった折に、この御邸の人々の涙は尽き果てたのであるが、涙というものは、いつまでも尽きぬものであったのだと見えたのである。

     ☆   ☆   ☆


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