枕草子 第百二十九段 頭弁の職にまゐりたまひて
頭弁の、職にまゐりたまひて、物語などしたまひしに、夜いたう更けぬ。
「明日、御物忌なるに籠るべければ、丑になりなば、あしかりなむ」
とて、まゐりたまひぬ。
早朝、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、
「今日は、残り多かる心ちなむする。夜を徹して、昔物語もきこえて、明かさむとせしを、鶏の声にもよほされてなむ」
と、いみじう言多く書きたまへる、いとめでたし。御返りに、
「いと夜深くはべりける鶏の声は、孟嘗君のにや」
ときこえたれば、たちかへり、
「『孟嘗君の鶏は、函谷関をひらきて、三千の客、わづかに去れり』とあれども、これは、逢坂の関なり」
とあれば、
「夜をこめて鶏のそら音ははかるとも
世に逢坂の関はゆるさじ
心かしこき関守はべり」
ときこゆ。また、たちかへり、
「逢坂は人越えやすき関なれば
鶏鳴かぬにもあけて待つとか」
とありし文どもを、はじめのは、僧都の君、いみじう額をさへつきて、取りたまひてき。後々のは、御前に・・・。
(以下割愛)
頭弁(トウノベン・太政官の官命である弁官で蔵人頭を兼ねている人物。ここでは、藤原行成)殿が、職の御曹司に参上されて、お話などされているうちに、夜がたいそう更けてしまいました。
「明日は、天皇の御物忌なので殿上に籠る予定ですから、丑の刻(午前二時前後)になってしまうと、具合が悪いでしょう」
ということで、宮中に参内なされました。
翌朝、蔵人所の紙屋紙(カンヤガミ、カウヤガミ・官用の紙)を重ねて、
「今日は、語り足らないことが多い気持ちがします。一晩中、昔話も申し上げて、夜を明かそうとしたのですが、鶏の声に催促されましてね」
と、いろいろなことをたくさんお書きになっておられ、その筆跡がとてもすばらしいのです。ご返事に、
「たいそう夜深くなって鳴きました鶏は、孟嘗君(モウショウクン・中国戦国時代の斉の王族。鶏の鳴き声で函谷関を開かせたという故事を指している)のそれでしょうか」
と申し上げますと、折り返して、
「『孟嘗君の鶏は、函谷関を開かせて、三千人の食客をかろうじて逃れさせた』とありますが、これは、あなたと私との逢坂の関のことです」
とご返事がありましたので、
「『夜をこめて鶏のそら音ははかるとも
世に逢坂の関はゆるさじ』
しっかりとした関守がここにはおります」
と申し上げました。すると、また、折り返して、
「逢坂は人越えやすき関なれば
鶏鳴かぬにもあけて待つとか」
とご返事の手紙などを、最初のものは、僧都の君(中宮の弟、隆円)が三拝九拝してお取りになってしまいました。後々のものは中宮様に差し上げました・・・。
さて、「逢坂は」の歌は、その内容に閉口してしまい(この頃逢坂の関は名前ばかりで人の往来が自由だったことから「あなたは誰でも受け入れるのではないのですか」と行成がからかったもの)、返歌も詠めないままでした。全く困ったものですよ。
「ところで、あなたからの手紙は、殿上人たち皆が見てしまいましたよ」
と行成殿が仰いますので、
「『本当に愛して下さっているのだ』とその一言で分かりましたわ。よく出来た歌などは、口から口へと言い伝えられないのは、かいのないものですわ。反対に、みっともない歌が人目につくのは辛いことですから、あなたのお手紙は、一生懸命に隠して、人には絶対見せません。あなたと私の友情の程度を比べますと、見せる見せないの違いはありますが、同程度ですわね」
と申し上げますと、
「そのように、物事を分別して言われるのが、さすがに普通の人とは違うと感心させられます。『よく考えもしないで、軽はずみに人に見せた』などと、並みの女性のように言うのではないかと心配していたのですよ」
などと仰って、お笑いになられる。
「まさか、とんでもありません。お礼を申し上げたいくらいですわ」
などと、私は申しました。
「私の手紙をお隠しになられたことは、これも、一層しみじみと嬉しいことですよ。もし人目に触れたら、どれほど情けなく辛かったことでしょう。これからも、その分別を頼りに致しましょう」
などと仰られた後で、経房の中将がお出でになられて、
「頭弁が大層褒めておられたことは、知っていますか。先日の私への手紙の中で、この間のことを書いておられます。私の想い人が他人から褒められるのは、大変嬉しいものですよ」
などと、生真面目な顔で仰られるのも、可笑しい。
「嬉しいことが二つ重なりましたわ。あの方がお褒め下さったそうなうえに、あなたの想い人に加えられていたということとです」
と申し上げますと、
「そんなことをめったにないだなんて、まるで新しい経験のようにお喜びになられるのですなあ」
などと仰られる。
少納言さま、モテモテの章段です。
能書家として著名な行成との関係は、男女関係としてはともかくとても良い関係であったようです。
そして何よりも、この章段には「夜をこめて鶏のそら音は・・・」の和歌が紹介されています。百人一首にも採用されており、寡作な歌人である少納言さまの代表作ともいえる作品といえるでしょう。
その意味からも、この章段は枕草子全体の中でも重要な地位を占めていると思います。
頭弁の、職にまゐりたまひて、物語などしたまひしに、夜いたう更けぬ。
「明日、御物忌なるに籠るべければ、丑になりなば、あしかりなむ」
とて、まゐりたまひぬ。
早朝、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、
「今日は、残り多かる心ちなむする。夜を徹して、昔物語もきこえて、明かさむとせしを、鶏の声にもよほされてなむ」
と、いみじう言多く書きたまへる、いとめでたし。御返りに、
「いと夜深くはべりける鶏の声は、孟嘗君のにや」
ときこえたれば、たちかへり、
「『孟嘗君の鶏は、函谷関をひらきて、三千の客、わづかに去れり』とあれども、これは、逢坂の関なり」
とあれば、
「夜をこめて鶏のそら音ははかるとも
世に逢坂の関はゆるさじ
心かしこき関守はべり」
ときこゆ。また、たちかへり、
「逢坂は人越えやすき関なれば
鶏鳴かぬにもあけて待つとか」
とありし文どもを、はじめのは、僧都の君、いみじう額をさへつきて、取りたまひてき。後々のは、御前に・・・。
(以下割愛)
頭弁(トウノベン・太政官の官命である弁官で蔵人頭を兼ねている人物。ここでは、藤原行成)殿が、職の御曹司に参上されて、お話などされているうちに、夜がたいそう更けてしまいました。
「明日は、天皇の御物忌なので殿上に籠る予定ですから、丑の刻(午前二時前後)になってしまうと、具合が悪いでしょう」
ということで、宮中に参内なされました。
翌朝、蔵人所の紙屋紙(カンヤガミ、カウヤガミ・官用の紙)を重ねて、
「今日は、語り足らないことが多い気持ちがします。一晩中、昔話も申し上げて、夜を明かそうとしたのですが、鶏の声に催促されましてね」
と、いろいろなことをたくさんお書きになっておられ、その筆跡がとてもすばらしいのです。ご返事に、
「たいそう夜深くなって鳴きました鶏は、孟嘗君(モウショウクン・中国戦国時代の斉の王族。鶏の鳴き声で函谷関を開かせたという故事を指している)のそれでしょうか」
と申し上げますと、折り返して、
「『孟嘗君の鶏は、函谷関を開かせて、三千人の食客をかろうじて逃れさせた』とありますが、これは、あなたと私との逢坂の関のことです」
とご返事がありましたので、
「『夜をこめて鶏のそら音ははかるとも
世に逢坂の関はゆるさじ』
しっかりとした関守がここにはおります」
と申し上げました。すると、また、折り返して、
「逢坂は人越えやすき関なれば
鶏鳴かぬにもあけて待つとか」
とご返事の手紙などを、最初のものは、僧都の君(中宮の弟、隆円)が三拝九拝してお取りになってしまいました。後々のものは中宮様に差し上げました・・・。
さて、「逢坂は」の歌は、その内容に閉口してしまい(この頃逢坂の関は名前ばかりで人の往来が自由だったことから「あなたは誰でも受け入れるのではないのですか」と行成がからかったもの)、返歌も詠めないままでした。全く困ったものですよ。
「ところで、あなたからの手紙は、殿上人たち皆が見てしまいましたよ」
と行成殿が仰いますので、
「『本当に愛して下さっているのだ』とその一言で分かりましたわ。よく出来た歌などは、口から口へと言い伝えられないのは、かいのないものですわ。反対に、みっともない歌が人目につくのは辛いことですから、あなたのお手紙は、一生懸命に隠して、人には絶対見せません。あなたと私の友情の程度を比べますと、見せる見せないの違いはありますが、同程度ですわね」
と申し上げますと、
「そのように、物事を分別して言われるのが、さすがに普通の人とは違うと感心させられます。『よく考えもしないで、軽はずみに人に見せた』などと、並みの女性のように言うのではないかと心配していたのですよ」
などと仰って、お笑いになられる。
「まさか、とんでもありません。お礼を申し上げたいくらいですわ」
などと、私は申しました。
「私の手紙をお隠しになられたことは、これも、一層しみじみと嬉しいことですよ。もし人目に触れたら、どれほど情けなく辛かったことでしょう。これからも、その分別を頼りに致しましょう」
などと仰られた後で、経房の中将がお出でになられて、
「頭弁が大層褒めておられたことは、知っていますか。先日の私への手紙の中で、この間のことを書いておられます。私の想い人が他人から褒められるのは、大変嬉しいものですよ」
などと、生真面目な顔で仰られるのも、可笑しい。
「嬉しいことが二つ重なりましたわ。あの方がお褒め下さったそうなうえに、あなたの想い人に加えられていたということとです」
と申し上げますと、
「そんなことをめったにないだなんて、まるで新しい経験のようにお喜びになられるのですなあ」
などと仰られる。
少納言さま、モテモテの章段です。
能書家として著名な行成との関係は、男女関係としてはともかくとても良い関係であったようです。
そして何よりも、この章段には「夜をこめて鶏のそら音は・・・」の和歌が紹介されています。百人一首にも採用されており、寡作な歌人である少納言さまの代表作ともいえる作品といえるでしょう。
その意味からも、この章段は枕草子全体の中でも重要な地位を占めていると思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます