雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

関白殿二月廿一日に・その2

2014-05-18 11:10:44 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
(その1からの続き)

さて、八日、九日の頃、私が里に下がるのを、中宮さまは、
「もう少し、当日近くになってからにしてはどうか」
と、仰せになられましたが、私は退出してしまいました。
たいそう、いつもよりのどかな日差しが差している昼ごろ、中宮さまから
「『花の心開け』ていないのか。どうなのか、どうなのか」
(白楽天の詩の中から「花心開、思君春日遅」の部分を引用して、「春もたけなわだから、私のことを恋しく思い出さないのか」と呼び掛けたもの)
との仰せ言がありましたので、
「『秋』は、まだ早うございますが、『夜に九度のぼる』気持ちが、しております」
(同じ詩の一部、「思君秋夜長、一夜魂九升」を引用して、「秋にはまだ早いですが、魂は毎夜九度お側に参っております」と答えたもの)
と、ご返事申し上げてもらいました。

中宮さまが内裏から二条の宮にお出になられました夜のことですが、車に乗る順序も決まっておらず、「われが先に、われが先に」と、女房たちが乗るために騒いでいるのが不愉快なので、私は気の合いそうな人と、
「どうも、この車に乗るありさまは、とても騒がしくて、祭りの還りの見物などのように、押し倒されそうなほどあわてふためくさまは、とても見苦しいわ」
「まあ、いいじゃないですか。乗れる車が見つからなくて、御前に上がれなければ、自然にお耳に達して、車を寄こして下さるでしょう」
などと、話し合って、私たちが立っている前を、他の人たちは押し合いながらあたふたと出て来て、その人たちが乗り終わったので、車の世話をしている役人が、
「これでおしまいですか」
と言うので、誰かが
「まだです。ここにいますよ」
と答えるので、役人は寄って来て、
「誰々がおいでですか」
と問いただして、
「どうも妙なことですねえ。『もう、皆様全員がお乗りになった』とばかり、思っていましたよ。あなた方は、どうして乗り遅れてしまったんです。あとは、得選(女官の中から特別に選ばれた者)を乗せようとしてたんですよ。呆れたもんですねえ」
などと、驚きながら、車を寄せさせるので、

「それでは、お先にどうぞ、あなたが乗せようと思っていらっしゃった人たちをお乗せ下さい。私たちはその後で結構」
と私たちが言うのを聞いて、
「とんでもない意地悪だったんですなあ」
などと言うので、仕方なく乗りました。その後に続くのは、いったとおり御厨子所の得選の車だったものですから、松明も全く暗い(女房たちに比べ警護が付いていないため)のを笑いながら、二条の宮に参着しました。

中宮さまの御輿は、とっくにお入りになっていて、御座所を整えて座にお着きになっておられました。
「少納言をここへ呼びなさい」
と仰せになられましたので、
「どこかしら」
「どこかしら」
と、右京、小左京などといった若い女房たちが待ち構えていて、車が到着するたびに見るのだか、いなかったらしい。
女房たちは車から降りた順に、四人ずつ、御前に参上して伺候するのに、
「変ねえ。いないのか。どういうわけか」
と、中宮さまが仰せになっていられることも知らず、女房たちがすっかり下りてしまってから、やっと私たちが見つけられて、
「あれほどお呼びになっておられるのに、こんなに遅く来るなんて」
と言って、引きたてられるようにして参上しますと、あたりは、「いつの間に、これほど長年の御住いのように、しっくりとおさまっていらっしゃるのか」と、感心しました。

「どういうわけで、これほど、『死んでしまったのか』と探させるほど、姿を見せなかったのか」
と仰せられますのに、新参間もない私は弁解も出来ないでいますと、一緒に車に乗っていた女房が、
「どうしようもなかったのでございます。一番あとの車に乗りました者が、どうして早く参上することが出来ましょう。これでも、得選たちが気の毒がって、車を譲って下さったのです。途中の暗かったのが、心細いことでございました」
と、情けなそうに申し上げますと、
「世話する役人が、ほんに気がきかぬようだ。それにしても、どうしてか。要領が分からない少納言なんかは遠慮もしよう。右衛門などは、役人を叱ればよいのに」
と仰せになられる。右衛門(出自未詳。古参の女房らしく、若干癖のある人物らしい)は、
「しかし、まさか人を押しのけて、走り出すわけにはまいりません」
などと言う。側にいる女房たちは、「憎らしい」と思って聞いていることでしょう。
「みっともないことをして、身分違いの先の車に乗ったって、偉いというわけでもあるまい。決められた通りに、優雅にふるまうのが、いいのであろう」
と仰せながらも、ご不興のご様子である。
「後の車に乗りますと、先がつかえて、下りますまでが待ち遠しく辛いからでございましょう」
と、右衛門はとりなし顔に申し上げる。

「一切経供養のために、明日法興院へ行啓なさるだろう」ということなので、私は、その前夜に参上しました。
南の院の北面に顔を出しますと、幾つもの高杯に火をともして、二人、三人、三・四人と、親しい女房同士集まって、屏風を立てて仕切りにしているものもあり、几帳なんかを仕切りにしたりしている。また、そうではなくて、多勢集まって、何枚かの衣装を綴じ重ね(着崩れしないように仮に縫い付けるらしい)、裳に飾りの腰ひもを刺し、化粧をする様子は、いまさら言うまでもないが、髪などとなれば、明日から先はないかのように、懸命に手入れをしています。
「寅の時(午前四時頃)にね、行啓なさるご予定らしいのよ。どうして、今まで参上なさらなかったの。使いの者に扇を持たせて、あなたをお探ししている人があったわ」
と、ある女房が私に告げました。

そういうことで、「本当に寅の時か」と思って、急いで身支度を整えて待っているのに、夜が明け果てて、日も出てしまいました。
「西の対の唐廂に車を寄せて、乗る予定だ」
というので、渡殿へ、女房たち全員が行くときに、私みたいなまだ不慣れな新参者たちは、いかにも遠慮がちな様子であるが、西の対には関白殿がお住いになっているので、中宮さまもそこにおいでになり、「まず、女房たちを関白殿が車にお乗せになられるのを御覧になられる」というので、御簾のうちに、中宮さま、淑景舎、三の君、四の君、関白夫人、その御妹三所(関白夫人の妹三人と思われるが、諸説あり)、ずらっと並んで立っておられる。

私たちが乗る車の左右には、大納言殿(伊周)、三位中将(伊周の同母弟、隆家)、二人して、簾をはね上げて、下の簾を左右にかき分けて、女房たちをお乗せになる。せめて一緒にかたまって乗るのであれば、少しは人陰に隠れることも出来ますが、四人ずつ、名簿の順に従って、「次は誰」「次は誰」と名を呼びあげて、お乗せ下さいますので、まことに思いがけなく、「晴れがましい」といった表現で及ぶものではありません。

御簾の内側で、多勢の方々の御目の中でも、中宮さまが、「見苦しい」とご覧になることくらい、それ以上に辛いことなどありません。冷や汗がふき出すので、精一杯整えた髪なども、「すっかり逆立っているのではないか」と感じてしまいます。
ようやく皆様方の前を通り過ぎたところ、車の側に、君達お二人が、凛々しくも美しい御姿をそろえて、微笑んでこちらを見ておられるのも、現実のこととは思えないほどです。
しかし、倒れもせず、車の所まで行き着いたのは、一体自分は、しっかり者なのか、図々しいのか、判断に迷ってしまいます。

全員が乗り終わったので、車を御門から引き出して、二条の大路に車を駐車させて、見物の車のようにして並べたのは、なかなかいいものでした。「まわりの人も、そう見ているに違いない」と、胸がはずみます。
中宮職や関白家の家司など、四位や五位や六位などの人たちが、たいへん多勢出入りして、私たちの車のもとに来て、車を整えたり、話しかけたりする中に、明順の朝臣(関白夫人の兄で、中宮大進であったので晴れの舞台であった)の心境は、鼻は高々で、胸をそっくりかえしている。

まず最初に、女院の御迎えに、関白殿をはじめとして、殿上人や地下人なども、みな参上しました。
「女院がこちらにお越しになってから、中宮さまはご出門される予定です」ということなので、「とても、待ち遠しい」と思っているうちに、日も高くなって、やっとお越しになる。
女院の御車を含めて十五台、そのうち四つは尼の車で、先頭の御車は唐車(屋根が唐風の高大な車で、儀式用の最高級車)であります。それに続くのは、尼の車。車の後先の簾から、水晶の数珠、薄墨色の裳や袈裟や衣が出ていて、尼の車らしく目立つが、簾は上げていない。下簾も、薄紫色で裾が少し濃くなっている。
次に、女房の車が十台。桜襲の唐衣、薄紫色の裳、濃い紅の衣、香染め、薄紫色の表着など、たいそう優美です。
日は、とてもうららかですが、空は青く霞みわたっているところに、女院の女房たちの装束が、色美しく映え合って、立派な織物やいろいろな色の唐衣などよりも、優美で結構なことは、この上ありません。

関白殿や、それ以下の殿方たちで、そこにおいでの方々全てが、お世話をしてこちらへお供申し上げている様子は、たいへんすばらしい。私たちは、この女院の行列をまず拝見して、ほめそやし大騒ぎです。
こちらの私たち中宮さまお付きの女房車が、二十台並んで停車しているのも、女院方の人たちも、同じように「結構なものだ」と見ていることでしょう。
「早く中宮さまがお出ましになればいいのに」と、お待ち申しあげているうちに、随分時間が経つ。
「どうなっているのだろう」と、落ち着かない気持ちでいると、やっとのことで、采女八人を馬に乗せて、御門の外へ引いて出る。青裾濃の裳、裙帯(クタイ・女官の正装の時、裳の左右に長く垂らした紐)、領巾(ヒレ・襟から肩にかけた細長い白布)などが、風に吹き流されているのが、とても風情があります。
豊前という采女は、典薬頭重雅が親しくしている女だったのです。葡萄染めの織物の指貫を着ているので、
「重雅は、禁色(キンジキ)を許されたらしい」(豊前は乗馬するため男装のような姿をしており、葡萄染めは、禁色の紫に似ているため、豊前を重雅に見立ててからかったもの)
などと、山の井の大納言殿(中宮の異母兄)がお笑いになられる。

全員が乗車を終えて、いよいよ、中宮さまの御輿がお出ましになられる。先ほどの「すばらしい」と、拝見いたしました女院のご様子とは、これはもう、比べようもないすばらしさでございました。
朝日が、華やかにさし上るころに、葱の花(ナギノハナ・御輿の屋根につけた金色の擬宝珠飾り)がたいへんくっきりと輝いて御輿の帷子(カタビラ)の色艶などの美しさも格別です。御綱を張って(揺れを防ぐため四方に綱が張られている)お出ましになられる。御輿の帷子がゆらゆらと揺れている様子は、まことに、「頭の毛も立ち上がる」(極度の緊張の表現)などと、人が言うのも、決して嘘ではありません。そんなことがあった後では、髪のくせの悪い人は困ってしまうことでしょう。
驚きやら、ご立派であられるやら、それにしても、「どうして、これほど尊い御前に親しくお仕えしているのか」と、自分までが偉くなったみたいに、思ってしまいます。
御輿が私たちの前をお通りになる時、私たちの車の轅(ナガエ・車体を牛につなぐ棒)を下していたのを(車ごと低頭させて敬意を表す)、いっせいに、それぞれの牛にどんどんかけて、御輿の後について動き出した時の気持ちは、すばらしく楽しいことときたら、言い表しようがありません。


(以下その3に続く)








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