雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ランプの出湯   第九回

2010-05-18 17:19:00 | ランプの出湯
        ( 4 - 2 )

その事件は、五年ほど前の夏に起こった。

ここからそれほど離れていない町で殺人事件が発生した。雑貨店を営んでいた六十歳の女性が殺害されたのである。
一人暮らしだった女性は夜中に侵入してきた犯人に襲われたらしく、寝ているところを絞殺され売上金などが奪われていた。
犯人に繋がる遺留物は発見されず、指紋なども検出されなかった。日頃平和な町だけに大騒ぎとなったが、いわゆる流しの犯行説も浮上し事件解決は困難が予想された。

捜査が大きく動いたのは、交通事故で調べられていた若者の供述からであった。
追突事故を起こし警察の捜査を受けた乗用車に、乱雑に積み込まれている品物に不審を抱いた警察官が、乗っていた二人の若者を追及したところ、盗んだものであることを白状したのである。そうなると、当然の流れとして数日前に発生した殺人事件との関連が取り調べられた。
その結果、有力な容疑者が浮かんできた。それが、彼の息子だったのである。

窃盗容疑で逮捕された若者たちの供述によると、あの夜、殺された女性の店に盗みに入る予定だったというのである。そのメンバーが、彼の息子を含めた三人で押し入る予定だったが、二人が約束の場所に行くことができなかったと供述した。
三人は、高校生の頃の悪ガキ仲間で、いつもは彼の息子とはあまり接触はなかったが、たまたま出会い三人での犯行計画が浮かんだのだという。

逮捕された二人はいつも行動を共にしていて、事件当日も隣町のパチンコ店で遊んでいたが、そこで土地の不良グループとトラブルを起こしていた。二人がいつも使っている車は、そのうちの一人の父が所有している高級車で、当時はまだ普通の若者が車など持てない時代なので、そのことから因縁をつけられたようである。

騒ぎは警察官が駆けつけるまでになり、二人は夜遅くまで警察署に留め置かれることになってしまった。そのため、彼の息子との待ち合わせ場所へは行けなくなり犯行は実行できなかった。
翌日になって、押し入る予定の場所で殺人事件が起こっていたことを知った二人は、彼の息子が単独で押し入り、騒がれたため殺してしまったのだと考えていた。ただ、自分たちも脛に傷持つ身であるだけに、警察に届けるわけにもいかず思い迷っていたようである。

こうして彼の息子が有力容疑者として浮上したが、すでに行方が分からなくなっていた。事件発生の日の午後に、旅行に行くとメモを残して家を出て行っていたからである。
彼の息子が家に帰らないのは、これまでも珍しいことではなかった。専門学校に在籍していたがほとんど出席しておらず、アルバイトのようなことはしていたが、少し金ができるとぶらりとどこかへ行ってしまうのはいつものことであった。

このため、息子が家に帰らない状態になっても彼も彼の妻もそれほど心配をしていなかったが、そのことが容疑者として決定的ともいえる状態を示すことになってしまった。高校二年の頃から不良グループとの付き合いがあり、これまでに二度警察に補導されていたことも容疑を深めることに働いていた。
その後の捜査からは、新しい情報や手がかりは発見されず、警察は彼の息子の犯行との容疑を深め行方を追ったが、見つけだすことはできなかった。

状況は彼の息子が極めて不利な立場だったが、犯人と断定できない事情もあった。
第一には、指紋をはじめとする物的な証拠が何もないことである。さらに、彼の息子を犯人にするには不自然なこともあった。
雑貨店の女性経営者は、布団の中で殺されていた。店舗の奥にある寝室で眠っているところを殺されたらしく、争った形跡がなかった。店舗のレジや引き出しは荒らされていたが、寝室は荒らされた様子がなく、現金や預金通帳なども残されていた。

被害者が一人暮らしのため、どの程度の被害があったのかはっきりしないが、おそらく売上金などの一部程度で、盗みは偽装という可能性も強かった。窃盗容疑で逮捕された二人の供述からは、彼らが目論んでいたものは「コソ泥」程度のことで、わざわざ寝ている者を殺すというのとは結び付かなかった。

それともう一つ、彼の息子は、犯行翌日の昼前にこの宿に立ち寄っていた。以前から面識のある宿の主人に昼食を食べさせてもらうためで、さらに弁当も作ってもらって出ていったのである。
もし彼が殺人を犯しているのであるなら、半日も過ぎた頃にこの辺りでうろうろしているのも不自然なことであった。
警察はこれらのことから彼の息子を犯人と断定することもできなかったのである。

事件は解決の目処がたたないまま膠着した。
彼の息子の行方は分からないままであった。これまでにも、ぶらりと家を出ていくことは珍しくなかったが、一週間以上帰ってこないことは一度もなかった。彼や彼の家族の心配は募っていったが、ひと月を過ぎても息子からは何の連絡もなかった。

そして、彼の家族に更なる不幸が襲いかかってきた。
正式には、警察が彼の息子を犯人と決め付けたわけではなく、当然発表もされていなかったが、多くの報道機関が彼の息子や家族のことを公然と報道した。もちろん実名は伏せられていたが、彼の町内や関係先などでは、誰のことを伝えているのか十分に分かるものだ。

まず、高校生と中学生の二人の娘が学校へ行けなくなった。石を投げ込まれて窓ガラスが割れたり、塀に犯人と決めつけるような落書きをされることなどが頻発した。
脅しや嫌がらせの電話や、無言電話が後を絶たなかった。

一家は、世間の圧力に潰されていった。
教育者や文化人といわれるような人たちが、新聞やテレビ番組などで事件についての自説を堂々と披露したりしていた。それらの立派な意見は、彼の家族たちを地域社会から葬り去るために、結果として役立った。そして、その力は、おそらく裁判の判決よりも厳しいものとなった。

彼は離婚を決意し、妻と二人の娘は転居した。それも、三度、四度と住居を変えた。一度目はマスコミに住居を見つけられ追いかけられたからである。
離婚の目的は娘たちに妻の旧姓を名乗らせるためであり、転居を重ねた目的は、地域社会と絶縁し都会の片隅に埋もれるためであった。

彼は一人残り、息子の帰りを待ち続けた。
彼は息子の無実を信じていたが、万が一にも息子が事件に関係していたとしても、むしろ、そうであるならなおさらのこと自分が息子を受け止めて守らなければならないと考えていた。それが、そのような状態に追い込んでしまった息子に対して、父として果たせる息子への謝罪だと考えていた。

幸い会社では、閑職に移されたが引き続き勤務できていたので、休日などを利用してわずかなうわさを頼りに息子の行方を捜したが、新たな足跡さえ見つけることができなかった。
一年を過ぎた頃から、彼は毎月のようにTS温泉を訪れ、T山に登るようになった。そこが、息子の姿が最後に確認された場所だったからである。
彼の家族は、息子がまだ小学校の頃から何度かT山に登っており、息子は大きくなってからは一人でも何度か登っていて、山の状況はよく知っているはずであった。

事件の直後に、警察で山狩りのようなことも行われたが、息子がT山の登山道に向かったという後の足跡は全く掴めることができず、事件の解決も息子の行方も何の進展も見ないまま月日が過ぎていた。

「あの人がのう・・・」

宿の主人の母親は、長い話の結末を、厳しかった表情を緩めて私に語った。

それによれば、彼が毎月のようにこの宿に泊まりに来るのは、何か月かに一度は息子に会えるようになったからなのだというのである。
私は、それは生きている息子に会えているということなのかどうかを確認したかったのだが、宿の母親は、そんなことはどうでもいいことだと言わんばかりに、静かに首を振り、話を終えた。

   **

翌朝十時過ぎに宿を出た。徒歩でS湖に向かい、そこからバスで帰路に着く予定であった。
私が大きなリュックサックを背負った男を見た辺りは、深い緑に包まれていた。深い緑の下には山仕事のための小道が縦横に走っているのだろうが、登山道や峠越えの道のある方向ではなかった。
そして、何故かそのことが私に安堵感のようなものを与えていた。

私はリュックサックを背負い直した。
ずいぶん長い間見ていなかったような気がする抜けるような青空と、登ることができなかったT山の稜線とが描く、きらきらと輝いて見える曲線を何度も目で追ってから、私は歩き始めた。
                                      ( 終 ) 



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