雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ランプの出湯   第四回

2010-05-18 18:22:45 | ランプの出湯
          ( 2 - 2 )

私の選択は正しかったようだ。
バスの発車時間を待っている間に空全体が真っ暗になり、雨脚は激しいものになっていった。
湖岸のハウスの中は、バス待ちと雨宿りが目的の客であふれそうになっていった。最寄りの国鉄の駅に向かうバスが到着すると、ハウスの中の人波は大きく動き大勢の人が出ていったが、すぐにまた元通りの満員状態に戻った。

当時のことで、豪華なバスはこの辺りには走っていなかったが、私の乗るバスはひときわ古ぼけたものであった。
私がそのバスに乗り込んだのは発車時刻の五分ばかり前であったが、乗客は私以外にいなかった。

「今夜は、TS温泉に泊まるんかの?」
「はい、その予定です」

「この雨じゃあ、大変じゃのお」
「すごく降ってきましたね。あしたも駄目ですかね?」

「うーん。大分降るらしいよ。あしたはT山かい?」
「はい。T山に登って、あしたの晩もTS温泉に泊まる予定なんです」

「そうかい。でも、あしたの午前中は駄目なんじゃないかな。あの山は難しい山ではないが、天候の悪いときは無理しない方がいいよ」
「ありがとうございます。注意します」

「やっぱり、悪天候の山は恐いからね・・・。さあ、行きますか」

バスは動きだした。乗客は私一人のままであった。まだ夕方の五時だったが、真っ暗な道は雨にさえぎられ、車のライトが先に通らないほどである。
たった一人の乗客である私に、運転手は気さくに話し掛けてくれた。もっとも、運転手の言葉遣いがどのようなものだったのかはっきり思い出せないので正確なものではないと思う。

「この調子だと、今夜の泊り客はあんた一人かもしれないよ」
運転手は斜め後ろに座っている私に話し続けた。

バスは山あいの道を走っていた。両側から雑木がせまり道幅はバス一台が走るのがやっとのように見える。激しい雨に煙る暗い道の視界は悪く、ヘッドライトの明かりも心細くすぐ前方を照らし出しているにすぎない。前方から車が来れば非常に危険だし、樹木の小枝はひっきりなしにバスの屋根や窓に接触していた。

しかし運転手は、私の不安などまるで気がつかないらしく、斜め後方の私と視線を合わせるほど振り向いて話を続けていた。

「この雨だから、このバス以外であそこへ行く人はいないと思うよ」
「そうかもしれませんねぇ・・・。あの旅館には、まだ電気はきていないのですか?」
私は前方を気にしながら尋ねた。

「いや、大丈夫だよ。テレビはないけれど、電気はついてから二年程になるよ」
電気はきているんだ、と私はつぶやいた。

今回の旅行の目的は、この温泉に泊まることであった。T山に登るのも目的の一つではあるが、それはTS温泉に宿泊することから出てきた付随的な目的なのだ。あくまでも今回の旅行の主目的はTS温泉に泊まることだったのである。

私がこの温泉のことを知ったのは旅行案内書からである。ひなびた温泉郷の特集の中で、まだ電気もない「ランプの出湯」として紹介されているのが目にとまったのである。
人気の高い観光地からごく近い場所にあることから秘境というほどのことはないとしても、いまだに電気がないということはそれだけでも私には十分魅力的であった。

しかし、すでに電気が引かれているとなれば話が違う。「ランプの出湯」がどこかへ行ってしまったことになるからである。
昨日の列車の中でも友人とこの温泉のことが話題になり、「ランプの出湯」の魅力を散々蘊蓄を述べまくっていたのである。これは格好がつかなくなったなと、変なことが気になっていた。

バスは三十分ほど走り終点に着いた。停留所は少し離れていたが、バスは旅館に横付けされた。私は運転手に礼を述べ下車した。
私と入れ違いに十人程の人がバスに乗り込んだ。ここから湖の方に戻る最終便になるのである。

その旅館は、見るからに質素な建物であった。外観は昔の木造の小学校の建物を小さくしたような感じで、旅館というよりは宿屋という方が似合っていたし、内部の作りは山小屋に近かった。

その宿の主人は、四十代半ばに見える男であった。ぶっきらぼうに入浴や食事について説明し、部屋の番号を教えてくれた。
一階は土間の部分が広く、上履きに履きかえる場所があり、そこから上がった所が食堂になっていた。食堂の一角がフロントのようになっていて、その奥が宿の主人たちの住居のようであった。

宿泊用の部屋は二階にあった。部屋数は六つくらいだったと記憶しているが、私は端から二番目の部屋であった。
部屋は八畳の日本間で、畳の色は変色していたが一人には十分すぎる広さだった。おそらく、四人くらいまでは泊める部屋だと思われた。天井は低く、私は大丈夫だったが、背が高い人だと届いてしまうほどに感じられた。
そして、部屋の真ん中あたりに、私に見せつけるかのように裸電球がぶら下がっていた。

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