宝玉を盗む ・ 今昔物語 ( 4 - 17 )
今は昔、
天竺の僧迦羅国(ソウガラコク・現在のスリランカ)に一つの小さな寺院があった。その寺に等身の仏(仏像)がおわします。
この寺は、この国の前の国王の御立願によって建立したものである。仏の御頭には、眉間に宝玉を入れている。この宝玉は、世に並ぶものとてない宝である。その価格は計り知れない。
ある時のこと、貧しい男がいたが、「この仏像の眉間の玉はすばらしい宝物だ。もし自分があの宝玉を盗んで、欲しい人に売れば、子々孫々まで家は栄え、豊かで貧しい思いなどすることがないだろう」と思った。
ところが、この寺に夜中に忍び込むとすると、東西の門は閉じられていて、その門番に油断がなく、出入りする人には姓名を確認し、行き先を確かめるので、まったく手の打ちようがない。そうとはいえ、工夫を凝らして、門戸の下の部分を穴をあけて打ち壊して、密かに忍び込んだ。そして、仏像に近寄って御頭の宝玉を取ろうとしたところ、この仏像は、次第に背が高くなっていって手が届かない。盗人は高い踏み台に乗って取ろうとしたが、仏像はますます高くなり、とても届かない。
そこで盗人は、「この仏像はもともと等身の姿であった。それが、このように高くなったのは宝玉を惜しんでのことだ」と思って、踏み台から下りて、合掌頂礼(ガッショウチョウライ・両手を胸の前で合わせ、地にぬかずいて礼拝すること。)して仏に申し上げた。「仏がこの世に現れて、菩薩道を行ってくださいますのは、我ら衆生の苦しみをお救い下さるためでしょう。伝え聞けば、人を救うためには、自身は贅沢をすることなく、命さえお捨てになられる。世間で言われているように、一羽の鳩のために身を棄て(尸毘王が鳩を助けるために我が身の肉を鷹に与えた、と言う故事。)、七頭の虎に命を与え(飢えた母虎と七頭の子虎に我が身を与えた、という薩埵王子の故事。)、眼をえぐり婆羅門に施し(快目王が盲目の婆羅門に両眼を与えたという故事。)、血を出して婆羅門に飲ました(幾つも故事があるらしい。)、等ととても考えられないような施しをなさいました。ましてや、この宝玉を惜しまれるようなことはございませんでしょう。貧しい者を救い、下賤の者を助けられるということは、まさにこの宝玉を与えられることでございます。簡単なことでは仏の眉間の宝玉を取り下ろすことは出来ません。宝玉を得られなければ、心ならずも生きながらえて、世間を恨み嘆いて数限りない罪を犯すことでしょう。どうして高くおなりなって、頭の宝玉を惜しまれるのですか。とても裏切られた気持ちです」と泣きながら申し上げると、高くなっていた仏像は、心持ち頭を垂れて盗人が届くばかりになった。
そこで盗人は、「仏は、私の申し上げることをお聞きとどけになって、宝玉を取れと思われたのだ」と思って、近寄って眉間の宝玉を取り出した。
夜が明けると、寺の比丘(僧)たちはこれを見て、「仏の眉間の宝玉は、どうして無くなったのだ。盗人が取ってしまったのか」と思って捜し回ったが、誰が盗んだのか分からない。
その後、盗人が、この宝玉を市に出して売ろうとしたところ、この宝玉を見知っていた人がいて、「この宝玉は、どこそこの寺におわします仏像の眉間の宝玉で、最近なくなったものだ」と言って、この宝玉を売ろうとしていた者を捕らえて、国王に突き出した。尋問されると盗人は、隠すことなくありのままを白状した。
しかし国王は、この事を信用なさらず、その寺に使者を遣わして確認させた。使者がその寺に行って見てみたところ、仏像は、頭を垂れて立っておられた。使者は帰ってこの旨を申し上げた。
国王は報告を聞いて、心から感動して、盗人を呼び、言い値のままに宝玉を買い取り、もとの寺の仏像に返し奉り、盗人を赦した。
真心をこめて祈念した時の仏の慈悲は、盗人をも哀れに思われるものである。その仏像は、今に至るまでうなだれて立っておられる、
となむ語り伝へたるとや。
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