雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

画竜点睛 ・ 小さな小さな物語 ( 1791 )

2024-08-31 08:36:13 | 小さな小さな物語 第三十部

パリ五輪が始まりました。すでに、わが国からも金メダル獲得者が出ており、何だかんだと言いながらも、寝不足との戦いになりそうです。
それにしても、今回の開会式は異例づくめでした。このところ、開会式の催しが、スポーツの祭典なのかどうかよく分らない方向に進んでいるように感じていました。その傾向は今回も同じですが、エッフェル塔とセーヌ川をこれでもかと言わんばかりに見せつけ、「ここがパリだ」と主張しているかのような感じが、ひがみ心もあってか気になりました。
開会式関連の長時間のテレビ番組をじっくり見たわけではありませんが、夢うつつの時間も含めますと、「長いなあ」と思いながらもほとんど見せて頂きました。
ところが、最後に、セリーヌ・ディオンさんの「愛の賛歌」の絶唱の場面では、涙が浮かんでくるほどの感動を覚えました。一体何に感動しているのかと戸惑いながら、この大掛かりな開会式は大成功だと思いました。

近代オリンピックは、「スポーツによる青少年教育の振興と世界平和実現のために古代オリンピックを復興しよう」という、フランスの教育学者クーベルタン氏の提唱により始まりました。
1896年にアテネにおいて第一回大会が行われ、1924年には冬季大会が加わりました。それから128年、クーベルタン氏の提唱がどの程度実現しているのか、商業化、政治利用、ドーピング問題等々の問題があり、最近では開催国をめぐる嫌な噂、さらには開催希望都市の減少といったことも問題になっています。
100年ぶりに開かれているクーベルタン氏の故国でのオリンピックが、次の時代に新たな理念を提唱する大会になれば嬉しいのですが。

「画竜点睛(ガリョウテンセイ)」という言葉があります。
開会式の最後に登場したセリーヌ・ディオンさんの絶唱に感動しながら、この言葉を思い浮かべていました。
「画竜点睛」という言葉は、中国の故事から生まれたものです。
「中国の南北朝時代の梁( 502 - 557 )の張僧繇(チョウソウヨウ)という画家が、寺院の壁画に白龍の絵を描いたが、仕上げとして、その睛(ヒトミ)を書き込んだところ、たちまち風雲が生じて、白竜は天に昇った」というものです。もう少しドラマチックに伝えられている物もありますが、この故事から、「事物の眼目となるところ。立派に完成させるための最後の仕上げ。わずかなことで全体が引き立つ例え。」といった意味として「画竜点睛」という言葉が使われています。
ただ、多くの場合は、「画竜点睛を欠く」という形で使われるようで、「ほとんど仕上がっているのに肝心なものが不足していること。最後の仕上げが出来ていないこと」といった意味として、非難めいた意味で使われるようです。

ある人形師の方が、「最後に入れる瞳の形によって、人形の表情が大きく変る」といったことを話されているのを聞いた記憶があります。ある作家の方が、「この言葉を主人公に話させたいために、この小説を書いたようなものです」と語っていました。
私などが生きてきた人生を、「白竜」に例えることは出来ないとしても、今回の開会式では、もしかすると、人生の終盤においても、何か輝きを放つものを見つけ出すことが出来るかもしれないと感じさせてもらいました。
同時に、つつましやかに歩いてきた人生は、役には立たないけれど大きな毒にもなっていないと自負しているものが、「画竜点睛を欠く」とは少し意味が違いますが、最後にとんでもない一筆を加えてしまわないことだけは、心したいと思いました。

( 2024 - 07 - 29 )

 


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