かなり古い手許のメモ帳の中から、こんな言葉を見つけました。
『自分の力で出来ないことは心配するな』というものですが、確か、格言を集めたような物の中から抜粋したはずです。著作名は記録していないので、完成された作品からの引用ではないはずです。
改めて読んでみても、どう理解すればよいのか、なかなか難しい言葉のように感じました。
格言ですから、教訓のようなことを示唆しているのでしょうが、「物事にあまりくよくよするな」程度にしか受け取れないのですが、それではあまりにも安直すぎるような気がして、メモ帳に記録したものの消化不良のまま放置していたようです。
この言葉は、ユダヤの格言です。
「ユダヤ」というのは、ユダヤの人々や、ユダヤ教、あるいはそうした人々の文化などを指していると思うのですが、私などは、あまり馴染みがなく遠い存在のような気がしています。
私などが接する機会の多い格言や教訓などは、わが国の物に加え、やはり古代中国の物が多く、仏教や儒教や道教などの思想家たちが伝えている物が中心で、古代ギリシャやキリスト教関係の物も目にする機会も少なくありませんが、今一つしっくりこないことが多いような気がします。
そこで、ユダヤの格言のような物を少し調べてみました。
まず最初に目につきましたのは、「一つの嘘は嘘である。二つの嘘も嘘である。三つの嘘は、政治である」というものでした。なかなか含蓄がある言葉とも言えますが、これなどは、すでにユダヤ世界などの限定的な格言ではないようです。
「明日を心配することはない。今日どんな災難が降りかかってくるか分らないから」という物もあります。これなどは、私がメモしていた格言と同類のような気がします。もしかすると、ユダヤの人々や文化の一つの特徴を示しているのかも知れません。
「豊かな人生を送る人は、自分の持ち物で満足できる人である」
「お金をなくしたところで何も失う物はないが、誇りをなくすと多くの物を失う。勇気をなくすと全てを失う」
こうした類いの格言も多いようです。ユダヤの人々はお金儲けがうまく拘りも強いといった話を聞きますが、もしそれが事実だとした場合、そうした人々がこのような格言を残していることに大きな意味があるような気がします。
他にも、なかなか味のある言葉もたくさんありますので、三つばかり紹介させていただきます。
「結婚へは急ぐな。離婚へは急げ」
「小さな穴は、大きな舟を沈めてしまう」
「山羊には前から近づくな。馬には後ろから近づくな。愚か者にはどの方角からも近づくな」
上のような格言などをそれなりに考えてみましたが、『自分の力で出来ないことは心配するな』という言葉を「なるほど」と納得できるような答を見つけ出すことは出来ませんでした。
ただ、ユダヤの格言といっても、確かに若干の特徴は感じられますが、これまで目にしてきた東洋を中心にした格言や教訓とそれほど差があるとも思えませんでした。つまり、人々の願いや悩み、喜びや悲しみ、事の善悪も大差がないように思うのです。
しかし、それでいて、様々な格言が生まれているということは、同じような価値観や願いを抱いている人々であっても、対立することの少なくないことを物語っているように思われます。
各地で絶えることのない紛争も、結局その延長線上にあるのかと思いますと、何とも複雑な気持ちになってしまいます。
( 2024 - 03 - 16 )
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