春と冬とが引っ張り合いながら、三月を迎えました。
「三月はライオンのようにやってきて、子羊のように去って行く」というのは、イギリスのことわざですが、わが国においても、三月が登場するまでの天候は、春と冬の勢力争いばかりでなく時には初夏まで加わって、なかなか荒々しいものです。
当地は、しばらくは安定しないお天気が続きそうですが、地域によっては大雪が心配されており、本格的な春はもう少し先という気がします。
最近はあまり耳にしないような気もしますが、関西では、「お水取りが終ると春がやって来る」という言い伝えがあります。
この「お水取り」とは、東大寺二月堂で行われる「修二会(シュニエ)」という法会の中の行事の一つです。ただ、三月一日から三月十四日まで行われる修二会を「お水取り」と呼ぶことも多いようです。
正確に言えば、修二会の中で、十二日の深夜に、観音菩薩にお供えする「お香水」を、二月堂の前にある若狭井という井戸から汲み上げる行事を指すそうです。
また、修二会の行事としては、期間中毎日、暗くなった頃に行われる「お松明」があります。二月堂の舞台状の廊下を、十本(十二日は十一本)の大松明が火の粉をまき散らしながら走る勇壮な行事は、多くの人々を魅了させます。
今日から二週間にわたって行われる修二会は、西暦 752 年に始まった宗教的な重要行事で、今日まで一度も欠けることなく続けられています。火災により伽藍が焼け落ちた時も続けられてきて、今年は 1273 回目に当たるそうです。
そして、この行事が終ると、関西は本格的な春の訪れとなるのです。
私たちの身の周りには、このような経験則のようなものが幾つも伝えられています。
農業を生活の基盤としていた人々は、こうした行事や、山の雪解けの状態や草木の状態や鳥獣の動きなどから、季節の動きを感知し農作業の適切時期を実行し伝えていったのでしょう。漁を専らにする人々も、海の色や風の方向や匂いを、適切な行動の手助けにしていたのでしょう。
これらは、いずれも、ご先祖たちが経験をもとに培った知恵を子々孫々に伝えてきたのでしょうし、私たちの知識や知恵の多くは、そうした物をベースにして学び、あるいは真似て身につけていくのだと思うのです。
ところが、先日、当コラムの資料として、株式投資や相場に関する諺を調べている中で、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉に出合いました。
この言葉は承知していましたが、株式投資の諺としては、どう理解すれば良いのか私には重荷で割愛しました。
この言葉は、ドイツ統一に貢献した鉄血宰相と呼ばれたビスマルク( 1815 - 1898 )の言葉とされていて、座右の銘とされている著名人もいらっしゃるようです。
この言葉面(ヅラ)だけを見ますと、「経験に学ぶものは愚者だ」という面が強調されているようで気になります。素直に頷くことも出来ません。
ただ、ビスマルクが語ったということでは諸説あるようですが、もともとの意味は、「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じているが、自分は、自分の誤りを避けるために他人の経験から学ぶ」といったものだとされています。かなり意味が違っています。
私たちは、ご先祖から多くのものを学んでいますが、それらの多くは貴重な経験をベースにしていることは確かです。しかし、間違ってはならないことは、自分が体験した事を、たとえそれがいくらすばらしい成功体験であっても、それを知恵として過大評価することだけは避けるべきだと思うのです。
たとえ、功成ったという自負があるとしても、然るべき年齢の人が若い人に向かって、自らの成功体験を繰り返すことは、あまり耳障りの良いものではないことだけは、この言葉から学びたいものです。
( 2024 - 03 - 01 )
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