第四章 新しい出会い ( 6 )
五月の連休を利用して啓介は帰郷した。
啓介の会社は一週間連続して休みだったが、美穂子の会社は暦通りで飛び飛びの休みである。それでもこの期間中に、美穂子も実家に帰ることになっていた。
美穂子の実家は千葉市の郊外にあった。もっとも、実家といってもそこは叔父の家である。
啓介は美穂子の生い立ちなどについて詳しく聞いていなかったが、両親は美穂子が小学生の時に相次いで病死していた。そのため父方の祖父母に引き取られたが、祖父母が亡くなったあとは叔父夫妻に育てられてきたのである。
杉井家は江戸時代からの農家だが、この辺りでは有力農家として知られていた。農地解放や相続などでかなりの土地を手放してきていたが、残っている土地も少なくなかった。
それらの土地の大部分は叔父が相続していたが、美穂子も一部の土地を相続していた。
叔父は最初は実家の近くに分家していたが、美穂子の父の死去にともない実家に戻り杉井本家を相続したのである。本来なら美穂子の父が継ぐことになっていたが、祖父が死去したあと次男の叔父が当主として実家に戻り、祖母や美穂子と同居することになったのである。
美穂子は地元の高校を卒業するまでは実家で生活してきた。
叔父の家族と同居したのは中学生になってからだが、叔父夫妻とは幼い頃から行き来していたし、美穂子には優しく接してくれていた。
大学に入ってからは下宿生活になったが、積極的に家を出るという考えがあったわけではない。大学に対しても強い志望があったわけではないが、担任教師の強い勧めに影響を受けた部分が大きかった。
東京生活を始めた頃は実家に帰ることも多かったが、最近では年に三、四回程度の帰郷になっていた。美穂子が東京生活に慣れたことと、叔父夫婦の子供たちが大きくなってきていたこともあった。
叔父の家は祖父から相続した古い建物だが、部屋数の多い広いもので美穂子の部屋は今もそのまま残されていた。それでも美穂子にとって、実家の敷居が少しずつ高くなっていることも事実だった。
今回の帰郷も、叔父からの強い要請があったからである。
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啓介はこの時も京都で下車して早知子の墓に参った。
早知子が亡くなってからは、余程のことがない限り帰郷の途中に京都で降りることにしていた。明るい時間であれば墓の前に立って早知子を想い、五条坂を歩いた。時間が許せば、清水寺に参った。舞台からの景色を眺めては、在りし日の早知子を想った。そして、早知子に教えられた秘密の場所から、早知子が眠る墓地を遠望した。
暗くなってから訪れる時は、霊廟の山門で頭を垂れて早知子を想った。そして、暗くなった五条坂を上った。啓介にとって、五条坂を歩く時が早知子を最も身近に感じる時なのだ。
多くのことを語り合い、今もなお変わらぬ絆を確かめ合うことのできる場所でもあった。
帰郷中に古賀俊介と希美に会った。二人はすっかり夫婦になっていて、希美のお腹には二人目の子供が宿っていた。
さらに、俊介は勤めている商社を退職することも決意していた。かねてから希美の父親が社長を務めている会社に移るように誘われていた。延ばし延ばしにしてきていたが、大原家が経営する会社の業容拡大は著しく幹部社員の不足が大きな課題になっていた。
商社での仕事に行き詰まりを感じていたし、希望外の地域への海外転勤も具体化しつつあった。いずれ転職するのであれば、その潮時ではないかと考えていた。
俊介と希美は、啓介の結婚について質問した。特に希美は、早知子のためにも結婚すべきだと涙を浮かべた。
自分が一番苦しい時に手を差し伸べてくれた早知子に恩返しするには、啓介に幸せな家庭を築いてもらうことだと本気で考えていた。
俊介は、決まった人がいないのなら自分に任せろ、と啓介に決断を迫った。
啓介が縁談を勧められることは珍しいことではなかった。職場において上司などからそれとなく打診してくることが度々あった。東京では早知子のことを知っている者はいなかったので、同僚や歳の近い先輩からはより具体的に勧められることもあった。
しかし、俊介や希美の心配は啓介にとって特別なものだった。今もなお固く結ばれている早知子との絆を承知の上で心配してくれる古賀夫妻の言葉を、聞き流すわけにはいかなかった。
啓介は美穂子のことを話した。
啓介は、美穂子が大切な人になっていることをはっきり認識していた。すでに恋人といえる関係であると確信していた。
美穂子の本心を確認しているわけではないが、いつまでも今の状態のままでいいとは思っていなかった。もし結婚するとすればこの人だという漠然とした意識はあった。
しかしその一方で、京都駅に降り立ち、ひとり五条坂を歩くとき、早知子との断ち難い絆を絶対に捨てることができないことも強く感じていた。
早知子が不慮の事故にあってから、すでに十年近い年月が流れていた。
いつか啓介も三十歳を目前にしていた。自分の人生や両親などの心配を無視しているわけでもなかった。ただ、早知子の存在を押し退けようとするものは、どうしても容認することができなかった。
啓介は二人に美穂子のことを打ち明け、同時に揺れ動く自分の気持ちを率直に話した。
「早知子が啓介さんにとって大切なことは永遠に変わらないことだわ。だからこそ、この世に残った啓介さんは幸せな結婚をすべきなんです。それが、早知子の願いなんです」
希美が激しいほどの口調で訴え、俊介も妻の言葉に同調した。
啓介は二人の言葉に押されながら、そのつもりだと答え、美穂子の姿を思い浮かべた。
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五月の連休が終わり、再び慌ただしい日々が始まった。
休み明け早々に啓介は美穂子からの電話を受けた。
仕事上の用件を電話で連絡し合うことは珍しいことではなかったが、会社へ私用目的だけの電話をかけてきたのは初めてだった。特別に決めていたわけではないが、二人は職場で私用のことに触れることを避けてきていた。電話に限らず、そのような考え方は美穂子の方が強かった。それだけに啓介は、今夜にも逢いたいという美穂子の言葉が気掛かりだった。
その夜二人は八重洲口で待ち合わせた。互いに無理のない時間ということでいつもより遅い時間になった。
炉端のような店がいいという美穂子の希望で、前にも行ったことのある大衆酒場のような店に入った。
美穂子は酒が飲める方だが、啓介と食事をする時にはビールをグラスに一杯か、せいぜい中ジョッキくらいだった。日本酒でもウィスキーでもワインでも、啓介が勧めれば断ることはなかったがその量は少なく、いくら勧めても一、二杯を超えることはなかった。
しかし、この夜は様子が少し違っていた。オーダーする料理の量がいつもより少なく、その分ビールの量が少し多かった。
逢った時の表情などはいつもと変わらなかったが、食事を始めてからの口数は明らかに少なかった。
何かあったのかと心配する啓介の問いにも、「お逢いしたかっただけ・・・」と微笑むだけなのだが、その笑顔は心なしか淋しげに見えた。