アップル創業者であるジョブス氏死去のニュースは衝撃的でした。テレビなどで報道される彼の業績や発言などは、実にドラマチックであり、魅力的なものでありました。ソフトバンクの孫氏などは、将来、ダビンチと同列の偉人として語られるだろう、といった発言をされておりました。
残念ながら、未だに電気が電線によって運ばれるという仕組みさえ理解できない私としましては、ジョブス氏の偉大さの何たるかなどとても理解できないわけですが、惜しい人材が失われたことは理解できます。
同じ頃に、ノーベル賞の発表が行われていて、医学・生理学賞を受賞したスタインマン教授が受賞三日前に亡くなられていたという、これも衝撃的なニュースでありました。
授賞対象者は生存者に限るとされているノーベル賞ですが、決定時点で選考委員会は死亡の事実を確認していなかったということを理由に、例外的にスタインマン教授の受賞を有効としました。ノーベル賞の選考委員会など原理や理論だけで成り立っている無機質的な組織だと思っていたものですから、他人事ながら、何だか嬉しいニュースでした。
もっとも、すでに死去している人物のノーベル賞受賞は、前例があるそうですが。
報道記事によりますと、スタインマン教授は、自ら発明した技術により四年ばかりも闘病を続けてきていたそうです。ノーベル賞の受賞を心待ちにしていたともいわれ、実現したとはいえ、あと数日の延命が及ばず、さぞ無念と考えているのか、なあに、生きているとか死んでしまったとかは、自分の業績に何の影響もないと考えているのか、知りたいものです。
それにしても、現在社会の最高峰とされるノーベル賞を受ける技術を開発しても、やはり、結局は生命を完全にコントロール出来るわけではないようです。
ジョブス氏の場合でも同様で、もし彼が望めば、現在の人類が所有している最高水準の医療手当を受けることは可能だったと思われます。彼がそれを望んだのか、あるいは実践されたのか、全く知りませんが、人間としての生命は終焉を迎えてしまいました。
どれほどの頭脳を持ち、どれほどの財を得ても、何処からか生まれてきて、人間として生きて、そして死を迎え、何処かへ去っていく・・・、この生命の連鎖がどのようになっているか知ることも、断ち切ることも出来ないものなのでしょうか。
それは、何も限られた人物のことではなく、平々凡々を幾つ並べたらよいのか分からない私などでも、全く同じではないでしょうか。
生命の連鎖、親から子へ子から孫へと引き継がれていく命も連鎖といえるかもしれませんが、その命は、果たして私たちの命そのものなのでしょうか。
そして、それは、何も人間だけに限らっことではないかもしれません。
そういえば、わが家の小さな庭を住処としていたトカゲとカエルですが、最近姿を見せません。彼らもまた、生命の連鎖という流れの中で、すでに冬眠に入ったのでしょうか。
( 2011.10.12 )
残念ながら、未だに電気が電線によって運ばれるという仕組みさえ理解できない私としましては、ジョブス氏の偉大さの何たるかなどとても理解できないわけですが、惜しい人材が失われたことは理解できます。
同じ頃に、ノーベル賞の発表が行われていて、医学・生理学賞を受賞したスタインマン教授が受賞三日前に亡くなられていたという、これも衝撃的なニュースでありました。
授賞対象者は生存者に限るとされているノーベル賞ですが、決定時点で選考委員会は死亡の事実を確認していなかったということを理由に、例外的にスタインマン教授の受賞を有効としました。ノーベル賞の選考委員会など原理や理論だけで成り立っている無機質的な組織だと思っていたものですから、他人事ながら、何だか嬉しいニュースでした。
もっとも、すでに死去している人物のノーベル賞受賞は、前例があるそうですが。
報道記事によりますと、スタインマン教授は、自ら発明した技術により四年ばかりも闘病を続けてきていたそうです。ノーベル賞の受賞を心待ちにしていたともいわれ、実現したとはいえ、あと数日の延命が及ばず、さぞ無念と考えているのか、なあに、生きているとか死んでしまったとかは、自分の業績に何の影響もないと考えているのか、知りたいものです。
それにしても、現在社会の最高峰とされるノーベル賞を受ける技術を開発しても、やはり、結局は生命を完全にコントロール出来るわけではないようです。
ジョブス氏の場合でも同様で、もし彼が望めば、現在の人類が所有している最高水準の医療手当を受けることは可能だったと思われます。彼がそれを望んだのか、あるいは実践されたのか、全く知りませんが、人間としての生命は終焉を迎えてしまいました。
どれほどの頭脳を持ち、どれほどの財を得ても、何処からか生まれてきて、人間として生きて、そして死を迎え、何処かへ去っていく・・・、この生命の連鎖がどのようになっているか知ることも、断ち切ることも出来ないものなのでしょうか。
それは、何も限られた人物のことではなく、平々凡々を幾つ並べたらよいのか分からない私などでも、全く同じではないでしょうか。
生命の連鎖、親から子へ子から孫へと引き継がれていく命も連鎖といえるかもしれませんが、その命は、果たして私たちの命そのものなのでしょうか。
そして、それは、何も人間だけに限らっことではないかもしれません。
そういえば、わが家の小さな庭を住処としていたトカゲとカエルですが、最近姿を見せません。彼らもまた、生命の連鎖という流れの中で、すでに冬眠に入ったのでしょうか。
( 2011.10.12 )