古来お月さまは、私たちにとって、最も神秘的であり最も近しい天体ではないでしょうか。明るさや強烈さにおいては、太陽が遥かに上回っていますが、太陽は天体というよりもっと次元の違うものとして私たちに影響を与えてきたのではないでしょうか。
世界的に見た場合、お月さまは私たち日本人に特別大きな影響を与えたということではないようです。世界各地に伝えられている寓話や伝承の数は多く、例えば国旗を思い浮かべてみても、お月さまを取り入れている国は少なくありません。わが国の場合は太陽ですから、世界に向かってお月さまに関して大きなことは言えないのかもしれません。
しかし、わが国の祖先たちも、和歌や物語のテーマとしたり、お月見などという何とも優雅な文化をはぐくんでいます。
それも、今夜は十五夜の月を愛でる夜ですが、明日は十六夜(イザヨイ)の月を楽しみ、さらに、立待月(タチマチヅキ)、居待月(イマチヅキ)、臥待月(フシマチヅキ)、更待月(フケマチヅキ)と続くのですから、ちょっとやそっとの根性では、本格的なお月見なんて出来ないんですよ。
お月さまに関するわが国の伝承文学となれば、何といっても『竹取物語』ということになります。
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり・・・」という文章で始まるこの物語は、伝えられている中で最古の物語とされています。作者や成立時期などは不明で、原本も伝えられていません。現在残されている最古の写本は、室町時代初期の後光厳天皇の筆とされるもので、「うつほ物語」や「源氏物語」に『竹取物語』について語られている所があることから、十世紀中頃までには貴族社会などに流布していたと考えられています。
『かぐや姫のお話』ということになれば、幼い子供に親しまれるものとなりますが、登場人物の中には実在の人物や、明らかに実在の人物を指していると思われる人物がおり、いずれも壬申の乱前後の人物であることから、物語の舞台は奈良時代初期と思われます。
さて、満月の夜にお月さまに帰って行ったかぐや姫は、その後息災なのでしょうか。兎に餅などをつかせて、幸せな日々を過ごしているのでしょうか。
最近では、「お月さまに兎などいない」などと本気で考えている輩が増えてきましたが、そういう意見はしばらく横においておいて、今宵くらいは、かぐや姫と物語など楽しんでみてはいかがでしょうか。
( 2011.09.12 )