雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第二十一回

2015-06-30 09:32:49 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十 )


四十九日には、二条の姫君の異母弟であられる雅顕少将殿が主催される仏事がございました。
河原院の聖が、いつものように「鴛鴦の衾の下、比翼の契り・・」という言い古された偈を唱えて仏事は終りましたが、その後で、姫さまは故御父上に宛てられたお手紙の裏に法華経をお書きになっているものを、安居院の憲実法印を導師としてお供えされました。
河原院の導師ではなく憲実法印を導師にされましたのは、御父上の臨終の時に河原院の聖が遅れたことを、まだわだかまりをお持ちのようでした。

三条坊門の大納言殿、万里小路の中納言殿、それに善勝寺の大納言殿なども、聴聞にということでおいでになられていて、それぞれ弔問の上お帰りになられましたが、改めて悲しみがよみがえってくる法要でございました。

姫さまは、この日は方違えに当たりますので、四条大宮にある乳母の家に向かわれました。
法事から帰る姫さまの袖は、また新たな涙で湿っていて、御車の中で一人思いをかみしめておられました。お呼びをしたわけではないのですが、故大納言殿の遺徳を慕って集まって下さった方々と言葉を交わしている時は、悲しみを思い出させられる思いでおりましたのに、その人たちから離れてみますと、今度は一人ぼっちの寂しさが姫さまを襲うのでした。

それにしましても、姫さまに取りましては心の晴れる日などない毎日でございました。
七日七日の仏事もさることながら、故大納言殿との思い出は、そうそう簡単に整理など出来るものではございません。仏事などの公式のことや、思い出に一人泣きぬれる夜とが入り混じり、ただただ日だけが過ぎての四十九日だったのです。

そのような間にも、御所さまは人目を偲んで姫さまのもとを訪れておられました。
「世間はみな故法皇の喪に服していて、押し並べて見立たぬ身なりなのだから、そなたが喪服の袂であっても差し支えあるまい。忌中の五十日が過ぎたなら、出仕してくるように」
と仰せになっておられまたが、姫さまにはそのお気持ちになれない様子でございました。

四十九日の仏事が行われましたのが九月の二十三日ですから、虫の音もすでに一時の勢いがなくなっておりました。その頼りなげな虫の音さえも、まるで姫さまの袖に宿る涙の露を求めているかのようで、一層悲しさを深めるばかりなのでした。
御所さまからは、「そう里住まいを続けるのはよくあるまい。さあ、早く出仕して参れ」
と、何度も仰せがございましたが、姫さまのお気持ちは重く、いつ出仕するとのご返事も出来ぬままに、神無月を迎えました。

     * * *





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二条の姫君  第二十二回

2015-06-30 09:29:21 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十一 )


十月十日過ぎの頃でしたでしょうか、あの御方からの使いが参りました。
「日を置かずにお手紙を差し上げたいのですが、御所からの御使者などと鉢合わせをして、『どうも変だ』などと御所さまのお耳に達すれば大変だと思い、ついつい心ならずも日数を置いてしまいました」
などといった内容から始まるお手紙でございました。

この姫さまの乳母の住いは、四条大宮の隅に当たるところですが、四条面と大宮との隅の築地がひどく崩れている所があって、人が自由に出入りできるようになっているものですから、サルトリという茨を植えていました。
それが築地の上へまで伸びていって広がっているのですが、根元の部分は太い幹が二本あるだけなのです。
「先ほど使いの人が、『築地の壊れた所に番人はいるのか』と尋ねるものですから、『そういう人はおりません』と答えますと、『それでは大変なお通い道になってしまう』と言って、茨の根元を刀で切り取って帰られました」
と、乳母の家の人が姫さまにお話されました。

姫さまは、築地が傷んでいることも茨を植えていることも詳しくはご存じありませんから、何だかよく分からない様子でお話を聞いておられました。
すると、真夜中の頃と思われる月影の頃に、妻戸を密やかに叩く人がありました。
中将という名の女の童が、
「水鶏(クイナ)かしら、今頃妻戸を叩くなんて」
と言って、妻戸を開けに行く気配がしたと思っていますと、ひどくあわてた様子で姫さまに声をかけました。

「外においでの御方が、『立ったままでもよいから、ご主人さまにお会いしたい』と仰っています」
と、姫さまに伝えました。
さすがに、このような深夜のことですから、姫さまも答えに窮していましたところ、女童の甲高い声を道しるべにしてか、あの御方は案内もないままに姫さまのお部屋に入ってしまわれたのです。
紅葉を浮織にした狩衣に、紫苑でしょうか、指貫もどれもみな糊気のないご装束で、いかにも忍んで訪ねてきた様子が伝わってきます。

「お逢いできますなど、思いもよらぬことでございます。大変嬉しゅうございますが、もしお気持ちが変わらないものでありますなら、この先にきっとお逢いさせて下さいませ」
と、姫さまは、今宵はこのまま引き取ってくれるように申されました。いくら愛しい御方とはいえ、身重の身で、このような深夜にお迎えすることはさすがに憚られたのでございましょう。
しかし、雪の曙殿は、姫さまの切なげなお声に頷きながらも、
「このようなお身体ですから、決して後ろめたいような振る舞いをすることなどありますまい。ただ、長年の積り積った心の内をお聞かせしたいと思うのです。旅先での仮の宿は、伊勢の御神もお許し下さるでしょう」
などと、心の内を訴えられますと、もともと心魅かれる御方だけに、姫さまが強く拒むことが出来なかったのは仕方のなかったことなのかもしれません。
そして、そのような姫さまのお気持ちを十分ご承知の雪の曙殿は、寝所にまで入り込んでしまわれたのでございます。

     * * *


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二条の姫君  第二十三回

2015-06-30 09:28:23 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十二 )


秋の夜は長く、忍び逢うお二人を積り重ねてきた想いが包み込んでおりました。
雪の曙殿は、夜もすがら積る想いのあれこれを姫さまに語り続けておりました。
いつの間にか、横たわる姫さまにぴったりと身を寄せて、その耳元に切なく過ごしてきた日々の空しさを訴えられるお言葉は、まことに、唐国に棲むという虎でさえも涙を流すのではないかと思われるほど、情愛に満ちたものでございました。

もとより岩木でもない姫さまのお心でございますから、愛しい御方のささやきに身も心も揺らぎ、伸びてくる手を押しのけることなど出来ませんでした。
雪の曙殿の動きは大胆になり、姫さまにもその動きを拒絶する意思は薄れていっておりました。
「この危険な秘め事に、この身を引き替えにしてもよい」とまでの決意が姫さまにありましたのかどうかは分かりませんが、愛しい方のお言葉に酔いしれているうちに新枕を交わすことになっておりました。
そして、夢のようなひとときに身を任せながらも、この秘め事が御所さまの夢の中に現れるのではないかと、恐ろしくもありました。

いつの間にかまどろんでいたのでしょうか、鶏の鳴く声にお二人は目を覚まされました。
まだ夜明けまで間のある頃でしたが、雪の曙殿はお帰りになりました。姫さまは、まだ名残が尽きないご様子でしたが、そのまま横になったまま、あれこれとご思案の様子でございました。
やがて、しののめの空がまだ明けやらぬうちに、後朝(キヌギヌ)のお手紙が届けられました。

「『 帰るさは涙にくれて有明の 月さへつらきしののめの空 』
いつの頃から積り積ってきた恋心なのでしょうか。暮れるまでの気のもみようは、身も心も消えてしまいそうなのですが、これからは世間の目を忍ばなくてはならない辛さも、言いようもありません」
などとありました。
姫さまのご返歌は、次のようなものでございました。
「『 帰るさの袂(タモト)は知らず面影は 袖の涙に有明の月 』

これまでは、ご自分の気持ちを押さえこんできたつもりだった姫さまですが、このような関係になってしまった上は、これまでの辛抱や努力がすべて無駄になってしまったような、複雑な思いが渦巻いているご様子でした。
誰に愚痴を言えるわけでもなく、どう思い悩んでもよい結果など思い至るはずもなく、ご自分の将来がいろいろと推量され、思わず声を忍んで泣いておられました。

その日の昼頃、御所さまからの御手紙が届けられました。
「一体どういう考えなのか。このように長いあいだ里住まいをしているのは。それでなくともこの頃は、御所では気を紛らすことも出来ないほど人が少なくなっているというのに」
と、いつもよりも細々と御所さまの思いが綴られておりました。
折も折だけに、姫さまのご心中は、どのようなものでありましたのか。

     * * *




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二条の姫君  第二十四回  

2015-06-30 09:27:07 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十三 )


日が暮れますと、今宵は夜も更けないうちに雪の曙殿が訪れて参りました。
姫さまは、今宵のご訪問は予期したことでしたが、同時にそのようなご自分の気持ちが空恐ろしくも感じられ、初めてお迎えする時のように緊張のご様子でした。

この家の主人である入道殿は、姫さまの乳母の夫に当たる人ですが、故大納言殿に仕える家司で藤原仲綱と申されますが、主の死去と共に出家なされたのです。姫さまの後見役ともいえるその入道殿は、出家の後は千本釈迦堂の聖のもとに住み着いていて、この家に出入りする男性はいない状態だったのですが、この日に限って、「珍しくも帰っております」などと挨拶に見えられました。
妻女である乳母や子供たちも集まって大騒ぎなっているようで、何とも興ざめなことでございます。

乳母という人は、古風な宮様の御所にお仕えしていた人なのですが、それにしては無神経なほどの大騒ぎをしているのですが、姫さまとしましても、このような人が訪れていると伝えるわけにもいかず、灯火などもつけないで、月陰など眺めているふうを装って、愛しい御方を寝所に押し込むようにされて、襖の近くにある炭櫃に寄りかかっておられましたところへ、その乳母がやってきたのです。

ああ困ったと眉をひそめる姫さまのお気持ちなど全く伝わることもなく、
「『秋の夜長でございます。弾棊(タギ・二人が盤上で黒白の石を指で弾いて遊ぶ遊戯)などして、お慰めいたしましょう』と夫が申しています。こちらへお越しください」
と、手を取らんばかりに言うのも煩わしいことなのに、
「他にも、何々をしましょう。誰々も、そう、あの子もきておりますよ」
と、継子や実の子の名前を次々に挙げて、お酒の用意もしております、他にもいろいろと趣向がございます、などと数え立てているのに姫さまは閉口してしまい、
「気分がすぐれないので」
などと、気もそぞろな様子で応じているものですから、
「いつものように、わたしの申し上げることは、お聞き入れにならないのですね」
と、立ち去って行きました。

乳母は少々気を悪くされたようでしたが、いつも娘たちを姫さまの側近くに置きたいと言っていることなどが姫さまは気に入らないのです。
それに、乳母たちがいつもいる場所も姫さまがお使いの部屋とは庭続きになっていて、何だか見張られているような心地がするようなのです。

今宵お見えになれば、あれもお話したい、これもお話したいとずっと考えていたのですが、それもこれも口にしてしまえば何だか興ざめのような気もして、さらにこのような状況になってしまったものですから、姫さまは愛しい御方にそっと身を寄せて、早く寝静まってくれるよう願っておりましたが、まだその上に、門を激しく叩いている人がいるのです。

     * * *




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二条の姫君  第二十五回

2015-06-30 09:26:02 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十四 )


今頃、それも門を激しく叩いて訪れるのは誰なのかと姫さまは息をひそめておられました。
「陪膳(ハイゼン・天皇の食事に給仕役として伺候すること)のお役が終わるのが遅くなって」
などという声が聞こえてきます。仲頼殿が参ったようです。
仲頼殿は、この家の嫡男ですが、姫さまとは兄妹のように育てられた間柄です。

「ところで、この大宮の隅に八葉の紋を付けたいわくありげな牛車が止まっていましたよ。近寄ってみると、車の中には供の者がいっぱい寝ていましてね。牛は離してつないでいたし、どこへ行った人なんですかね」
などと、大きな声で話しています。
さすがに姫さまも、これは困ったと思いながら耳を澄ましていますと、やはり心配した通り乳母は、
「どのような人が訪れているのか、召使いをやって調べてみなさいな」
と言っているのです。

「どうして、そのようなことをする必要がありますか。他人様の身の上に関わることですよ、よしなさい。それに、姫さまの里居の折をねらって、忍びこんでいらっしゃった人であるなら、物語にもあるように、築地の崩れから通い路の番人は寝ていて欲しい、と願っていることでしょうよ。懐の内にお預かりしていると、身分が高くても低くても女性は気がかりなものですね」
という仲頼殿の言葉に姫さまは少し安心されましたが、
「まあ、縁起でもない。誰が参るものですか。御所さまの御幸ならば、人目を忍ぶ必要などありませんよ」と、これは乳母の声です。
「それに、六位ふぜいが出入りしているからといって、咎められんでしょう」
と、言葉を続けます。あの御方を六位ふぜいと乳母に言われることが姫さまにはとても辛く感じられました。

息子の仲頼殿まで加わったものですから、さらに一段と騒がしくなって、とても寝られそうもないと姫さまの心は沈んでいますのに、先ほど言っていた酒盛りの準備が出来たのでしょうか、「こちらへ来るようにと申し上げよ」と、小声で指示しているのが聞こえてきます。
指示された召使いなのでしょうか、姫さまを呼びに来ましたが、部屋の入り口近くに控えている姫さまの侍女が、「ご主人さまは、ご気分が悪いものですら」とお断りしますと、内側の襖を荒々しく叩いて乳母がやってきました。

幼い時から世話を受けてきた乳母ですが、何だか知らない人のような気持ちがしたのでしょうか、姫さまは怖気づいているようにさえ見えます。
「ご気分はいかがですか。ねぇ、ご覧くださいよ、お持ちしたものを」
と枕元の襖を叩くのです。さすがに姫さまも、知らぬ顔も出来ませんから、
「ひどく気分が悪くて」
と、弱々しくお答えになります。
「姫さまの大好物の白物をご用意したのですよ。ですから、是非とも見てくださいな。ない時には強くお求めになるのに、いざご用意した時には見向きもされないのですか。いつものわがままですか。それなら、ご自由になさいませ」
と、ぶつぶつ言いながら戻って行きました。

もう少し丁寧に応対されたらよいのにと思うのですが、姫さまにはとてもそのような余裕などなかったのでしょう。恥ずかしさと、何としても今の状況を知られてはならないというお気持ちで、乳母の言葉はただ煩わしいだけだったのでしょう。
「お求めになるという白物とは、何なのですか」
と、こちらも息をひそめていた雪の曙殿がお尋ねになりました。少し安堵の様子がうかがえます。
姫さまもようやく落ち着かれたご様子で、霜とか雪とか霰などと見え透いた嘘などは申されず、
「普通の人と違って、あたしが時々白い色のお酒を欲しがるのを、あのように大げさに言うのですわ」
と正直にお答えになられました。

「これはまた、今宵は良い時に参ったものです。わたしの所においでいただく時には、白い色の酒を唐土(モロコシ)までも探してご用意いたしましょう」
と言いながらお笑いになられました。
姫さまのお心は、この一言で一度に晴れやかになられたようで、絶体絶命というほど思い詰めていただけに、今度は溢れるような温かみを感じられ、姫さまから御身をお預けになられました。
姫さまにとって、とても印象深い一夜になられたことでしょう。

     * * *

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二条の姫君  第二十六回

2015-06-30 08:49:57 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十五 )


このようにして、姫さまと雪の曙殿との逢瀬はその数を重ねてゆきました。
その度ごとに姫さまのお気持ちは傾いてゆき、いよいよ御所へのご出仕は決断できないようになっておりました。
そして、十月二十日の頃、姫さまの母方の祖母に当たる権大納言さまと申されるお方が、お悪いということが伝えられてきました。
大分前から患っているということではありましたが、お歳のことでもあり、今すぐどうということではないと様子を見ておられましたが、それから幾日も経たないうちに「お亡くなりになりました」と報せてきたのです。

そのお方は、東山禅林寺の綾戸というあたりに長年住んでおられたのですが、「今日が、ご臨終でした」との報せには、このところあまり接しておられなかったお方とはいえ、姫さまの落胆ぶりは小さなものではございませんでした。
御母上、さらには御父上さえも亡くされた姫さまにとって、儚い縁がまた失われたことは相当心細い思いだったようで、その時の姫さまの御歌でございます。
『 秋の露冬のしぐれにうち添へて しぼり重ぬるわが袂かな 』

ここしばらくは、御所さまからの御便りがないのも、自分の犯している過ちをそれとはなく知られているのではないかと心配されている姫さまでしたが、
「このところ逢っていないが、いかが過ごしているのか」
などといった、いつも以上に心のこもった御手紙が届き、日暮れには迎えを寄こすとも記されておりました。
いつの間にか御所さまからの御手紙を心待ちにしていた自分に驚きながらも、
「一昨日に祖母に当たる人が亡くなったとの知らせでございますので、近親者としての服喪の期間を終えてから参上いたします」
と、ご返事され、添えました御歌は、
『 思ひやれ過ぎにし秋の露にまた 涙しぐれて濡るる袂を 』

そうしますと、直ちに御所さまからは御返歌がありました。
『 重ねける露のあはれもまだ知らで 今こそよその袖もしをるれ 』
姫さまにかかるご不幸を聞いて、「身内でないわたしの袖もしおれるよ」という姫さまを慰めようとする内容でございました。

十一月の初め頃に、姫さまは御所に参上いたしました。
しばらく里暮らしが続いておりましたが、それにしても世の中が変わってしまったかのように姫さまには感じられました。
御父上である故大納言殿の面影も、あそこではこんなことがあった、ここでは何々があったと、思い出されるご様子でした。姫さまご自身も、今までと同じようには振る舞いにくいようでした。
正室の東二条院の御方も、ご機嫌がよろしくないそうです。

何もかもが姫さまには気鬱なことばかりのようでしたが、御所さまが、兵部卿殿や善勝寺殿に
「久我大納言が健在であった時のように世話をして、伺候させるように。装束などは、御所への献上物で賄うように」
などと仰せくださり、姫さまにとってまことに有り難いご配慮でございましたが、当の姫さまは、一日も早く出産して普通の身体に戻り、静かな生活に入って、父母の後生を弔い、この世の煩悩から離れる生活を願っていたのです。
そして、この月の末には御所を退出いたしました。

     * * *
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二条の姫君  第二十七回

2015-06-30 08:48:41 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十六 )


醍醐の勝倶胝院(ショウクテイイン・下醍醐にあった念仏道場)の真願房と申される尼僧は、姫さまとはゆかりのあるお方ですので、出掛けていって法文をお聞きしたいと思い立たれました。

「煙をだにも」などと古歌にもありますが、せめて煙だけでも絶やさないようにして寂しさに堪えようというのでしょうか、柴を折ってくべる冬の住いには、懸樋の水の音さえも途絶えがちの侘び住まいに姫さまは耐え忍んでおられました。
年は暮れに向かい、さまざまに準備もいつもの年とは全く違う様子の日が過ぎてゆきました。
やがて、師走も二十日余りの頃、月が顔を出し始めた頃に、人目を忍んでの御所さまの御幸がありました。

御牛車も、質素に装った網代車でありましたが、御車の後部には、善勝寺の大納言殿がお供をされておりました。
「お上は伏見の御所にご滞在中なのだが、ぜひにと思い立たれて、立ち寄られたのだ」
と、善勝寺の大納言殿は姫さまにお話されておられました。
思いがけない御幸を、姫さまはたいそうお喜びになられながらも、「あの方との秘密の逢瀬は、いつ露見してしまうのだろうか」との思いが心にかかっているでしょうから、そのお苦しみが何ともおいたわしくございました。

しかし、今宵の御所さまは、いつもにも増して姫さまを優しく労わられ、明けゆく空に響く鐘の音に促されて、出立のご準備となりました。
有明の月は西空に残っており、東の山の端には横雲がたなびいておりました。少し消えかかっていた雪の上に、また新しく散りかかる花片のような白雪が、お二人のお別れの寂しさを心得ているかのようにさえ感じられるのです。
御所さまは、故法皇さまの服喪中ですので、無文の御直衣に同じ色の御指貫という御姿で、姫さまの鈍色(ニブイロ・濃いねずみ色)の着物と似通っていて、お別れを一層悲しいものにしておりました。

折から、暁の勤行に出る尼僧たちは、御所さまをどのような御方とも気付かないで、みすぼらしげな衣に真袈裟(マゲサ・粗末な袈裟)のような物をほんの形だけ引っ掛けて、「朝の勤行の時間は過ぎましたよ。誰々房はどうしたのですか、何々阿弥陀仏さんはまだですか」などと呼び歩いている姿を、姫さまは、珍しげに、そしてうらやましげに見ておられました。
北面の武者たちも、全員が鈍色の狩衣で、御車をさし寄せるのを見て、ようやく特別な事らしいと気付いたのでしょう、あわてて逃げ隠れする尼もいるようです。

「また逢おう」
との言葉を残して、御所さまは出立なさいました。
姫さまは、御車の去っていく後を見つめて、立ち尽くしておりました。
名残惜しさが込み上げてきたのでしょうか、涙を押さえようと袖で顔を隠そうとされました。その袖には、一夜の移り香が切なく染み込んでいて、寂しさがさらに膨らんでいる様子です。
あたりに響く勤行の声は、姫さまのお気持ちなど何知らぬかに続いており、「輪王位高けれど、つひには三途に従ひぬ・・」といった文句は姫さまのお耳にも達しているようでございます。

御車はすでに遠く去りました後も、姫さまはそのまま立ち尽くしていて、尼僧たちの勤行がすべて果てるまで聞き入っておられました。
やがて、夜が明けきった頃、御所さまからの御手紙が届けられました。
「今朝の有明の名残惜しさは、わたしがまだ知らなかった情緒のようで、忘れることなどあるまい」
などと書かれてありました。
姫さまも早速にご返事申し上げましたが、そのご返歌は、
『 君だにもならはざりける有明の 面影残る袖を見せばや 』

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二条の姫君  第二十八回

2015-06-30 08:47:24 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十七 )


今年もはや残り三日ばかりとなった夕方のことでございます。
姫さまは、いつも以上にもの悲しげでいらっしゃいました。そのご様子を察したのでしょうか、房主の尼殿がお誘いくださいました。

「これほどゆったりとした気持ちでいることが出来ますのは、本当に久しぶりのことですわ」
などと尼殿は、世間話をしながら姫さまにいろいろお気を使って下さいました。
さらに、年配の尼僧たちを呼び寄せて、昔話などをして下さっておりましたが、庵の前にある水槽に流れてきている懸樋の水も凍りついたのか音もしなくなり、わずかに、向こうの山で薪を切る斧の音ばかりが切れ切れに聞こえてきて、まるで昔話の中に溶け込んでしまったかのような雰囲気になっておりました。

やがて日はすっかり暮れて、灯明の光があちらこちらに見えてきました。
「初夜の勤行(午後八時頃からのお勤め)をして、今夜は早くやすみましょう」
などと言っていると、そばの妻戸(ツマド・開き戸)を密やかに叩く音がしました。
「今頃、誰でしょうね」
と言いながら尼僧の一人が留め金を外して戸をを開けますと、何と、あの御方が立っていたのです。

「まあ、困ります。ここは、尼殿の庵でございます。あなたさまをお迎えするなどといったことは、他の方々にも恥ずかしいことですし、このように服喪中でございますので、心清らかにお勤めしてこそ御仏の御加護もあるものでございましょう。
御幸ということになれば、それはどうすることもできませんが、戯れに殿方をお迎えすることなどできません。どうぞ、このままお帰り下さいませ」
と、姫さまは実につれない言葉を申されましたが、周囲の方々の目を意識している部分も少なくなかったことでしょう。

折しも、雪が激しく、さらに風も強くなっていて、吹雪といった状態になっていました。
「ああ、たまらない。せめて部屋の中に入れてください。この雪さえやめば、すぐに帰りますから」
などと、押し問答になりました。
この様子を覗っていた房主の尼殿が声をかけられました。
「姫君さま、何という申され方ですか。たとえどなたであれ、お訪ねしようというお心があってはるばるおいでになられたのですよ。山おろしの風が激しい中を帰らすなどと、どういうことでございますか」
と、妻戸をすっかり開けさせて、囲炉裏の火を増やすように尼たちに命じられました。
雪の曙殿は、姫さまのつれない仕打ちに愚痴を言いながらも、素早くお部屋に入られました。

御父上を亡くされ、御所さまの御子を身籠りながら、愛しい御方の逢瀬に幸せと苦しみに堪え切れずに逃げてきた山里の庵であったはずなのに、御父上の菩提さえ満足に弔えないうちに御所さまを迎え入れ、今また雪の曙殿の強引な訪れに、何をどうすればよいのか茫然とされておりました。
人の世の常と言うにはあまりにも過酷な波に放浪されながら、定めに懸命に立ち向かおうとされていた二条の姫君ですか、まだこの時は十五歳だったのでございます。

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二条の姫君  第二十九回

2015-06-30 08:46:09 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十八 )


雪はまるで格好の言い訳を提供するかのように、山の峰も庵の軒端も一つになってしまうほどに降り続きました。
一晩中吹き荒れていた風の音はおどろおどろしいほどで、夜がすっかり明けた頃になっても、雪の曙殿は起き上がろうともなさいません。
つれない言葉でお迎えはしましたが、もとより姫さまのお気持ちに変わりがあるはずもなく、当然のように接しられる御方をさらに突き放すことなどできるはずもございません。

雪もおさまり、日が高くなった頃、雪の曙殿にお仕えしている者二人ばかりが、いろいろな物を携えてやってきました。
立派な従者まで姿を見せたのでは、雪の曙殿のご身分が尼殿はじめみなさまに知られてしまいますので、「ああ、面倒なことになりそうだ」と姫さまは困惑の様子でしたが、従者たちは構わず荷物を広げ、房主の尼殿や、集まってきている尼たちに衣などを分け与え始めました。

「年の暮の風の寒さを少しでも凌いでいただきますように」
などと言いながら、念仏を唱えている尼たちに袈裟・衣などを手向けになどと思いつかれるものですから、「この『山賤(ヤマガツ)の垣ほ』のような庵にも光が差してきたようです」などと、めいめいが嬉しげに話し合っているのです。
如来や菩薩方のご来迎の他では、帝王の御幸以上に素晴らしいものなどあるはずもないのに、御所さまのお帰りの折にはほんの形ばかりにお送り申し上げただけで、「畏れ多いことだ」とか「素晴らしいことだ」などと言う人はおりませんでした。いわんや、「このような所に御幸されるなど信じられない」などという尼など一人もいなかったのです。

それに引き換え、この騒ぎはどうでしょうか。雪の曙殿のご身分さえご存じない尼たちが、誰もかれもが夢中になって褒めそやしているのは、世の常とは言いながら、何とも嫌なものですねぇ。
春の準備の装束は華やかではありませんが、縹色(ハナダイロ)でしょうか、たくさん重ねてあるほか、白い三小袖(ミツコソデ・三枚一組の小袖)を取り添えなどして布施とされているのですが、これだけの布施でございますから、どなたからだと話題になるのではないかと姫さまは気がかりでなりませんでした。
そんな姫さまのご心配などまるで知らぬ気に、房主の尼殿までも加わって、この日は一日中盃事に明け暮れました。

翌日は、「そういつまでも、こうしているわけにはいくまい」と仰せられお帰りになられましたが、
「せめて部屋から出て、見送って下さいよ」
と催促されたものですから、尼たちの目を気にしながらも姫さまは見送りに出られました。
外に出ますと、ほのぼのと明けてくる空に、峰の白雪が光り輝いていて、神々しいほどの景色の中を、服喪の狩衣を着た従者が二、三人伺候していて、お帰りになっていく雪の曙殿の後ろ姿は、やはり姫さまのお心に切なく迫るものでございました。

     * * *
   

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二条の姫君  第三十回

2015-06-30 08:45:03 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 二十九 )


大晦日には、「これから迎春という時に、このような山深い住まいはよろしくない」などと言って、乳母たちが無理矢理やって来ましたので、姫さまも強くは拒むこともできず、姫さまは都に戻り、そして、新年となりました。

なお故法皇殿の服喪中でございますから、新年といえども世間は華麗さなどどこにも見当たりません。
宮中におきましても、元日や三が日の行事も例年とは違っていて、実に味気ないものでございます。
二条の姫君には、さらに御父上の服喪も重なり、新春の晴れやかさなど望むべくもなく、改めて悲しみをかみしめる節目になっていました。
春の初めには早速に参詣していた神社へも、今年は参ることができませんので、姫さまは石清水八幡宮の門の外あたりでお祈りされました。

二月十日の宵の口に、姫さまは出産の兆しを訴えられました。
直ちにご準備にと周囲は慌ただしく騒ぎたてましたが、御所さまは弟である亀山天皇との間で難しい問題が起きている折でもあり、姫さま自身も服喪中のことでありますから、大げさな振舞いは控えねばならない状況ですが、隆顕の大納言殿が万端の指示をなさいました。

御所さまからも御室(オムロ・仁和寺性助法親王)にお頼みし、御本坊において愛染王の法、鳴滝の般若寺では延命供とか、毘沙門堂の僧正は薬師の法を、いずれも本堂で行われました。
姫さまのご実家の方でも、親源法印に聖観音の法を行わせるなど心ばかりの仏事供養を営まれました。
たまたま、七条の道朝僧正が大峰山での修業を終えて下山されておりましたが、「亡き大納言殿が、姫さまのことが不憫でならない、などと言い置かれたことが忘れられません」などと、申されておりました。

夜中頃になりますと、姫さまのご様子はさらに苦しそうになられました。
姫さまの叔母に当たられます京極殿が御所さまの御使いとしておいでになるなど、少しばかり騒がしくなって参りました。
母方の祖父の兵部卿殿もご高齢に関わらずお見えになりました。みなさまがお集まりになるにつきましても、御父上の大納言殿がご健在であったならと、涙を抑えることができませんでした。

姫さまは、介添えの方に寄りかかって、少しうとうととなされておられました。
これは後にお聞きしたことですが、この時姫さまは夢の中で御父上様とお会いしておられたそうでございます。お言葉はなかったそうですが、不憫そうに姫さまの後ろの方にお立ちになっていたそうです。でも、それではお姿は見えませんから、姫さまがお見えになれるあたりに立たれて、愛しい姫さまを見守っておられたのですよ、きっと。

やがて、亡き御父上の御加護もあって、見事に皇子さまを誕生なさったのでございます。
いろいろとお悩み事多い中、無事ご出産なされましたことは何よりおめでたいことでございます。御所さまから賜りました御佩刀(ハカセ・皇子誕生の際、父帝から賜る剣)も忍びやかであり、御験者への御礼なども大げさでない仕方ではありましたが、隆顕の大納言殿が取り仕切って下さいました。
御父上がご健在でありましたなら、当然河崎の御邸で御産をなされたことでありましょうし、口惜しいことも多々ございますが、御乳母のご準備なども隆顕の大納言殿がお手配なされ、御弦を打ち鳴らされ、さまざまな御行事もつつがなく取り進められていきました。

無事の出産に御安堵されてか、姫さまは静かな微笑みをたたえられておりました。
御父上とのあれこれや、御所さまとのことや、とりわけ雪の曙殿との罪深きことは切なく胸に迫っておられました。そして、御子誕生という晴れがましいことではありますが、大勢の人にこの身をさらしたことが辛く、神仏のご利益さえもこの辛さを救ってくれないだろうなどと考えておられました。

二条の姫君、御歳十六歳の春は皇子誕生の御慶びと共に、まだ女御でもない身の心細さや、何よりも雪の曙殿との切ないご関係は、先々の試練が思いやられてならないのでございます。

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