第五章 ( 二十一 )
その夜は、亡き御所さまの御四十九日のことに加えて、御父上の大納言様のことが思いだされたご様子で、姫さまは、側に仕える者にまでいつにない悲しみをお見せになられました。
思えば、御父上の大納言様もご逝去なさいましたのは八月のことで、秋の露と儚さを競うような頃でございました。
この度の御所さまの御崩御も、秋の霧となって立ち上られましたので、空の姿もしみじみと感じられていたご様子で、姫さまは、「雨になられたのであろうか、雲になられたのであろうか」と、御所さまの御旅立ちをとてもご心配されるのでした。
『 いづかたの雲路ぞとだに尋ねゆく などまぼろしのなき世なるらむ 』
( 御所さまは、生まれ変わられて、何処の雲路にいらっしゃるとつきとめて、お尋ねしてゆく道士がなぜいない世なのか。)(まぼろし=道士)
さて、姫さまは、かねてより大集経の残り二十巻を、書写申し上げていないことを気にされておりました。
何としても、御所さまの御百箇日までに書写を終えたいとお考えでございましたが、この頃には、姫さまのもとにはほとんど財というものがなかったのでございます。
もともと蓄財などには全くご関心が無く、仕える身などからすれば気が遠くなるような金銀や財貨なども、惜しげもなく人に差し上げたり御布施に使われてきたのでございます。
日々の費えなどは、仕える者がそこそこ備えておりますし、ご心配いただく筋もあるにはあるのですが、姫さまがお手元の中から御布施に回す物となれば、身にまとう衣さえ墨染の物以外にはなくなっていたのでございます。
側に仕える者がお預かりしている資財は、下々の者なら何十度でも何百度でも御布施に当てられる物なのですが、姫さまがお考えの御布施にはとても及ぶものではございません。
それに、さすがに姫さまも仕える者が申し出ましてもそれに手を付けるお気持ちはなく、むしろ、とても大切なものを手放される決意を固められたのです。御両親の形見の品を手放すと申されるのです。
姫さまの御母上様がお亡くなりになる時、「この子に与えよ」と言って、平らな手箱で、鴛鴦(オシ・おしどり)の丸い文様を蒔絵にして、付属品や鏡まで同じ文様で仕立てたそれは立派なのを形見にされたのでございます。
さらに、今一つは、梨地(蒔絵の一種)に仙禽菱(センキビシ・鶴を菱型にした文様で、久我家の家紋)を高蒔絵にした硯蓋の中には、「嘉辰令月」(カシンレイゲツ・和漢朗詠集から引用)と、亡き御父上の大納言様が御自身でお書きになった文字を金で彫らせた硯が納められているものでございます。
姫さまは、これらの形見の品々を御布施にと決心されたのでございます。
☆ ☆ ☆
その夜は、亡き御所さまの御四十九日のことに加えて、御父上の大納言様のことが思いだされたご様子で、姫さまは、側に仕える者にまでいつにない悲しみをお見せになられました。
思えば、御父上の大納言様もご逝去なさいましたのは八月のことで、秋の露と儚さを競うような頃でございました。
この度の御所さまの御崩御も、秋の霧となって立ち上られましたので、空の姿もしみじみと感じられていたご様子で、姫さまは、「雨になられたのであろうか、雲になられたのであろうか」と、御所さまの御旅立ちをとてもご心配されるのでした。
『 いづかたの雲路ぞとだに尋ねゆく などまぼろしのなき世なるらむ 』
( 御所さまは、生まれ変わられて、何処の雲路にいらっしゃるとつきとめて、お尋ねしてゆく道士がなぜいない世なのか。)(まぼろし=道士)
さて、姫さまは、かねてより大集経の残り二十巻を、書写申し上げていないことを気にされておりました。
何としても、御所さまの御百箇日までに書写を終えたいとお考えでございましたが、この頃には、姫さまのもとにはほとんど財というものがなかったのでございます。
もともと蓄財などには全くご関心が無く、仕える身などからすれば気が遠くなるような金銀や財貨なども、惜しげもなく人に差し上げたり御布施に使われてきたのでございます。
日々の費えなどは、仕える者がそこそこ備えておりますし、ご心配いただく筋もあるにはあるのですが、姫さまがお手元の中から御布施に回す物となれば、身にまとう衣さえ墨染の物以外にはなくなっていたのでございます。
側に仕える者がお預かりしている資財は、下々の者なら何十度でも何百度でも御布施に当てられる物なのですが、姫さまがお考えの御布施にはとても及ぶものではございません。
それに、さすがに姫さまも仕える者が申し出ましてもそれに手を付けるお気持ちはなく、むしろ、とても大切なものを手放される決意を固められたのです。御両親の形見の品を手放すと申されるのです。
姫さまの御母上様がお亡くなりになる時、「この子に与えよ」と言って、平らな手箱で、鴛鴦(オシ・おしどり)の丸い文様を蒔絵にして、付属品や鏡まで同じ文様で仕立てたそれは立派なのを形見にされたのでございます。
さらに、今一つは、梨地(蒔絵の一種)に仙禽菱(センキビシ・鶴を菱型にした文様で、久我家の家紋)を高蒔絵にした硯蓋の中には、「嘉辰令月」(カシンレイゲツ・和漢朗詠集から引用)と、亡き御父上の大納言様が御自身でお書きになった文字を金で彫らせた硯が納められているものでございます。
姫さまは、これらの形見の品々を御布施にと決心されたのでございます。
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