雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

懸命に花を咲かせる

2019-09-22 08:27:14 | 私の好きなフレーズ

   『 それにしても、酔芙蓉はどうしてこんなに沢山の花を咲かせるのでしょうか。』

植物が花を付ける主な目的は、人間に見せるためではなく結実させ子孫を残すためのはずです。
園芸で酔芙蓉を増やす方法は挿し木によりますが、花が終わったあとも放っておけば、沢山の実を付けます。全ての花に実を付けるわけではないのでしょうが、写真で見ますと相当の数です。
酔芙蓉は、あの種の数だけ子孫を残そうという気持ちはないと思うのですが、自分の後に続くものを育てるには、毎年毎年、命の続く限り、あれほどの花を咲かせる必要があると考えているのでしょうね。

               
(「小さな小さな物語」第八部 No.445 より )

 

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最高のスタート

2019-09-21 18:39:13 | 日々これ好日

        『 最高のスタート 』

     ラグビー・ワールドカップ
     日本チームはロシアに快勝 最高のスタートを切った
     決勝トーナメントへの 夢が膨らむ勝利だった
     今夜は ニュージーランドが南アフリカと戦う
     オールブラックスの 試合前のセレモニーも楽しみだ
     間もなく キックオフ


                   ☆☆☆

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ラグビー・ワールドカップ 開幕

2019-09-20 19:47:27 | 日々これ好日

        『 ラグビー・ワールドカップ 開幕 』

     開幕初戦 日本対ロシア 只今キック・オフ
     何としても勝ちたい試合だが 健闘を祈りたい
     わが国の成績も気になるが
     世界最高水準の国々の すばらしい試合ぶりを
     満喫させてもらおう

                    ☆☆☆

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彼岸花

2019-09-19 20:28:59 | 日々これ好日

        『 彼岸花 』

    
 彼岸の入りには少し早いが お墓に参った

     当地は 朝夕少し涼しくなったが 日中はまだ夏日
     そのためか まだ彼岸花に お目にかかっていない
     秋の彼岸会は 春と夏とが 手を握ったり 離したり

                     ☆☆☆



 

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くらげの骨

2019-09-19 08:23:06 | 麗しの枕草子物語

          麗しの枕草子物語
               くらげの骨

中宮さまの御弟であられる中納言殿が、中宮さまに御扇を進上なさいます時のことでございます。

「この隆家は、とてもすばらしい扇の骨を手に入れましたぞ。その骨に紙を張らせて進上申し上げようと思っているのですが、なかなか釣り合うだけの紙が見つからないのですよ」
「どのような骨なのか」
と、中宮さまがお尋ねになられますと、
「それはそれは、すばらしいのです。誰もが『今まで見たこともない、すばらしい骨だ』というのです。本当に、これほど凄い骨は、これまで見たことがありませんよ」
と大声で仰られるものですから、ついつい私は、
「それほどの物でしたら、きっとそれは扇の骨ではなく、くらげの骨なのでしょう」
と申し上げますと、
「これはすばらしい。このことは、この隆家が言い出したことにしてしまおう」
と言って、お笑いになられました。

少々、自慢話になってしまいましたかしら・・・。


(第九十七段 中納言まゐりたまひて・・・、より)

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国際親善

2019-09-18 19:11:52 | 日々これ好日

        『 国際親善 』

    
 佳子さまの オーストリア訪問の様子が 報じられていた

     実に微笑ましく なんだか誇りに感じてしまう
     皇室外交という言葉は 安易に用いるべきではないと思うが
     わが国のイメージアップに 大きな役割を果たされている
     政治ではなく 経済でもなく
     まったく違う次元での国際親善は 有難いことだと思う

                          ☆☆☆
     

 

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無償の愛

2019-09-17 19:16:07 | 日々これ好日

        『 無償の愛 』

    
 岡山県玉野市の渋川動物公園

     タヌキの赤ちゃんを 雌ネコが母親代わりになって育てているとか
     雌ネコには 自分が産んだ子ネコも一匹いるが
     まったく同様に お乳を飲ませ 排泄を助け 大切に育てているとか
     このニュースを見ると 「無償の愛」というものは あるのだと思う
     何かと世知辛い 人間社会が 少々恥ずかしい

                            ☆☆☆

 

 

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種を蒔く

2019-09-16 19:09:21 | 日々これ好日

        『 種を蒔く 』

    
 久しぶりに 種を蒔いた
     暑さがおさまってからと考えていたが  待ちきれず
     ダイコンとインゲンの 種を蒔いた
     トマトなどを抜いたあと 放り出していたが
     ちょっぴり ゴンベさんの心境を満喫した

                  ☆☆☆
                 

     

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果てぞなき

2019-09-16 08:38:42 | 新古今和歌集を楽しむ

     武蔵野や ゆけども秋の 果てぞなき
                 いかなる風か 末に吹くらん 
 


                  作者 左衛門督通光

( No.378  巻第四 秋歌上 )
            むさしのや ゆけどもあきの はてぞなき
                        いかなるかぜか すえにふくらん
 



* 作者は、鎌倉時代初期の公卿であり歌人である。( 1187 - 1248 )享年六十二歳。

* 歌意は、「 武蔵野は 行けども行けども 秋の果てに行き着かない 野末には どのような風が吹いているのだろう 」といったふうの、ごく素直に感じ取れる和歌と思われる。平易と言えばそれまでであるが、それが返ってスケールの大きさを感じさせるように思う。

* 作者の左衛門督通光(サエモンノカミ ミチテル)は、村上源氏のれっきとした貴族である。
鎌倉時代の始まりについては諸説あるが、かつて一般に言われていた「イイクニツクロウ・・1192年」というのはほぼ否定されていて、1183年あるいは1185年という説が有力のようである。いずれにしても、源通光という人物は、鎌倉時代の幕開けに誕生した人物といえる。
壇ノ浦の戦いにおいて、平氏はほぼ全滅、安徳天皇が神器と共に入水したのが 1185年。後鳥羽上皇が鎌倉幕府と戦って敗れ、公家勢力の衰退を決定づけたとされる承久の乱が 1221年。通光はこの激動の時代を乗り越えて、衰退していく公家勢力の中で重責を担っていった人物と言える。さらに言えば、通光の生存中に天皇は、「後鳥羽・土御門・順徳・仲恭・後堀川・四条・後嵯峨」と変わっているのである。

* 通光は、内大臣通親の三男として誕生したが、生母が後鳥羽天皇の乳母であったことから嫡男扱いの待遇を受けている。
出生の翌年、1188年には叙爵、1190年には加賀守に就いている。もちろん、四歳(数え年)の子供に任務が果たせるはずもないし、源平の争いは公家勢力の衰退を誘引し、加賀守という職位にどれほどの実利があったのかは分からないが、異例の昇進であることは間違いあるまい。
1201年、十五歳にして公卿に列している。また、この頃に歌壇にデビューしていて、早くして和歌の才能も評価されていたようである。また、後年には琵琶の名手とも評価されていたようで、多彩な才能の持ち主であったようだ。

* 本歌の作者名として冠されている「左衛門督」に就いたのは、1205年のことで、十九歳の頃と考えられる。左衛門督は四位クラスが就くことが多かったようだが、通光はこの年に従二位に昇っている。権中納言と兼務だった可能性があるが、昇進が早すぎたのかもしれないと思うほどである。
承久の乱では、後鳥羽上皇の皇子の一人である雅成親王に娘が嫁いでいたこともあって、上皇とは連絡を取り合っていたようである。
そのため、雌伏の時期もあったがやがて復帰し、公家政権の中核を担い、六十歳にして太政大臣にまで昇り詰めている。

* 因みに、通光の兄弟たちもそれぞれに上級貴族として存在を示している。
長兄の雅通は、通光より二十歳ほど年上であるが、三十一歳で亡くなっている。官位は正四位下参議止まりであったが、雅通の死後に娘の通子が土御門天皇の典侍となり、三男二女を儲けた。そして、その通子が亡くなって二十年以上たって、末子の邦仁王が後嵯峨天皇として即位するのである。それによって、雅通には、従一位左大臣が贈られている。
次兄の通具は、正二位大納言に昇り、堀川家の祖とされている。
四男の定通は、正二位内大臣となり、土御門家の祖とされている。
五男の通方は、同じく正二位となり、中院家の祖とされる。
通光自身も、久我太政大臣と呼ばれ、一般的に久我家の祖とされている。但し、久我を名乗っているのは、四代前の雅実が名乗っていて、これを初代とする説もあるようだ。

* 筆者のように、歴史を単なる趣味として楽しむ者にとっては、源通光が生きた時代は、源平の戦い、平家の滅亡、鎌倉政権、承久の乱など興味深い出来事が多すぎる時代で、源通光なる人物に焦点を合わせることは少ないと思われる。
しかし、この一族の消息を追うとすれば、少し違った鎌倉時代が見えてくるような気もするのである。

     ☆   ☆   ☆

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マラソン すばらしかった

2019-09-15 18:43:16 | 日々これ好日

        『 マラソン すばらしかった 』

     
東京五輪代表選考のマラン すばらしいレースだった

     男女とも 世界とは少し差がついてしまっているが
     東京の夏は 少し違うレースになりそうだ
     代表内定選手の オリンピックでの検討を期待したい
     そして何よりも  今回の選考方法は 実にすばらしいと思う

                        ☆☆☆


     

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