麗しの枕草子物語
朝帰りの心得
想い人のもとから朝帰りをする男性には、それなりの心得があるはずですよ。
まだ明けきれぬうちから起き出して、そそくさと身支度をするなどは最低です。
いくら時間が気になるからといっても、寝床から離れるそぶりなど微塵も見せないで、
「もう、朝ですよ」
と、女性に言わせることが大切なのですよ。
さらに、そう言われながらも、なおぐずぐすと寝床から離れようとしないで、昨夜からの甘い会話の続きを楽しみながら、女性に急かされて仕方がない様子で着替えすることが大切なのです。
衣服も少々だらしなく、首元も緩んでいるような状態で、女性の肩を抱き、次の逢瀬までの切なさなどをささやきながら出口に向かい、女性が同じように切ない気持になっているうちに、滑り出すように外へ出るのです。
想い人のもとから朝帰りするからには、この程度の心得が必要なのは、当然のことでございましょう?
(第六十段 暁に帰らむ人は・・、より)
『 この土日は自重を 』
緊急事態宣言が解除された県を中心に
多くの地域で 少しずつながら 自粛要請が解除され始めた
各都道府県の知事にとっては むしろこれからの対処が大変だと思う
知事のご苦労を少しでも支えるためには
明日と明後日は あまりはしゃぎ過ぎないで
可能な限り 自重しましょうよ
自粛の効果を 一気に台無しにしないように
ゆっくり ゆっくりと 活動量を増やしていきましょう
☆☆☆
『 どう変わるのか どう変えるのか 』
緊急事態宣言 39県を解除
それに関して 今 首相会見が行われている
解除されなかった大阪府も 自粛の一部解除に動く
おそらく 京都府・兵庫県も かなりの部分について協調するだろう
さて それぞれの府県は
何がどう変わるのか 何をどう変えるのか
お手並み拝見!!
☆☆☆
『 頼もしい限り 』
テレビで 星野リゾート代表のインタビューを
お聞きする機会があった
新型コロナウイルスによる営業被害が
最も厳しい ホテル業界にあって
18か月を単位として 対処を考えているとの話など
ホテル業界・観光業界について 力強い構想を述べられていた
わが国は 大丈夫だ
政府には 厳しい人や業界への 手厚い施策の実行を願うが
逞しく 将来を見つめている人や企業は 沢山いらっしゃる
頼もしい限りだ
☆☆☆
やよ時雨 もの思ふ袖の なかりせば
木の葉ののちに 何を染めまし
作者 前大僧正慈円
( No.580 巻第六 冬歌 )
やよしぐれ ものおもふそでの なかりせば
このはののちに なにをそめまし
* 作者は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した天台宗の僧、歌人。( 1155 - 1225 )行年七十一歳。
* 歌意は、「 なあ時雨よ 物を思い紅涙に染まる袖が 無ければ 木の葉ののちに なにを染めようというのか 」といったものであろう。
* 作者 慈円(ジエン)は、新古今和歌集に92首採録されていて、西行に次ぐ第二位の多さである。本稿でも複数回取り上げている。
慈円が生きた時代は、平安時代から鎌倉時代へと移り行く真っただ中にあった。鎌倉時代の始まりについては諸説があるようだが、1185年とした場合、慈円は、平安時代に30年、鎌倉時代に40年生きたと人物というとになる。もちろん、時代区分が変わったからといって何もかもが一変するわけではあるまいが、平安時代と鎌倉時代の間には、後世から見た学術的な区分であるが、それは、古代から中世への移行であり、公家中心の政権から武士中心の政権への移行という大変革の時代であったことになる。
* そうした激しい時代に生きた慈円を一人の高僧としてとらえ、和歌の上手としてとらえるとすれば、慈円という人物を見間違うような気がするのである。
新古今和歌集に最も多く採録されているのは西行(94首)で、二位が慈円である。慈円が生きた時代が先に述べたように激しい時代であるのと同様に、新古今和歌集が編まれた時代も同様の背景を背負っており、編纂を命じた後鳥羽院も波乱の生涯を送っている。
そうした時代の和歌集の代表的歌人として、西行、慈円という僧籍にある人物が一位、二位を占めているのは、どういう理由からかと考え始めると、興味も疑問も深まるばかりである。
* この二人が上位に選ばれた理由が、単に抜群に歌を詠む能力が高かったからだとすれば、何の疑問の余地もないことになるが、本当にそうであったのだろうか。
もちろん筆者には、和歌の技量を判定する力などあるはずがないが、そう断定するほどの資料は残されていないように思われる。
和歌(長歌などを含めたわが国の歌全般)や言葉に、特別な力を感じ、それを生み出す人物に対する畏敬は、大和時代より低下しているとはいえ、この時代においても、和歌は上流社会における教養の重要な地位を占めており、新古今和歌集の採録和歌数が上位の人物を見ても、皇族、貴族、宮廷女房に限られていて、そこに僧籍の人物が加わっている構図になっていて、僧籍の者、特に高僧は中央政権に極めて近い辺りに位置していたように思われるのである。
* 慈円は、幼い時に青蓮院に入寺し以後僧籍にあって大僧正まで上り詰めた人物である。決して形式だけの僧侶ではない。しかし、その出自を重ねてみると、少し違うものが見えてくる。
慈円は、摂政・関白を勤めた藤原忠通の十一男として生まれた。当時の上級貴族が複数の妻妾を持つのは普通であり、多くの子を設けるのも珍しくない。慈円も、母の違う兄弟姉妹となれば、全員を知っていたのかどうかと思われるほど多かったようだ。貴族の子が僧籍に入ることは珍しい事ではなく、慈円の場合も、十一男ともなれば、「出家でもさせるか」といった光景が浮かんでくるが、それは、少し違うようにも感じられる。
* 忠通は、藤原北家の本流に生まれ、公家政治の全盛期は過ぎつつあったとはいえ、壮絶な権力闘争を繰り広げた人物である。父兼実・弟頼経連合との主導権争いは歴史の一ページを演出しているのである。
これは結果論かも知れないが、兼実家(九条家)の地位向上に子たちの存在が大きな力になっている。
四男の基道は近衛家の祖であり、九条家を継いだ六男兼実から一条家・二条家が誕生しているのである。また、次男の覚忠は第五十世天台座主に就いており、九男の信円は第四十四代興福寺別当になっている。
そう考えれば、慈円の出家は、決して「とりあえず出家でも」といった類ではなかったと考えられるのである。
* 幼くして、おそらく十歳未満で出家したと推定される慈円に、父や周囲の思惑など考慮することなどなかっただろうが、慈円は、期待以上の存在になっていった。
当時の巨大宗教組織の影響力は、武家の力がまだ未熟であったことを考えれば、精神面ばかりでなく武力面においても中央政治に与えている影響力は、一般に伝えられている以上に大きかったような気がする。
その前提に立てば、第六十二世、第六十五世、第六十九世、第七十一世と、四度にわたって天台座主に就いた慈円の存在は、単に比叡山を護るための行動とは思えないのである。
慈円は、僧籍にありながら、九条兼実の孫である道家を後見し、その子の頼経が第四代鎌倉将軍に就くにあたって、いくばくかの影響も果たしたようである。
* 新古今和歌集の和歌と歌人を紹介するのを目的とした本稿としては、いささか焦点が外れている内容となってしまったが、慈円は、もしかすると、わが国が、古代から中世へ、公家政治から武家政治へと移っていった時代の有力な体験者の一人だったように思われるのである。
☆ ☆ ☆
『 浮足立たないで 』
緊急事態宣言の延長と同時に
出足戦略云々が 賑やかになってきた
政府も その気満々であるが
それでは 何のための延長だったのか
どうも 外出自粛も含め
戦略の多くに 疑問符が付きそうな気がしてきたが
相手は 政府ではなく 手ごわいコロナウイルスなので
浮足立たないで 感染防止の努力を 地道に続けましょう
☆☆☆
『 希望が見えて来たぞ!! 』
新型コロナウイルス
月曜日の影響もありそうだが
新たな感染者数が 全国的に少なかったようだ
厳しい外出自粛の効果が 少しずつ出てきているようだ
目途だ 誤解だと とんでもない発言は腹立たしいが
誰のためでもない 私たち自身のために
あと一息 可能な限りの自粛を心がけましょうよ
☆☆☆
『 ふつうの生活 』
テレビで サザエさんを見た
ユーモアたっぷりとはいえ
ごくごく普通の生活が描かれている
その状況が
何だか特殊な世界のように 見えてくるのが辛い
あと一息と信じて
可能な限り 感染を防ぐ行動続けよう
☆☆☆
『 穏やかであれ 』
当地は 午後から雨 風もやや強い
先日植えたキュウリの苗は
三日前の強風で 二本が倒されてしまった
残った二本も 今夜の風雨に堪えられるかどうか 微妙
緊急事態宣言が残されている中で
多くの地域で 手探りながら 人々の動きが増えてきた
嬉しい気もするが
「コロナよ 穏やかであれ」と祈るばかり
☆☆☆
『 この週末も自重を 』
緊急事態宣言の延長戦に入って 最初の週末となる
テレビ報道に限った知識だが
自粛制限が緩められた地域ばかりでなく
特定警戒の13都道府県においても 少し変化がみられるようだ
折から 全国的に感染者数の減少が見られるだけに
気分転換に動く人が 増えそうな懸念がする
とりあえずこの週末は 可能な限りの外出自粛に努めたい
☆☆☆