『 変化の季節 』
わが町内の自治会も 役員の引き継ぎの時期になった
この1年 ほとんど集会らしいことも出来ないまま過ぎたが
役を降りることになり 少しほっとしている
テレビ業界も 多くの番組に変更があるようだ
ただ コロナ対策は 飲食店の営業規制中心に
変化がないようだ
東京の繁華街の人出は 相当増加しており
緊急事態宣言の賞味期限が 切れかけているように見える
ここも 変化が必要なのかもしれない
☆☆☆
『 お水取り 』
東大寺二月堂の お水取りの様子が
テレビで放映されている
お水取りといえば 私などは 松明の豪壮な行事が浮かぶが
堂内では 厳しい荒行が行われているそうだ
二週間にわたる行事も 今日が最終日
関西では お水取りが終れば 本格的な春が到来すると言われている
関西では昨夜から朝にかけて 関東は午後から
厳しい荒天に見舞われたが 季節の分かれ目なのだろうか
☆☆☆
『 凄まじい無駄遣い 』
総務省職員の 外部業者と会食に絡むトラブルは
広がりを見せていて 収束に手間取りそうだ
それにしても 伝えられている会食の内容が事実だとすれば
接待する方もされる方も 自腹を切らずに 贅沢したい様子が
透けて見える 卑しさも見えてくる
汚職につながる恐れがあるのなら
もっと厳しい条件と 違反者にも厳しい罰則を与えるべきだ
それにもまして 国会で まるで自慢げに
メニューを示して討議しているなど 情けなくなってくる
コロナ対策など どうでもいいのだろうか
凄まじい無駄遣いのように見えて 仕方がない
☆☆☆
『 祈りの一日 』
東日本大震災から10年
復興の程度は 地域により 個人個人により様々
そうした中での 祈りの一日であった
そして 今もなお 行方不明の人々を捜索する人たちの姿があった
余りにも 辛い・・・
☆☆☆
『 踏ん張りどころ 』
新型コロナウイルスの新規感染者数
首都圏を中心に 減少傾向が 底を打った感じ
飲食店の営業時間短縮や マスク会食などといったことが中心の
緊急事態宣言は 早く解除すべきだと思うが
私たち一人一人の 行動のあり方の 再確認が必要な時のように思う
例えば 在宅勤務が本当に重要であるならば
国会や官庁こそ 率先して実戦すべきだと思う
ワクチン効果を期待しているが 今は 再々拡大防止のための
踏ん張りどころではないだろうか
☆☆☆
『 10年という期間 』
今朝も 宮城県沖を震源とする 震度4という地震があった
あの東日本大震災から 10年を迎えようとしているが
なお 余震が頻発している
自然の脈動からすれば 10年などは一瞬とさほど差が無いのかもしれない
人間に与えられている時間は それほど長くは無いと思うが
大災害からの復興は 10年では足らないようだ
さらに 原発事故の処理となれば この先どれほどの時間を必要とするのだろう
人間に与えられている時間からは 原発の制御は 相当困難なのかもしれない
☆☆☆
もろともに あはれといはずは 人知れぬ
問はず語りを われのみやせん
作者 大納言俊賢母
( No.1000 巻第十一 恋歌一 )
もろともに あはれといはずは ひとしれぬ
とはずがたりを われのみやせん
* 作者は、平安時代中期の貴族女性。( 934? - 962? )生没年を不詳とする資料もあるが、この推定に従えば、二十九歳で亡くなったことになる。
* 歌意は、「 お互いに 愛しいと言わないでいるのであれば 誰にもあかせない 切ない独り言を わたしだけがしているのでしょうか 」という恋歌であろう。
* この和歌の前書き(詞書)には、『返し』となっており、No.999には、西宮前左大臣の和歌が載っている。
『九条右大臣のむすめに、はじめて遣わしける』
「 年月は わが身に添へて 過ぎぬれど 思ふ心の ゆかずもあるかな 」
とあり、二人の最初の恋文といえる。
* この西宮前左大臣というのは、波乱の生涯を送った源高明(ミナモトノタカアキラ・(914-983))のことである。源高明は、醍醐天皇の第十皇子として誕生したが、七歳の時、源朝臣の姓が与えられて臣籍降下した。
皇族の身分を離れはしたが、十七歳の頃までは父は皇位にあり、有形無形の後援があったことは十分考えられる。さらに、当時の実力者である藤原師輔(九条右大臣)やその娘である村上天皇の中宮・安子 の信頼を受けて、公卿として異例といえるほどの昇進を重ねた。もちろん、出自や有力者の支援だけでなく、本人の資質も卓越していたようで、学問に勝れ朝儀にも明るく、朝廷で重きを成していった。
しかし、師輔や安子が世を去ると共に、傑出しつつあった高明に藤原氏は警戒を強め、遂に、962年の安和の変において罪を問われ、太宰権師に左遷された。実質的には流罪にあたる。
その罪が許されて帰京したのは、972年のことであるが、政界に復帰することはなく、隠棲生活となったが、封戸も与えられ、決して惨めな晩年ではなかったようである。
* 作者の「大納言俊賢母」は、九条右大臣・藤原師輔の三女として誕生した。村上天皇の中宮安子は同母の姉にあたる。同母の兄や姉妹は八人とされるが、異母の兄弟姉妹となれば、二十人に及ぶと考えられる。その中でも、「大納言俊賢の母」と同母の兄たちからは、平安王朝の絶頂期に君臨した公卿たちを輩出している。つまり、作者は、超一流の姫君として誕生し、一世源氏という出自の源高明と結ばれているのである。ただ、不思議なことは、師輔の多くの子供たちのうち男子はもちろん女子のほとんどの名前が伝えられているが、作者だけは「大納言俊賢母」とされていて、筆者の力では名前を知ることが出来なかった。
* 「大納言俊賢母」は、掲題の和歌の交換があってからどれほどの後のことなのであろうか、二人は結ばれている。高明は、「大納言俊賢母」より二十歳ほど年長であること、二人の間に三男一女を儲けていることなどから推定すれば、「大納言俊賢母」は、まだ十代であったように思われる。
作者の呼び名に使われている俊賢は、この二人の間の子の一人であるが、父の高明の失脚、藤原氏全盛の中での源氏でありながら、正二位権大納言まで昇っていく過程では、並々ならぬ苦難があったのではないかと察せられる。父譲りの学才に加え、時の執政者の藤原兼家、道隆、道長らと巧みに接したからとも伝えられている。一方で、その資質を評価しない記録もあるようだ。
俊賢については、その人物評価は分かれており、もっと深く学ぶ必要があるが、不利な環境を切り抜けていった一面を持っていることは確かであろう。
* さて、肝心の作者「大納言俊賢母」の生涯であるが、行年が二十九歳とすれば、余りに早い死去に哀れさを感じることは確かである。
しかし、時の政界の中心人物の家に生まれ、一世源氏の高明と結ばれるなど、平安王朝のもっと日の当たる場所にありながら、夫の没落、源氏の衰退のいう逆境の悲哀を感じたのではないかと思っていたが、実は、そうではなかったようなのである。
作者が亡くなったとき、俊賢は満年齢で二歳になるかならぬかという頃で、その悲しみは大きかったであろうが、それゆえに、その頃夫の高明は、大納言であり中宮大夫(中宮は安子)を兼務するなど絶頂期にあった。
夫の失脚に直面することもなく、俊賢の逆境も知ることなく、平安王朝のもっとも恵まれた環境の中での生涯だったと思われるのである。
☆ ☆ ☆
『 そろりそろりと 』
久しぶりに 外食をした
平日としては 人出も 通常に近い感じ
首相も国際会議に出席し
国会は 相変わらず リモートなど知らぬ顔
スポーツ観戦なども 制約を受けながらも 開催されつつある
お上からは 懸命に自粛を呼びかけているようだが
下々は そろりそろりと 動き出しているようだ
ただ 感染者数は 完全に下げ止まっており
上に行くのか下に行くのか 少々不気味
☆☆☆
『 本来の姿 』
菅首相 昨日は福島 今日は京都で国際会議
総務省の接待問題は お粗末すぎるし
コロナ対策も 決め手に欠ける
何もかも 政権の責任 首相の責任と責めるのもよいが
昨日今日のような 首相の姿をもっと見たい ものだ
☆☆☆
『 春の風物詩 』
当地あたりの 春の風物詩の一つである
イカナゴ漁が解禁になった
くぎ煮にするため 熱心なファンは多く
しばらくは スーパーなどで手に入れるのが大変のようだ
残念ながら 今年も不漁のようで 5年連続になる
マグロやサンマなど 多くの魚の減少が話題になるが
イカナゴは 瀬戸内海だけの問題だと思うのだが
問題解消は 簡単ではないらしい
くぎ煮を頂戴できるのは いつになりますかなぁ
☆☆☆