マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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再びモンゴルへ

2010年07月14日 08時39分08秒 | ぽつりと
何ヶ月も前から用意周到に準備してきた次男。

今回は海外保険を先週に済ませた約2ヶ月のモンゴル旅。

荷作りは万全。それ様にザックも大型に替わった。

前回は飛行機で旅立ったが、今回は船旅。

神戸からフエリーで中国に渡るという。

安価な旅をスタートした。

いつ中国に着くのか船旅の日程の詳細を知らされていないかーさんは二日後に寝られんようになった。

相変わらず連絡はしてこない。

中国のどこに着くのだろう。

調べてみりゃチャイナエクスプレスラインという航路があるではないか。

それによれば天津だ。

そこからは汽車でモンゴルに行くのであろう。

大陸は汽車だと言っていたんだけど。

それから4日も経つが音信不通になった。

メールを送っても反応はない。

電話は当然ながら電源切れか通信不能のメッセージ。

襲われたのではないだろうかと、心配で眠れないかーさん。

毎日泣いてばかりで考えることはマイナス方向で悪いほうへとストーリーを作っていく。

この状態が続くなら、警察に行方不明の手続きをしてビザをとって大陸まで行きたいという始末。

そんな毎日が続いていた5日目の9日。

留守番電話が入っていた。

本人の声が残されていたのを聞いたかーさんは嬉しさと安堵で涙があふれ出た。

心配しなくとも節目には電話をしてくるだろうと思っていた通りだった。

昨年も旅立ってからメールはするし、電話もするものだから戻ってから「もうかけやんといてや」と意志を伝えていた。

次男は大陸でなにもかも解放されたかったのだ。

しつこく通信すればするほど「ほっといたろっ」てなことになる。

初日は大陸行きのフェリーが出港したとき。

5日目は大陸を走る汽車に乗ったとき。

次は下車したときかモンゴルに着いたときになることだろうと思っていたら、6時間後に再び電話がかかった。

なんでも携帯が圏外になったままで繋がらなかったという。

そうだったのか。

圏外のままでは使えないので契約を解除してくれというがそれは必要ないだろ。

少ない話中時間に恐ろしい目にあったことが報告された。

中国でタクシーに乗ったそうだ。

日本人は次男を入れて3人。

運転はそうとう荒かった。

飛ばす、飛ばす。

びゅんびゅん飛ばして、突然に横転した。

幸いにも次男は怪我がなかったが一人は軽症で病院行きとなったそうだ。

心配のタネがまたひとつ増えた。

モンゴルゲストハウスに無事に着いた2度目のモンゴル行き。

果たしてその目的とは。話の端々によればどうも永住する気でいるらしい。

だから今回は仕事ができるかどうかという点であろう。

海外旅行なぞ行くことはあるまいとしていたかーさん。

パスポートの手続きをしたのはいうまでもない。

で、その後の電話はあったのか。

6月20日といえばそれから10日後だ。

それまで音信はなかった。

元気でなによりなんだろう。

かーさんも電話コールをしなくなっていた。

ゲストハウスに滞在しながらモンゴルを堪能しているらしい。

今度もモンゴルへ行くのかと聞けばそうでもないそうだ。

3度目はないという。

見飽きたらしい。

で、次はどこやねん。

帰ってきた返事はアフリカだった。

まだまだ心配のタネはつきない。

その後も一週間おきぐらいに状況を知らせてくる。

ところが、身体がえらいことになったので緊急帰国したいと電話がかかった。

7月13日のことだ。

(H22. 6. 4 記)