およそ60年前から始められたという新穀の寄進。
N町に住むTさんの話によると5軒ほどの農家の方が、法隆寺から水をもらっていたので新穀が採れたさかいに奉納したらどうかと始めたそうだ。
先々代からの慣わしは、さらし木綿の袋に入れた一升ほどの新穀を入れてお寺が来るのを待つらしい。
12月だったか1月だったか覚えてないがお寺から用意しておくようにと伝えられる。
それがあれば寄進者に声を掛けて何時来てもいけるように待っているという。
袋には寄進者の名前が記されているらしい。
それはずっと同じものだそうだ。
お寺は持って帰ると次の収穫が行われるころに袋だけを持ってくる。
寄進者にはお寺から食事の招待が届く。
日にちは指定なのであろう。
食堂かどうか判らないが、そこでお寺の食事をよばれる。
サケの切り身など精進料理のようなものらしい。
ごはんもある。
それは新穀で炊いたご飯であろう。
撮影は一切受けることができないとTさんは話す。
だれが許可したのだとお寺からクレームがでるのだという。
(H22. 6. 5 聞き取り)
N町に住むTさんの話によると5軒ほどの農家の方が、法隆寺から水をもらっていたので新穀が採れたさかいに奉納したらどうかと始めたそうだ。
先々代からの慣わしは、さらし木綿の袋に入れた一升ほどの新穀を入れてお寺が来るのを待つらしい。
12月だったか1月だったか覚えてないがお寺から用意しておくようにと伝えられる。
それがあれば寄進者に声を掛けて何時来てもいけるように待っているという。
袋には寄進者の名前が記されているらしい。
それはずっと同じものだそうだ。
お寺は持って帰ると次の収穫が行われるころに袋だけを持ってくる。
寄進者にはお寺から食事の招待が届く。
日にちは指定なのであろう。
食堂かどうか判らないが、そこでお寺の食事をよばれる。
サケの切り身など精進料理のようなものらしい。
ごはんもある。
それは新穀で炊いたご飯であろう。
撮影は一切受けることができないとTさんは話す。
だれが許可したのだとお寺からクレームがでるのだという。
(H22. 6. 5 聞き取り)