マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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気分が滅入る

2011年05月16日 08時27分35秒 | ぽつりと
深夜11時32分、震度6強(マグニチュ-ド7.2)の地震が再び襲った東北地方。

震源地は宮城だった。

送別会を終えたその夜は寝床のなかだった。

翌朝、起きてみれば実弟から着信履歴が残っていた。

発生から1時間後の時間帯だ。

返信したら上ずった声が聞こえてきた。

突きあげられるような揺れに家具やテレビが倒れた。

タンスの下敷きにならんでよかったけど、コワイから車のなかにいてた。

電気も止まった。

やっと回復した矢先の揺れが強い余震にたまらんという。

再びローソク生活なんで気分が滅入って精神的にまいっていやになってしまうと話す。

プロパンはそろそろ尽きてしまう。

カセットコンロは使い果たした。

朝のテレビでは避難所の映像が出ているものの、そんな実弟の様子は放送されていない。

ネットもそうだ。

励ましの言葉は見つからない。

援助できるのはなにだと考えてそのカセットコンロのボンベを買ってきた。

宅配便で送ることにしたが・・・。それは送れない。

「火種」は送ることができないちゅうわけだ。

どうしたら届くのであろうか手段は見つからない。

弟家族が住む青葉地区。

都市ガスは数日前に繋がってようやくお風呂に入れたその晩に再び止まった様子を夕方のニュースで伝えていた。

かわいそうやけど怪我なくてよかったとおふくろがいう。

そのおふくろは通じた電話で状況を聞いていた。

それから一晩中地震のニュースを見ていたそうだ。

前日には従姉の旦那のFさんが家にやってきて義援金を送ってほしいと伝えられた。

その前の日には従妹のHちゃんから送られた梅干しを食べていた。

それはたいそう美味しかったから仙台に送ったら喜ぶやろなと思って送り主に電話をした。

震災にあっていることは知らなかったそうだ。

そんなんやったらすぐに送ってあげると・・・。

従妹も弟に電話したそうだ。

子供のときから一緒に遊んでいた従妹たち。

長電話になったそうだ。

義援金を現金書留で送った。

最大の余震が発生したのはその夜のことだった。

余震の痕跡がタテ200km、ヨコ500kmの広範囲に亘って相当数が発生している。

印は真っ赤だ。

遠く離れた私はそれを見てさらに滅入っていく。

それから2日後の朝。

宅配便が不可ならネット通販はどうだろうかと思って試しに探ってみた。

楽天ショップのメガカスタマイズの「コン郎」の在庫はまだあるようだ。

送り先を実弟宅に指定して注文した。

受付は完了メッセージを出力した。

無事に着いてくれればいいのだが・・・。

11日の17時16分には福島県内で震度6弱(マグニチュード7.1)が発生。

宮城は4弱だった。

その10分後には5弱が・・・。

心が安らむ日がまた遠のくその2時間後には無事にガスボンベが届いたと電話があった。

都市ガスだけがまだ復活していない。

近くまで工事が進んでいるのだが管に水が溜まっておおじょうしているらしい。

それまでは送ったガスボンベが役立つので助かると喜んでいた。

<写真は送別会の花束>

(H23. 4. 7 記)
(H23. 4. 8 SB932SH撮影)