かつては10月15日が秋祭りだった天理市苣原町の惣社九頭神社の秋祭り。
現在は村人が集まりやすい最終日曜にされている。
前日の宵宮ではお渡りをしていた宮本衆。
その日は当屋の4人と宮本十一人衆が素襖を着てお渡りをするのだが雨天だったために普段着となったそうだ。
お渡りを済ませると拝殿で次の当屋に神さんの分霊を祀るヤカタを引き渡す儀式が行われたようだ。
それを受けるのはウケ当屋。
ウケドとも呼ばれる。
分霊を祀るヤカタにはサカキに白い扇子とカワラケが納められていたと話す当屋。
それを家で一年間祀っているという。
苣原の宮座は左座の五人と六人の右座で構成されている。
生まれたときからその座に属するとされ、宮守の役目を終えるまで担う宮本衆と呼ばれている。
90歳になった一老をはじめとして若手でも70歳を超える宮本衆は、欠員が生じたときに衣装を引き継いだ次の人(年齢順)が加わるそうだ。
その左座、右座ともに当屋はウケ当屋の二人ずつで4人。
昔は生まれた長男が宮本の座に入ったとされる。
苣原は32軒の戸数であることから7年に一度は廻ってくるそうだ。
およそ20年前の祭りでは大きな御輿があった。
オーコで担いだ御輿には8人の子供が乗って太鼓を叩いていた。
酒を飲んで「ヨイショ ヨイショ」と勇ましく担いでお練りをしていた。
よれよれと練っていた御輿は石垣にドーンとぶつけることもあった。
喧嘩御輿とも呼んでいたそうだ。
その御輿は土蔵に残されている。
祭りには繰り出すことはないが扉を開けておく。
藁の土壁には「明治19年」の記銘がある。
そのときに造られたのか、定かでないがかなりの高さである。
オーコと言えば公民館に納めている。
(H23.10.23 EOS40D撮影)
現在は村人が集まりやすい最終日曜にされている。
前日の宵宮ではお渡りをしていた宮本衆。
その日は当屋の4人と宮本十一人衆が素襖を着てお渡りをするのだが雨天だったために普段着となったそうだ。
お渡りを済ませると拝殿で次の当屋に神さんの分霊を祀るヤカタを引き渡す儀式が行われたようだ。
それを受けるのはウケ当屋。
ウケドとも呼ばれる。
分霊を祀るヤカタにはサカキに白い扇子とカワラケが納められていたと話す当屋。
それを家で一年間祀っているという。
苣原の宮座は左座の五人と六人の右座で構成されている。
生まれたときからその座に属するとされ、宮守の役目を終えるまで担う宮本衆と呼ばれている。
90歳になった一老をはじめとして若手でも70歳を超える宮本衆は、欠員が生じたときに衣装を引き継いだ次の人(年齢順)が加わるそうだ。
その左座、右座ともに当屋はウケ当屋の二人ずつで4人。
昔は生まれた長男が宮本の座に入ったとされる。
苣原は32軒の戸数であることから7年に一度は廻ってくるそうだ。
およそ20年前の祭りでは大きな御輿があった。
オーコで担いだ御輿には8人の子供が乗って太鼓を叩いていた。
酒を飲んで「ヨイショ ヨイショ」と勇ましく担いでお練りをしていた。
よれよれと練っていた御輿は石垣にドーンとぶつけることもあった。
喧嘩御輿とも呼んでいたそうだ。
その御輿は土蔵に残されている。
祭りには繰り出すことはないが扉を開けておく。
藁の土壁には「明治19年」の記銘がある。
そのときに造られたのか、定かでないがかなりの高さである。
オーコと言えば公民館に納めている。
(H23.10.23 EOS40D撮影)