マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

楢原駒形大重神社ススキ提灯献燈

2011年12月01日 06時41分22秒 | 御所市へ
夏祭りでは「シャンシャン」と呼ばれる巫女神楽があるが秋祭りには行われない。

御所市楢原(ならはら)の駒形大重(こまがたおおじゅう)神社は嘉永六年(1853)や安政二年(1855)の燈籠が見られる神社だ。

それはなくとも献燈の在り方は同じだ。神事を終えた1時間後のことだ。

最初に献燈を担いできた市場城垣内のススキ提灯。

一番乗りの垣内であった。

鳥居を潜るには水平にせざるを得ない。

石段を登って拝殿に立て掛ける。

そこには前週に地元で献燈行事を終えた櫛羅(くじら)の鴨山口神社の宮司が待ち構えていた。

氏子も揃ってそこでお祓いを受ける。



そうして境内にある杭に括りつけて立てた。

その次は10個の提灯となる川添垣内がやってきた。

ススキ提灯の頂点には飾りものが取り付けられている。

市場城垣内は笹で、川添垣内は御幣であった。



提灯の上には昭和5年7月と記されている。

笹の葉の島ノ上垣内もやってきた。

石川垣内が来るころには先に到着していた市場城垣内や川添垣内は参拝を済ませて地区に戻っていった。

どうやら一同に集まるのではなく、役員が接待するお神酒を飲んでしばらくすれば参拝を済ませたということで戻っていくのだ。

戻った地区ではそれぞれ垣内で内輪の行事があるという。

夏祭りの際に聞いていた提灯担ぎ。

「昔は肩で担いでいたけど今は水平にして運びよるんや」と話していた夏祭りのときのことを思い出す。



献燈を終えれば垣内へ戻っていく。そこを交差するかのように次々とやってくる垣内のススキ提灯。

植垣内、山中、田口、園之池・・・、馬場中島、風呂の順の10垣内であった。

献燈する順は特に決まりはないが、見る者も楽しませてくれた提灯はおよそ1時間ですべての垣内が参拝されて秋祭りを終えた。

話によれば櫛羅も楢原も宵宮はないという。

その櫛羅には番水があるという。

「朝4時のあけもつと夕方4時のくれもつにはカネを叩く」という番水。

時間割で決めた水を流す時計のことだ。

農家の人たちは大切な水を分け合っていたのである。

(H23.10.16 EOS40D撮影)