マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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額田部南方の如来さん回在

2011年12月16日 08時06分40秒 | 大和郡山市へ
2年前までは融通寺で泊りがあった。

そのころまでは立ヒコ、掛ヒコの順で巡っていたが行ったり来たりするので効率性を考慮して家並びの順にされた大和郡山市の額田部町。

南町から北町へと大阪平野の大念仏からやってきた如来さんが駆け巡る。

額田部の大通り。

車の往来が激しい道を如来さんが巡っていく。

かつてはその道をバスが通っていた。

斑鳩法隆寺から安堵を抜けて平端や筒井を通っていた。

バスが通っているなら生活しやすいと隣町の西町に移り住んだ住民。

それもつかの間で、今では車がないと不便な地域になったと話す。

かつて南町と北町を南方、北方と呼んでいた額田部の村。

朝早くに大和川堤防付近で待っていた融通寺の檀家役員の3人。

南方では35軒。

如来さんに上がってもらう家を一軒ずつ案内していく。

ときには狭い路地にも入っていく。

「昔はリヤカーなどの荷車か人しか通らなかったからそれだけの道幅なのだ」と話す総代たち。

「昨日には集金を済ませていたので飛ばしてしまったらえらいことになる」と言いながら案内をしていく。



如来さんは十一尊天得如来。

十一尊にちなんで来る七人の僧侶と在俗の4人で構成されている。

紫の衣を着ているのは「唱導師(しょうどうし)」、黄色い衣は「目代(もくだい)」で収納と呼ばれる在所寺の僧侶がつく。

あとの4人は「僧中(そうちゅう)と呼ばれる黒い衣の若手僧侶たちだ。

如来さんを担ぎ回る禅門はトモと呼ばれる、鉦を叩く人。

寄進された浄財を預かる人は、檀家が一統掛かり、目代掛かり、僧中掛かりか立回向(たてえこう)かどうか指示して回る。



立回向は如来さんを箱から出さずに仏壇の前に立て掛けて二人の僧中がお経をあげる。

額田部ではこれを「立ヒコ」と呼んでいる。

「掛かり」であれば天得如来さんの掛け図を広げる。

それには「掛ヒコ」と呼んでいる。



「掛け回向」には一等、二等、三等の区分があるそうで一等は紫の唱導師に融通寺の住職がつく。

二等は黄色の目代、三等は僧中となるのだが、額田部の婦人たちはその僧中を「黒い衣装の坊さんだから親しみを込めて「クロボン」と呼んでいる。

(H23.10.31 EOS40D撮影)