マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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今もなお、お月八日

2012年07月17日 08時22分37秒 | 山添村へ
伝聞に残るだけだの「天道花(テンドウバナ)」の風習。

いつしか奈良県内からすべてが消えた。

そう思っていた。

山添村のとある大字に住む男性は今でも毎年5月7日に「お月八日」をしているという。

その記録を写真に撮って残している。

先代の親父さんが行っていた「お月八日」を見習って継いできた男性。

予め竿竹を用意しておいた。

長さは4.5メートルほどにもなる。

付近の山に入ってヤマブキやフジの木を採ってきた。

今年の花咲きは一週間も遅れている。

ヤマブキは黄色い花がついているがフジは見当たらない。

険しい処にも見て回ったが咲いたフジはたったの一本。

肝心かなめのベニツツジはまったく見つからないと話す。

この年のお月八日は仕方なくヤマブキやフジだけになった。

汚れないようにとシート(かつてはコモ)を敷いた場にフジの枝を揃えて縦に置く。

その上から横方向にもフジの枝を置く。

同じようにヤマブキの枝も縦と横方向に置く。

ヤマブキの黄色い花が三方に広がる。

その位置に竿竹を置いた。

そして上から同じ三方にヤマブキを置く。

それからフジの枝を置いた。

竿竹から抜けないように紐で縛る。

強く縛らなければ花が落ちてしまうのでしっかりと括る。

横方向の花もしっかりと括ってできあがった。

バランスがとれた三方の花は美しく飾られた。

これを家のカド(門)に立てる。

蓆を敷いてカド干しをしていた前庭である。

いつもこうしているが立てるカドの場所は一定ではない。

この年は松支えの支柱に沿って結わえた。

倒れないように三か所を紐で括った。

その場に台を置いて御供を供える。



本来は夜になってからお供えをするのだが、この日は特別だという。

バランを敷いて「ヨゴミモチ」を供える。

ヨゴミモチはヨモギモチ。

その訛りは県各地で聞かれる「ヨゴミ」だ。

親父さんがされていたときはミタラシダンゴだったかも知れないという。

本来は「ヨゴミモチをおますのだが、この日は大福のクズマンジュウにした」と話す。

翌日の8日はそのまま立てておいて9日の朝に倒すという「お月八日」の天道花。

男性はその名を引き継いでいなかったようだ。

男性の話によれば同大字には他にも2軒がその風習をしているという。

一軒は竿竹やツツジ、フジの花が準備できていなかったことからこの年はされなかった。

これをオツキヨウカと呼んでいた。

もう一軒もベニツツジやフジの枝を括り付けて立てていたが、5年ほど前に止めたという。

その当時は天道花の先端にカマをも一緒にして立てていたという。

秋の収穫に使った稲刈りのカマ。

それはカゴに入れた。

立てた当日にアカゴハンをおましたと話す。

稲刈りが終わって「良い日」を選んで使った2、3丁のカマを箕の上に置いた。

カリジマイ(刈り終い)だという。

なんとなくカマの件が混在しているように感じたかつての農家の風習だが、その件を聞いて思い出したのが天理市小田中町に住む婦人の話。

台風がまともに来たら家が壊れるからといって庭に長い竹を立てた。

その先にはナタを括りつけてぶら下げた。

それに台風の眼が当たったら大風がちらばるというまじないをしていたと語る。

その光景はおよそ50年前のこと。

出里の天理市山田町での思い出である。

(H24. 5. 7 EOS40D撮影)