マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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第23回天理考古学・民俗学談話会聴講

2012年07月23日 07時36分57秒 | 民俗を聴く
ふとしたことから「天理大学考古学・民俗学研究室の日常」ブログの愛読者になっていた。

それにはときおり学生たちが民俗学の探求のために行事を見学している内容もある。

詳細な報告ではないが参照している。

奈良県内では東吉野村木津川の祈祷念仏や奈良市南庄町の腰いた地蔵尊の地蔵盆、同市月ケ瀬桃香野の能楽、同市古市町の御前原石立命神社のマツリ、同市南之庄町のカンジョウカケ、同市西九条の倭文神社の蛇祭り、天理市福住のさる祭り、同市上仁興の元座講・ケイチン、同市荒蒔町のケイチン・アカラガシラ・秋祭り、同市藤井町のオニウチ、同市石上神宮のでんでん祭り・ふる祭り、同市新泉町の大和神社の御田植祭などだ。

他にも数々の地域民俗調査もされている。

或いは、ときおりではあるが調査報告の例会もある。

また、年に一度は天理考古学・民俗学談話会をされている。

その講演内容を見るたびに一度は聴講してみたいと思っていた。

これだと思ったのが第23回の談話会

土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアム学芸員の小林善也氏が語られる「土井ヶ浜遺跡研究の現在と展望」に飛びついた。

平成12年9月のことだ。

その年から遡ること5年前から始めた長距離サイクリング。

平成8年は琵琶湖一周、9年は嵯峨野嵐山周回、10年は淡路島一周、11年がしまなみ海道へと続く山口県半周していたときのことだった。

当時はまだ40歳代。

身体も若かった。

山口県半周のコースは新門司→関門トンネル→長府→秋芳洞→秋吉台→萩→長門→油谷→土井ケ浜→レトロ門司→新門司だった。それだけの距離を二日がかりで走り回った。



(H12. 9.27 OLYMPUS TRIP PANORAMA2撮影)

海岸沿いに巡った伊上、粟野、阿川、特牛港、土井ケ浜。考古遺跡も見たくて訪れた土井ケ浜弥生オパーク。

ここには国指定遺跡の土井ケ浜ドームや人類学ミュージアムがあった。

平成5年に開館された施設だ。

出土人骨約80体の発掘状況を忠実に再現した土井ケ浜ドーム。

かつての弥生人類がどう思って生きていたのか、実に感慨深い構成であった。

弥生人はどういう生活をしていたのだろうか。

その後の発掘調査を待つしかなかった。

山口県にはその後訪れることはなかったが、今回の講演で明らかにしてくれる。

その願いが叶えられると思ったのである。

ブログの案内では関係者限りとはアナウンスされていない。

一般の者でも聴講できるのだろうか。

不安な気持ちで天理大学にやってきた。

ところがその講演場所が判らない。

天理のよろず病院は長男、次男もお世話になった施設だが、大学の位置が判らないのだ。

何人かの道行く人に尋ねてようやく辿りついた講演会場は天理大学9号棟のふるさと会館だった。

この日の談話会のプログラムは、天理大学考古学・民俗学研究室の桑原久男氏が語る「天理の考古学、その伝統と新たな展開」からだったが既に終わっていた。

会場は受付がある。

一般の者だが受け付けてくれるのだろうか。

不安な気持ちで尋ねてみた結果は・・・OKだった。

資料代500円を支払って聴講席についた。

2番目のプログラムは同室の安井眞奈美氏が語る「天理大学の民俗学20年」。

前述した民俗行事の祭礼見学や巡見の旅・実習、民具調査、聞き取り調査など歴史を振り返る。

得た資料、情報、研究成果は地元地域への還元が課題だと話される。

三つ目は天理大学附属天理参考館の山内紀嗣氏が語る「イスラエルにおける発掘調査の20年」である。

1987以前のテルゼロール遺跡の発掘はシャロン平原にある中期青銅器時代から紀元前八世紀~十世紀にかけての弥生時代。

弥生時代は日本のことだ。

旧約聖書には現れない地名であるが、青銅のヤリ先が出土したそうだ。

「列王記」、エンゲブは「アフィク」の可能性が高く、そこが河床の意味を持つと話されても行ったこともない遠く離れた地。

映し出された映像を見るだけだ。

シリヤ時代のゴラン高原は、第三次中東戦争(1967年)以降はイスラエルとシリアが領有権を争っている。

停戦以降は国連平和維持部隊が平和維持に従事している高原だ。

前期青銅器時代からローマ時代に至る盛衰を物語る遺跡。

オリーブ油の搾油施設が見つかったという。

四つ目が土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアム学芸員の小林善也氏が語る「土井ヶ浜遺跡研究の現在と展望」。

興味津津、耳を傾けた。

1950年代、土井ヶ浜の発掘は天理大学名誉教授の金関恕(かなせきひろし)氏の父、金関丈夫氏(当時九州大学医学部教授)が団長として発掘した遺跡である。

「縄文人が進化」という日本人ツーツ定説を覆して「渡来・混血」説を提唱するに至った画期的な発見だった土井ヶ浜遺跡。その発掘の歩みを述べられる。

五つ目は小林善也氏と同じく天理大学を卒業して陸前高田市立博物館学芸員に就いた鈴木綾氏が報告される「陸前高田市立博物館の復興にむけて」だ。

平成23年3月11日に地震、津波によって被災した博物館は岩手県にある。

職員は亡くなり行方不明に。

残された収蔵品はガレキと化し水浸し状況となった。

そのレスキューにあたった博物館は全国で25施設。

被災後13ヶ月に亘る復興過程を報告される。



休憩時間中は天理大学附属天理図書館の特別展の見学。

所蔵された数々の蔵書に目が垂涎する。

永徳元年(1381)道果筆の古事記(重文)、乾元二年(1303)卜部兼夏筆の日本書紀神代巻(国宝複製)、大永元年(1521)卜部兼永筆の先代旧事本紀(重文)、寛元二年(1244)中臣祐定筆の万葉集巻第二十断簡春日懐紙切、元治元年(1864)大坂中沢八兵衛調刻木版色刷の和州奈良之絵図、安永七年(1788)の和州南都之図、天保八年(1837)春日若宮御祭礼松下図、寛政三年(1791)大和名所図絵などなど多数の展示は芸亭院開創1250年顕彰・図書館振興研究集会を記念した展示だそうだ。

サブタイトルに史料でたどる記紀・万葉の世界と大和めぐりだった。

ありがたい展示にもっと時間がほしかった。

プログラムの第2部は「天理大学考古学・民俗学研究室20周年特別企画」と題して天理大学名誉教授・前大阪府立弥生文化博物館館長の金関恕(かなせきひろし)先生による「研究室設立20周年、回顧と展望」。

私的な思い出を語る金関恕先生。

第1部を含めて豊富な内容の談話会に来てよかったと思う。

先生方とは直接お会いし話しを伺うときはなかったが、時間を持て余すことなく過ごすことができた。

この場を借りて厚く御礼申しあげる次第だ。

最後にふるさと会館に集まった方たちの集合写真を記念に撮られたが私は部外者。

近寄ることもしなかった。

第3部は懇親会。

待ち時間にお話ししてくださった大学関係者。

お一人は関西学院大学のK氏で、もうお一人は地域文化財研究所のF氏だ。

他所では味わえない私的な話題をしてくださった魅力的なお二人。

ありがたいことに名刺交換させていただいた。

アドレスを見て驚いたのはF氏の名刺の住所。

お聞きすれば驚くなかれ、地元自治会であったのだ。

お住まいは数百メートルも離れていない。

7月初めに行われた集会所の写真展に来てくださった。

この場を借りて感謝申し上げる。

そうして始まった懇親会は学生食堂。

一期生から次々と挨拶される。

私は学生を経験したことがないが、大いに盛り上がる雰囲気の一端を知ったが、やはり部外者。

時間を持て余す。

そして私に近寄ってきた男子学生。

すぐに思い出した誓多林の行事取材中でのこと。

オコナイマツリでお会いした学生さんだ。

私のことを覚えていて話しかけてくれた。

現地ではそれほどお話はしていなくとも覚えていてくれたことが嬉しい。

誓多林の役員も感謝していた大学生。

なんでもオコナイを論文にしたいと話す。

難しいテーマを選んだものだと思った。

私が知りえた情報も遣って構わないと伝えた。

それを利用するかは別として、今後の活躍に期待する。

(H24. 5.12 SB932SH撮影)