マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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藺生町閏年の庚申法要

2012年07月06日 09時05分08秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
奈良市藺生町も閏年の庚申講があると聞いていた。

同町には4組の講があるという。

それぞれの講中の代表者が相談の上に日程を決める庚申講。

4年に一度のオリンピック年というから新暦の閏年に行われている。

1組講中のHさんの話では昭和63年から始まったという。

戦時中までは旧暦の閏年に行われていた。

戦後に復活したものの再び途絶えた。

1組に『藺生庚申講 覚』がある。

昭和63年7月に興された講中の覚書だ。

それによれば、「百姓の神様として広く農民信仰された庚申さん。家内安全、五穀豊穣を願って志を同じくする人たちが相寄って講を作った。60日おきの庚申の日には、講員の宿に集まって、床に掛け図を掲げて供物を捧げた。そして飲食を共に講員が語り合った。藺生には4組の講があり、四年に一度のうるう年に各組の代表者が杉の生木の塔婆を作って供える。住職が読経して法要を営む」とある。

復活一年目の昭和63年7月4日から平成4年6月27日、8年、12年4月8日、16年4月11日、20年3月21日。

そしてこの日の4月29日となる。

それぞれの組の代表者名と経費が記されている。



庚申法要を営む場所は萱葺き造りの青龍寺下の庚申塔の祠だ。

石の庚申塔の台座には三猿が見られる。

当地では花立てやゴクダイは見られず塔婆だけを奉る。

葉付き杉の木の数か所に刻みの窪みを入れるが願文は木に書かない。

法要をされる小山戸の安楽寺の住職が墨書された祈祷札を糊で杉の木に貼り付けるのだ。

かつては生木に願文を書いて酒を供えて参っていたと話す2組代表のN氏。

同講中のM氏もそういう。

昭和30年のころ、書きこんでいた経文はお札に替ったようだ。

そのときから代表の当番だけが集まるようになったという。

現在の願文は「奉修 南無青面金剛 天下泰平 日月清風雨順時 五穀豊穣 講中 安全如意祈攸 施主 ○○○○ 平成二十四年四月二十九日 敬白」である。

風で消えないように風除けの細工を施したローソク、線香に火を灯して法要が始まった。



焼香を経ておよそ15分の法要に手を合わせる講中たち。

例年の庚申の日の在り方はさまざまだ。

1組は年に一度の終い庚申のみ。

2組は年に二回で6月と12月に掛軸を掲げたヤドで営んでいる。

60日おきにきっちりしているという3組もあるが、まったく集まらない4組もある。

ただ、掛軸を回す庚申の日にお金を集めているという。

それが貯まったら伊勢の猿田彦神社参りに出かけるそうだ。

藺生は上、中、並松(なんまつ)の3垣内。

講中は4組あるが特に垣内に分かれているわけではない。

覚書にあるように「志」を同じとする者が集まる集団である。

(H24. 4.29 EOS40D撮影)