かつては旧暦4月8日に花まつりが行われていた。
昭和59年に発刊された『田原本町の年中行事』でそれが紹介されている田原本町の伊与戸。
「オツキヨウカ」とも呼ばれていた日だった。
その日に天道花(てんとばな)を庭に立てていた写真が残されている。
数メートルもある長い竹竿の先には山に咲くツツジの枝葉を天頂に括りつけ、1足の草履を入れた竹カゴをぶら下げていた。
そのカゴには何か良いモノが入る、或いは3本足のカエルが入ると云われていたようだ。
「オツキヨウカ」は新暦の五月八日だったが、旧暦でいえば四月の卯月(ウヅキ)だ。
「ウヅキ」は「ウツキ」。
さらに訛って「オツキ」となったのであろう。
「ヨウカ」はまさしく「八日」だ。
天理市の二階堂辺りでもその風習があったとある。
川上村の高原では4月8日に行われている釈迦誕生祭を花まつり、或いは「オツキヨウカ」と呼んでいた。
その日のこと。
各家では杉の木の先端に葉を付けた杉の木を立てた。
そこにヤマブキ、シャガ、ツツジ、ボタンなどの花を縛り付けていた。
「オツキヨウカの習わし」だと云っていた。
平成20年の花まつりの際に聞いた話である。
杉の竿を高く立てると鼻の高い子が生まれるといって高さを競いあったという。
「風が家に当たるとあかん」と云ってその日の夕刻に降ろしていた。
翌日にはコイノボリを揚げなくてはならないことから、早くしまうようにという意味もあったという。
一軒、一軒と止めていって村から消えたオツキヨウカの風習。
今から10年も前のことである。
このような風習は旧都祁村でも行われていた。
「5月8日はオツキヨウカだった。そのころは山にツツジが咲いている。太い真竹を切ってくる。10尺の長さの竹の先にツツジを取り付けて今年も豊作になるようと祈っていた。ツツジは3本。中央はすくっと立つツツジ。2本背中合わせのようにして縛った。先代の親父がしていたことは記憶にある」と語る藺生住民のTさんが云うには、戦後の昭和30年代のころまでしていたという。
トラクターが田んぼを耕すようになって消えたそうだ。
都祁南之庄に住むMさんの話では「オツキミ」と呼んでいた。
ツツジの花が咲くころだったから春。
そのツツジを長い竹の竿の上に十字に縛って庭に立てた。
子供のころだったというから60年も前のことのようだが、「なんのことかわからん」なりに立てていたと話す。
奈良市別所町でも同じような風習を聞いた。
「春の日やった。先に十字にこしらえて花を付けた長い竿を立てた。そこに籠を取り付けていた」。
三本足のアマガエルが入っておればめでたいことだったと話す高齢者のOさん。
実際には見たことがないが、入った家があったということを聞いたことがあるという。
それを「オツキオカ」と呼んでいた風習だが、長い竹竿の名はなかったそうだ。
別所町では一軒、一軒とそこらじゅうの家が揚げていたそうだ。
花を括って十字に縛るのは、今でもその仕方を覚えているそうだ。
19歳で兵隊いっていたときの頃の話というから、およそ70年も前のことの風習だった。
その村に住むO婦人も覚えており、同じく「オツキオカ」と呼んでいたようだ。
「オツキオカ」はおそらく「オツキヨウカ」であろう。「ヨウカ」が訛って「オカ」になったと考えられる。
春の日というのは4月の八日。
4月は、十二支を月で数えると、子、丑、寅、卯、辰、巳・・・。
つまり4月は卯月にあたる。
「卯月」は「ウツキ」。
それがなまって「オツキ」になった。
そうして呼ばれた別所の風習名称は「オツキオカ」となったのであろう。
これらの話はかつて奈良県内各地で見られた「天道花(テンドウバナ)」の風習だと思われる。
大和タイムズ社が昭和34年に発刊した『大和の民俗』の中に「四月八日」の項に記されている「ウヅきヨウカ」。
奈良県高市郡では八日花と呼んでお月さんに届くぐらい高く揚げた。
ワラジを吊るして脚気のまじないにしていた。
吉野郡では「オツキヨウカ」は訛って「ウキョウカ」。
下田村史によれば「オツキ八日、花よりダンゴ」と云って、7日の夕方にモチツツジとダンゴ花を竹竿に付けて立てた。
高く揚げると次に子供ができたときは鼻が高くなる、或いは虫がつかぬとあるそうだ。
二上村史にも同様の記事があり、新しい竹にモチツツジの花とホソの実を高く括りつけてお月さんに供える。
宇陀郡では上のほうを十字にして三方にさまざまな花を飾ったそうだ。
カゴをぶら下げた一本と花付けの一本の二本を立てる。
長いほうが月で、短いほうは星に供えた。
天から下りてくる三本足のカエルが、このカゴに入ったら幸福がくると信じられていた。
大柳生村史によれば竹や丸太を組んで立てていた。
レンゲツツジなどの八日花や茶の花を飾って一晩立てた。
翌日に三本足のアマガエルが入っておれば福がくるという。
こうした風習は和歌山有田や兵庫県、大阪和泉もあったというから広範囲。
奈良市の長谷町でもあったという記録があるらしい。
竹竿の先に紅ツツジ、藤、山吹などを十文字に、その下にも一束くくりつけ、さらにその下に小籠も吊して、花や三本足の蛙が入ってあれば吉だという。
(H24. 5. 7 EOS40D撮影)
昭和59年に発刊された『田原本町の年中行事』でそれが紹介されている田原本町の伊与戸。
「オツキヨウカ」とも呼ばれていた日だった。
その日に天道花(てんとばな)を庭に立てていた写真が残されている。
数メートルもある長い竹竿の先には山に咲くツツジの枝葉を天頂に括りつけ、1足の草履を入れた竹カゴをぶら下げていた。
そのカゴには何か良いモノが入る、或いは3本足のカエルが入ると云われていたようだ。
「オツキヨウカ」は新暦の五月八日だったが、旧暦でいえば四月の卯月(ウヅキ)だ。
「ウヅキ」は「ウツキ」。
さらに訛って「オツキ」となったのであろう。
「ヨウカ」はまさしく「八日」だ。
天理市の二階堂辺りでもその風習があったとある。
川上村の高原では4月8日に行われている釈迦誕生祭を花まつり、或いは「オツキヨウカ」と呼んでいた。
その日のこと。
各家では杉の木の先端に葉を付けた杉の木を立てた。
そこにヤマブキ、シャガ、ツツジ、ボタンなどの花を縛り付けていた。
「オツキヨウカの習わし」だと云っていた。
平成20年の花まつりの際に聞いた話である。
杉の竿を高く立てると鼻の高い子が生まれるといって高さを競いあったという。
「風が家に当たるとあかん」と云ってその日の夕刻に降ろしていた。
翌日にはコイノボリを揚げなくてはならないことから、早くしまうようにという意味もあったという。
一軒、一軒と止めていって村から消えたオツキヨウカの風習。
今から10年も前のことである。
このような風習は旧都祁村でも行われていた。
「5月8日はオツキヨウカだった。そのころは山にツツジが咲いている。太い真竹を切ってくる。10尺の長さの竹の先にツツジを取り付けて今年も豊作になるようと祈っていた。ツツジは3本。中央はすくっと立つツツジ。2本背中合わせのようにして縛った。先代の親父がしていたことは記憶にある」と語る藺生住民のTさんが云うには、戦後の昭和30年代のころまでしていたという。
トラクターが田んぼを耕すようになって消えたそうだ。
都祁南之庄に住むMさんの話では「オツキミ」と呼んでいた。
ツツジの花が咲くころだったから春。
そのツツジを長い竹の竿の上に十字に縛って庭に立てた。
子供のころだったというから60年も前のことのようだが、「なんのことかわからん」なりに立てていたと話す。
奈良市別所町でも同じような風習を聞いた。
「春の日やった。先に十字にこしらえて花を付けた長い竿を立てた。そこに籠を取り付けていた」。
三本足のアマガエルが入っておればめでたいことだったと話す高齢者のOさん。
実際には見たことがないが、入った家があったということを聞いたことがあるという。
それを「オツキオカ」と呼んでいた風習だが、長い竹竿の名はなかったそうだ。
別所町では一軒、一軒とそこらじゅうの家が揚げていたそうだ。
花を括って十字に縛るのは、今でもその仕方を覚えているそうだ。
19歳で兵隊いっていたときの頃の話というから、およそ70年も前のことの風習だった。
その村に住むO婦人も覚えており、同じく「オツキオカ」と呼んでいたようだ。
「オツキオカ」はおそらく「オツキヨウカ」であろう。「ヨウカ」が訛って「オカ」になったと考えられる。
春の日というのは4月の八日。
4月は、十二支を月で数えると、子、丑、寅、卯、辰、巳・・・。
つまり4月は卯月にあたる。
「卯月」は「ウツキ」。
それがなまって「オツキ」になった。
そうして呼ばれた別所の風習名称は「オツキオカ」となったのであろう。
これらの話はかつて奈良県内各地で見られた「天道花(テンドウバナ)」の風習だと思われる。
大和タイムズ社が昭和34年に発刊した『大和の民俗』の中に「四月八日」の項に記されている「ウヅきヨウカ」。
奈良県高市郡では八日花と呼んでお月さんに届くぐらい高く揚げた。
ワラジを吊るして脚気のまじないにしていた。
吉野郡では「オツキヨウカ」は訛って「ウキョウカ」。
下田村史によれば「オツキ八日、花よりダンゴ」と云って、7日の夕方にモチツツジとダンゴ花を竹竿に付けて立てた。
高く揚げると次に子供ができたときは鼻が高くなる、或いは虫がつかぬとあるそうだ。
二上村史にも同様の記事があり、新しい竹にモチツツジの花とホソの実を高く括りつけてお月さんに供える。
宇陀郡では上のほうを十字にして三方にさまざまな花を飾ったそうだ。
カゴをぶら下げた一本と花付けの一本の二本を立てる。
長いほうが月で、短いほうは星に供えた。
天から下りてくる三本足のカエルが、このカゴに入ったら幸福がくると信じられていた。
大柳生村史によれば竹や丸太を組んで立てていた。
レンゲツツジなどの八日花や茶の花を飾って一晩立てた。
翌日に三本足のアマガエルが入っておれば福がくるという。
こうした風習は和歌山有田や兵庫県、大阪和泉もあったというから広範囲。
奈良市の長谷町でもあったという記録があるらしい。
竹竿の先に紅ツツジ、藤、山吹などを十文字に、その下にも一束くくりつけ、さらにその下に小籠も吊して、花や三本足の蛙が入ってあれば吉だという。
(H24. 5. 7 EOS40D撮影)