12月は幾度となく雪が舞う日が多かった。
年が明けてからの1月は一度も降ることない日々。
安心してはならない2月。
そう思っていた8日は雪が降った。
僅かであったが積もった雪は平坦となればすぐに溶けてしまう。
金剛山や葛城山を眺めてみる早朝。
9日もそうであったが、12日の日も神々しく輝いていた。
翌日の天気予報によれば全国的な大雪に見舞われると報道していた。
8日の前日もそうであったが、それほどでもない。
今回はおそらく大雪になるであろうと思っていた。
案の定であった迎えた朝。
雪に覆われていた。
これからも降り続けるだろうと思って出かけることもしない。
みるみるうちに積もった雪は10cm。
車が通る我が家の前。
一面の白い雪景色である。
身も心もそぞろの朝は家に籠る。
そうこうしているうちに臨時ニュースが出た。
9時38分、奈良県北部・中部のほぼ全域の25市町村に大雪警報が発令されたのだ。
平成2年1月31日(水曜日)以来、24年ぶりの大雪警報だそうだ。
我が家に積もった雪は10cm。
まだまだ降りそうである。
この日の患者さんの送迎は中止指令が出たそうだ。
安全に送迎する。
これが第一であるが、送迎中止が発令されたのは8時半を過ぎだったと相方が電話口で話していた。
自家用車を動かせる状態ではなかったので歩いて仕事場に向かったと云う。
先生方は近鉄電車で通勤しているが大幅な遅れ。
第1便を発車する直前に着いて中止を伝えたそうだ。
相方の自宅から勤務先までは4km。
何もなくても1時間も要する徒歩の距離。
雪道であればそれ以上かかったという。
我が家であればその距離8km。
遠すぎる。
私の担当日であれば自転車と思っていたが・・・。
2年前の平成23年2月14日も大雪であったが積雪は6cm。
たいしたことなく歩いて前の勤務先に出動したことを覚えている。
奇しくも同じ日であった積もった雪の量が違う。
前の道を歩いていくにも滑りそうな気配。
バスに乗って出かけるのであろう。
いつもなら車の通行量がまぁまぁあるが、この日はごく僅か。
車輪の痕にも雪が積もって見えなくなった。
自宅で籠っていた11時半。
我が家に積もった雪を計測すれば13cmになっていた。
まだまだ降り続ける本日の大雪警報は継続中だ。
水仙の花はこんもり姿。
寒い日になった。
南天の実も凍えそうだ。
先月から咲き出した水仙。
香りがとても素敵だ。
こんな心地いい香りは抽出してお風呂の友に商品化してほしいぐらいだ。
で、雪で花折れした我が家の水仙は廊下の花挿し。
ダジャレではないが、水洗トイレに入る度に甘い香りに癒される。
ニュースが伝える奈良市の雪積量は14cm。
いち早く「なら瑠璃絵」は中止を判断されたが、長谷寺のだだ押しは決行であった。
桜井市内は県南部に近い。
奈良市・大和郡山市・天理市ほどでもなかったようだ。
大雪警報が発令されて昼過ぎに小学校から帰ってきた地元の子供たち。
休校の通達は昼食時だったそうだ。
戻ってきた子供たちは我が家の前の小高い丘山に集合して雪遊び。
「カマクラを作るんや」という子もおればソリに乗って滑る子も。
10数人の子供たちが思わぬ雪景色に佇むことなく雪遊びに笑顔をみせる。
アカギレを経験した子供もなんのその。
雪合戦も元気が良い。
我が家の息子たちもそうであった何十年か前を思い出した。
奈良市では18年ぶりの大雪であるテレビ報道が伝えていた。
平成8年のことだろうか、そのときだとすれば屋根から落ちてくる積もった雪がドサッ、ドサッと落ちる音。
その都度キャイーンと啼いた我が家の愛犬チロ。
可哀そうにと思って玄関内に入れてあげたら穏やかな顔ですやすや寝ていた。
いや違った。
平成7年は阪神大震災。
翌年の平成8年の5月末は2泊3日で琵琶湖を一周していた。
長距離サイクリングを楽しんでいた45歳のころだ。
自宅へ戻ったときに息をひき取った愛犬チロの姿が愛おしかった。
息子たちもかーさんも泣いていた。
ということはチロが脅えていたのはそれよりもっと前のことだとすれば平成2年かもしれない。
翌日になっても溶けない雪だが、屋根から落ちてくる大量の雪がドサッと落ちてくる。
音がする度に目を覚ます。
隣家のガレージの屋根が崩れていた。
雪の重みで朽ちたのであろう。
我が家のガレージ屋根も不安になってくるほどの量が溜まっている。
いずれは重みで耐えきれずぶち抜くであろうと思って雪掻きをする。
1時間以上もかかる仕事量。
積雪に見舞われる地方の人のしんどさが少しでも判る。
町内を歩いてみればもう1軒もガレージの屋根が崩れていた。
我が家はなんとか持ちこたえた。
いつ設置したのか覚えてないが、たしかヤマヒサ製。
頑丈な作りに感謝する。
(H26. 2.14 EOS40D撮影)
年が明けてからの1月は一度も降ることない日々。
安心してはならない2月。
そう思っていた8日は雪が降った。
僅かであったが積もった雪は平坦となればすぐに溶けてしまう。
金剛山や葛城山を眺めてみる早朝。
9日もそうであったが、12日の日も神々しく輝いていた。
翌日の天気予報によれば全国的な大雪に見舞われると報道していた。
8日の前日もそうであったが、それほどでもない。
今回はおそらく大雪になるであろうと思っていた。
案の定であった迎えた朝。
雪に覆われていた。
これからも降り続けるだろうと思って出かけることもしない。
みるみるうちに積もった雪は10cm。
車が通る我が家の前。
一面の白い雪景色である。
身も心もそぞろの朝は家に籠る。
そうこうしているうちに臨時ニュースが出た。
9時38分、奈良県北部・中部のほぼ全域の25市町村に大雪警報が発令されたのだ。
平成2年1月31日(水曜日)以来、24年ぶりの大雪警報だそうだ。
我が家に積もった雪は10cm。
まだまだ降りそうである。
この日の患者さんの送迎は中止指令が出たそうだ。
安全に送迎する。
これが第一であるが、送迎中止が発令されたのは8時半を過ぎだったと相方が電話口で話していた。
自家用車を動かせる状態ではなかったので歩いて仕事場に向かったと云う。
先生方は近鉄電車で通勤しているが大幅な遅れ。
第1便を発車する直前に着いて中止を伝えたそうだ。
相方の自宅から勤務先までは4km。
何もなくても1時間も要する徒歩の距離。
雪道であればそれ以上かかったという。
我が家であればその距離8km。
遠すぎる。
私の担当日であれば自転車と思っていたが・・・。
2年前の平成23年2月14日も大雪であったが積雪は6cm。
たいしたことなく歩いて前の勤務先に出動したことを覚えている。
奇しくも同じ日であった積もった雪の量が違う。
前の道を歩いていくにも滑りそうな気配。
バスに乗って出かけるのであろう。
いつもなら車の通行量がまぁまぁあるが、この日はごく僅か。
車輪の痕にも雪が積もって見えなくなった。
自宅で籠っていた11時半。
我が家に積もった雪を計測すれば13cmになっていた。
まだまだ降り続ける本日の大雪警報は継続中だ。
水仙の花はこんもり姿。
寒い日になった。
南天の実も凍えそうだ。
先月から咲き出した水仙。
香りがとても素敵だ。
こんな心地いい香りは抽出してお風呂の友に商品化してほしいぐらいだ。
で、雪で花折れした我が家の水仙は廊下の花挿し。
ダジャレではないが、水洗トイレに入る度に甘い香りに癒される。
ニュースが伝える奈良市の雪積量は14cm。
いち早く「なら瑠璃絵」は中止を判断されたが、長谷寺のだだ押しは決行であった。
桜井市内は県南部に近い。
奈良市・大和郡山市・天理市ほどでもなかったようだ。
大雪警報が発令されて昼過ぎに小学校から帰ってきた地元の子供たち。
休校の通達は昼食時だったそうだ。
戻ってきた子供たちは我が家の前の小高い丘山に集合して雪遊び。
「カマクラを作るんや」という子もおればソリに乗って滑る子も。
10数人の子供たちが思わぬ雪景色に佇むことなく雪遊びに笑顔をみせる。
アカギレを経験した子供もなんのその。
雪合戦も元気が良い。
我が家の息子たちもそうであった何十年か前を思い出した。
奈良市では18年ぶりの大雪であるテレビ報道が伝えていた。
平成8年のことだろうか、そのときだとすれば屋根から落ちてくる積もった雪がドサッ、ドサッと落ちる音。
その都度キャイーンと啼いた我が家の愛犬チロ。
可哀そうにと思って玄関内に入れてあげたら穏やかな顔ですやすや寝ていた。
いや違った。
平成7年は阪神大震災。
翌年の平成8年の5月末は2泊3日で琵琶湖を一周していた。
長距離サイクリングを楽しんでいた45歳のころだ。
自宅へ戻ったときに息をひき取った愛犬チロの姿が愛おしかった。
息子たちもかーさんも泣いていた。
ということはチロが脅えていたのはそれよりもっと前のことだとすれば平成2年かもしれない。
翌日になっても溶けない雪だが、屋根から落ちてくる大量の雪がドサッと落ちてくる。
音がする度に目を覚ます。
隣家のガレージの屋根が崩れていた。
雪の重みで朽ちたのであろう。
我が家のガレージ屋根も不安になってくるほどの量が溜まっている。
いずれは重みで耐えきれずぶち抜くであろうと思って雪掻きをする。
1時間以上もかかる仕事量。
積雪に見舞われる地方の人のしんどさが少しでも判る。
町内を歩いてみればもう1軒もガレージの屋根が崩れていた。
我が家はなんとか持ちこたえた。
いつ設置したのか覚えてないが、たしかヤマヒサ製。
頑丈な作りに感謝する。
(H26. 2.14 EOS40D撮影)