マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

椎木町光堂寺の大般若経

2014年08月16日 09時53分30秒 | 大和郡山市へ
椎木町の自治会長から聞いていた光堂寺の大般若経。

平成3年10月に村が発刊された『椎木の歴史と民俗』に載っている光堂寺は推古天皇十年に聖徳太子が草創したと伝えられている。

本尊は木造薬師瑠璃光如来座像であるが、修復された関係で文化財指定はされていない。

だが、脇仏の木造四天王立像は平安初期~中期の造仏と判り、平成3年に大和郡山市の文化財に指定された。

行事に参列されるのは自治会長をはじめとして杵築神社の祭祀を勤める十人衆たち。

馴染みの顔ぶれであるが、お寺行事に参集される姿を拝見するのは初めてだ。

取材目的を住職に伝えて承諾を得たが、秘仏であるゆえ撮影不可である。

真っ暗な本堂で行われる大般若経の在り方も撮ることは可であるが、ストロボは厳禁だ。

狭い本堂での立ち位置も指定されて撮影に臨んだ。

干支の午をデザインした切り絵を本尊前に掲げていた。

切り絵は高野山で授かったと話す住職。

今年の干支は午だ。

福を呼ぶ注連縄代わりの縁起物だそうで、紀州高野山が発祥の伝統切り絵の「吉祥宝来」。

本尊前に供えた御供は丈六寺御供。

紅白のダンゴもお供え。

終わって配られるようだ。

長年に亘って無住寺であった光堂寺は縁があって御室派真言宗派の住職が導師を勤められる。

大般若経を勤める6人の僧侶は椎木町近辺の人たちだった。

真言を唱えて始まった「大般若法則」。

導師も含めて七人の僧侶が作法する「だーい はんにゃ」である。

本来なら一巻終えて、経典箱をビシバシと叩くのであるが、虫喰い穴もある古い経典を壊してはならない。

そういうわけで叩くことはないが、虫干しだともと云う。

大般若経転読法要は県内の数か所で拝見した作法と同じである。

考えてみれば、大般若経をされるのは真言宗派ばかりだったことに気がついた。

一人、百巻を転読されて、合計で六百巻となる大般若経。



その途中、厚い経典(おそらく一巻目)を持って参拝者の前に座って、経典を頭の上でご加持をされた。

席に戻って転読法要を続けられる。



法楽・・・心経・・・諸真言・・・薬師・・・般若・・・不動・・・光言に続いて、「なーむとうざんちんじゅ ごずてんのうそん」、「なーむとうざんかいき しょうとくたいしそんれい」、「なーむだいし へんじょうこんごう」を唱えて終えた。

「とうざんかいき しょうとくたいしそんれい」は「当山開基 聖徳太子尊霊」で、「とうざんちんじゅ ごずてんのうそん」は「当山鎮守 午頭天皇尊」である。

椎木町の鎮守社は現在の杵築神社であるが、江戸時代までは午頭天皇社と呼ばれていたのである。

大般若経を終えて住職にあらためてご挨拶させていただいた。

「よく来てくださった」と云われて午の絵を象った切り絵を授かった。

ありがたいことである。

切り絵は福を呼ぶ注連縄代わりの縁起物。



いただいた縁起物は、後日に額縁に入れて飾った。

そのことを3月15日(涅槃会)に再訪した際に伝えたら喜んでおられた。

(H26. 2.17 EOS40D撮影)
(H26. 2.20 EOS40D撮影)