マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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第61回ニッコールフォトコンテスト入賞作品展

2014年08月17日 09時32分03秒 | しゃしん
石津武史さんが第61回ニッコールフォトコンテストのモノクローム部門で大賞に選ばれた作品は4枚組の「釜で生きる」。

大阪釜が崎で生活される情景、人、暮らしぶりを激写した作品だ。

大賞だけでなく最高賞の長岡賞までも得た作品は何年間にも亘って現地取材されてきた。

「釜が崎」という呼び名の行政地名はない。

大正11年に西成郡今宮村が大字を改編され、消滅したが、俗称としてその後も使われ続けてきた。

昭和41年から3年間、高校に通っていたときに利用していた南海電車天王寺支線。

天下茶屋-天王寺駅を結ぶ支線はたしか2両編成だったと思う。

天王寺で乗り換えた南海大阪軌道の平野線は阿倍野斎場前駅。

懐かしいチンチン電車である。苗代田、文ノ里、股ケ池、田辺、駒川町、中野、西平野、平野区間を走っていた。

たしか西平野駅で降りて学校まで徒歩。

いつしか自転車通学に替えた。

高校一年生だった昭和41年に見かけた蒸気機関車。

天王寺駅でのことだった。

平野線が廃線になったのは昭和55年のことである。

天下茶屋駅-今池駅間が昭和59年に、その後の平成5年に飛田駅を含む全線が廃線になった。

車窓から眺めていた三角公園は通称で正式には東萩町公園だった。

そんな48年前の光景を思いだしながら拝見した「釜に生きる」。

私が高校生の頃に見た男たちはもういない。

逞しく生きる風体は変わらずとも、衣服は現在の様相だ。

男性が運ぶリヤカー、逞しさは時代を越えても同じように感じた。

入賞作品は身震いするほどの新しい感覚。

刺激を受けたのは云うまでもないが、私は撮れない分野だ。

石津武史さんが次に目指す方向は未だ定まっていないと話す。

私は大阪生まれの大阪育ち。

高校の学友が住んでいた大正区や浪速区。

大阪環状線駅で云えば芦原橋駅、大正駅、弁天町駅から通学していた。

学校を終えて友人たちとともに乗った環状線を一駅ずつ降りては乗って、降りて乗ってを繰り返していた単純な遊び方。

一斉に降りるのではなく、一駅ごとに一人ずつ降りた。

次の列車が来れば乗る。

全員が集合するのは大阪駅だったような気がする。

今でも環状線に乗ればその行為を思い出す。

彼らが住んでいた町には川がある。

大阪湾にそそぐ川だ。

私は住之江に住んでいた。

大和川が遊び場だったが、彼らの地に流れる川は木津川、尻無川、安治川。

川の様相はまったく異なる。

車窓から下を見下ろせば川、舟、波止場、貯木場、渡し、店、道具、人。映画の「泥の川」を思い出す。

川に生きる人たちを描いた作品だ。

石津さんが以前、個展されたガード下の情景。

「日々坦々」は下町に生きる姿であった。

今度は大阪三部作の仕上げに大阪の「川に生きる」にされてはいかがかと提案したが・・・。

(H26. 2.17 SB932SH撮影)