田原本町八田の伊勢降神社で行われる御田植祭の日程を聞いていたものの不安定だった。
元々は21日に行われていた御田植祭はいつしか28日になったと云う人もおれば、26日若しくは27日だと話す人もいた。
日付けが固定されていないようである。
念のために確認しておかねばと思って立ち寄った八田の村。
マツリであればお神酒を準備する。
お酒が日程のキーワードと判断して伺おう思って酒屋さんに向かっていた。
街道を挟んだ向かい側に集落センターがある。
そこに停まっていた車は青いテントを張っていた。
何やら作業をされている。
手前に並べていた品物に目がいった。
懐かしいポン菓子である。
店主が忙しそうに作業をされている。
ポン菓子を求める村の婦人たちがあちらこちらからやってくる。
手にはお米と砂糖だ。
注文していたポン菓子ができあがれば貰って帰る。
五合のお米でできあがった量はこれぐらいにも膨れ上がると云って見せてくれた。
婦人の話しによれば村で喜寿(77歳)や米寿(88歳)の祝いにたくさんいただいたと云う砂糖。
何軒もあったから大量になった砂糖。
息子も孫も食べたいというポン菓子を求めて注文していたそうだ。
もう一人の婦人は幾度となくできあがり時間を気にされてやってくる。
店主の答えは1時間待ち。
多い家では2升半も持ってきた人もいるらしく、注文した品が順番待ち。
朝10時から販売しているが終わるのは夜になりそうだと話す。
店主は桜井市の粟殿がお住まい。
販売先は当地八田だけでなく、天理市、奈良市、広陵町、香芝市など、広範囲に出かけると云う。
頼まれてマツリに出店する場合もある。
繁盛することが多く一人作業に休む間もない。
この日もお昼ご飯はパン2個。
作業しながら食べたそうだ。
尿意をもよおすこともあるがそれどころではない。
緊急を要する場合に供えてし尿瓶も持ってきている。
そろそろ出来あがると云った瞬間にボンと爆発音。
煙がもうもうと立ち上がる。
これで完成ではなく鍋で炊いた飴を入れて掻き混ぜる。
飴はとろみが出るまで煮込む。
黄金色でなればできあがり。
それ以上に熱してしまえば焦げてしまうから時間との勝負だ。
ポン菓子製品は型に詰める。
ヘラで素早く平らにする。
ヘラさばきが実に早いのである。
定規を水平、直角に当ててヘラで切る。
熱いうちにしなければならない作業である。
切り込みを入れればヘラの角でさらに深く切断する。
長方形になったポン菓子を袋詰め。
零れた一粒、二粒も集めて袋に入れて機械で密封する。
バラ売りもしているがこの形態で注文される人が多い。
お米だけでなく豆で注文される人もいる。
試供品を食べさせてもらった。
お米のポン菓子は懐かしい味。
スーパーで売っているような堅いものではなくふっくらさんだ。
豆は舌さわりが堅いが美味いのである。
黒豆で注文する人もいる。
お米を持ってこなくても販売されているポン菓子。
香り、味どころか店主の温かみ・心意気が感じられて買った。
30歳のときに始めたポン菓子売り。
釜は大阪の八尾で買ったそうだ。
釜を作っているのは九州らしい。
今では奈良県内で販売しているのはもう1軒ぐらいしかないと云う。
子供会や幼稚園のイベントに依頼されることも多いと話す。
小学校では呼ばれることもない昔懐かしのポン菓子のボン音は大阪市内にも来ていた。
零れたお米のポンを手で拾ったことを覚えている。
ボンの音が聞こえてきたら子供たちが集まってきた。
昨今ではそのような様子は見られなくなったと溢す店主。
かつては売り場にたくさんの子供たちが遊びにふけっていた。
紙芝居もあった時代だ。
キリヌキで難しかったのはひょうたん。
最後の最後にとっくり口が割れる。
話題はつきない同年代が暮らしてきた子供時代である。
雨天であれば出かけないと話す店主。
移動販売店をあとにして向かった本来の尋ね人は酒屋で聞取り。
祝いの喜寿や米寿が10軒もあったと云う。
砂糖袋でお店がいっぱいになったそうだ。
さて、御田植祭といえば数日後の28日。
毎年そうであるらしい。
酒屋の奥さんが云った。
「あんた富士講のこと尋ねてたんやね」と云われるが、私ではない。
八田にはかつて富士講があったらしく、ある男性がその所在を確かめたくて訪れたそうだ。
奈良県内では僅かに残る富士講の名残がある。
数か所で拝見したことがある。
作法をされる地域もあった。
ここではどのような形式であったのか判らない。
伊勢講もあるらしく関係する家を紹介したそうだ。
そういう講中もある八田では大晦日に大とんどを燃やす。
大晦日のことである。
夕方直前に組みあげたとんどは除夜の鐘が鳴る前に火点けをするそうだ。
村人が参る初詣でに灯される大とんどはとてつもなく大きいと云う。
迎えた正月明けには砂モチもしているようだ。
砂モチと云っても神社ではない。
村北側に流れる川の土手の修復である。買った砂を山盛りにする。
それを若衆が穴の開いた土手に埋め込む。
砂モチと呼ばれる慣習に川の存在があったのだ。
婦人が云った。
その日は集会センター。
大鍋で作る肉ご飯は肉メシとも呼ぶようだ。
それを作るのは年寄り。
砂モチを終えてよばれるらしい肉ご飯はとても美味しいと笑顔で話す。
(H26. 2.22 EOS40D撮影)
(H26. 2.22 SB932SH撮影)
元々は21日に行われていた御田植祭はいつしか28日になったと云う人もおれば、26日若しくは27日だと話す人もいた。
日付けが固定されていないようである。
念のために確認しておかねばと思って立ち寄った八田の村。
マツリであればお神酒を準備する。
お酒が日程のキーワードと判断して伺おう思って酒屋さんに向かっていた。
街道を挟んだ向かい側に集落センターがある。
そこに停まっていた車は青いテントを張っていた。
何やら作業をされている。
手前に並べていた品物に目がいった。
懐かしいポン菓子である。
店主が忙しそうに作業をされている。
ポン菓子を求める村の婦人たちがあちらこちらからやってくる。
手にはお米と砂糖だ。
注文していたポン菓子ができあがれば貰って帰る。
五合のお米でできあがった量はこれぐらいにも膨れ上がると云って見せてくれた。
婦人の話しによれば村で喜寿(77歳)や米寿(88歳)の祝いにたくさんいただいたと云う砂糖。
何軒もあったから大量になった砂糖。
息子も孫も食べたいというポン菓子を求めて注文していたそうだ。
もう一人の婦人は幾度となくできあがり時間を気にされてやってくる。
店主の答えは1時間待ち。
多い家では2升半も持ってきた人もいるらしく、注文した品が順番待ち。
朝10時から販売しているが終わるのは夜になりそうだと話す。
店主は桜井市の粟殿がお住まい。
販売先は当地八田だけでなく、天理市、奈良市、広陵町、香芝市など、広範囲に出かけると云う。
頼まれてマツリに出店する場合もある。
繁盛することが多く一人作業に休む間もない。
この日もお昼ご飯はパン2個。
作業しながら食べたそうだ。
尿意をもよおすこともあるがそれどころではない。
緊急を要する場合に供えてし尿瓶も持ってきている。
そろそろ出来あがると云った瞬間にボンと爆発音。
煙がもうもうと立ち上がる。
これで完成ではなく鍋で炊いた飴を入れて掻き混ぜる。
飴はとろみが出るまで煮込む。
黄金色でなればできあがり。
それ以上に熱してしまえば焦げてしまうから時間との勝負だ。
ポン菓子製品は型に詰める。
ヘラで素早く平らにする。
ヘラさばきが実に早いのである。
定規を水平、直角に当ててヘラで切る。
熱いうちにしなければならない作業である。
切り込みを入れればヘラの角でさらに深く切断する。
長方形になったポン菓子を袋詰め。
零れた一粒、二粒も集めて袋に入れて機械で密封する。
バラ売りもしているがこの形態で注文される人が多い。
お米だけでなく豆で注文される人もいる。
試供品を食べさせてもらった。
お米のポン菓子は懐かしい味。
スーパーで売っているような堅いものではなくふっくらさんだ。
豆は舌さわりが堅いが美味いのである。
黒豆で注文する人もいる。
お米を持ってこなくても販売されているポン菓子。
香り、味どころか店主の温かみ・心意気が感じられて買った。
30歳のときに始めたポン菓子売り。
釜は大阪の八尾で買ったそうだ。
釜を作っているのは九州らしい。
今では奈良県内で販売しているのはもう1軒ぐらいしかないと云う。
子供会や幼稚園のイベントに依頼されることも多いと話す。
小学校では呼ばれることもない昔懐かしのポン菓子のボン音は大阪市内にも来ていた。
零れたお米のポンを手で拾ったことを覚えている。
ボンの音が聞こえてきたら子供たちが集まってきた。
昨今ではそのような様子は見られなくなったと溢す店主。
かつては売り場にたくさんの子供たちが遊びにふけっていた。
紙芝居もあった時代だ。
キリヌキで難しかったのはひょうたん。
最後の最後にとっくり口が割れる。
話題はつきない同年代が暮らしてきた子供時代である。
雨天であれば出かけないと話す店主。
移動販売店をあとにして向かった本来の尋ね人は酒屋で聞取り。
祝いの喜寿や米寿が10軒もあったと云う。
砂糖袋でお店がいっぱいになったそうだ。
さて、御田植祭といえば数日後の28日。
毎年そうであるらしい。
酒屋の奥さんが云った。
「あんた富士講のこと尋ねてたんやね」と云われるが、私ではない。
八田にはかつて富士講があったらしく、ある男性がその所在を確かめたくて訪れたそうだ。
奈良県内では僅かに残る富士講の名残がある。
数か所で拝見したことがある。
作法をされる地域もあった。
ここではどのような形式であったのか判らない。
伊勢講もあるらしく関係する家を紹介したそうだ。
そういう講中もある八田では大晦日に大とんどを燃やす。
大晦日のことである。
夕方直前に組みあげたとんどは除夜の鐘が鳴る前に火点けをするそうだ。
村人が参る初詣でに灯される大とんどはとてつもなく大きいと云う。
迎えた正月明けには砂モチもしているようだ。
砂モチと云っても神社ではない。
村北側に流れる川の土手の修復である。買った砂を山盛りにする。
それを若衆が穴の開いた土手に埋め込む。
砂モチと呼ばれる慣習に川の存在があったのだ。
婦人が云った。
その日は集会センター。
大鍋で作る肉ご飯は肉メシとも呼ぶようだ。
それを作るのは年寄り。
砂モチを終えてよばれるらしい肉ご飯はとても美味しいと笑顔で話す。
(H26. 2.22 EOS40D撮影)
(H26. 2.22 SB932SH撮影)