この日に訪れたのは山田の庚申講である。
これまでにも川辺垣内や奥垣内の住民にも聞いていた庚申講。
初庚申がこの日であることを願って来たのであるが、二日前の日曜日に行われていたことを知る。
始めに聞いたのは東茶ノ前垣内の住民。
昨年に訪れたご主人がおられた。
カンピョウ干しをされていたご主人だ。
話しによれば、村の初集会で実施日が決まったらしく、本来ならその年に初めて迎えるかのえさる(庚申)の日にされるのだが、集まりやすい日曜日になったと云う。
垣内の講中の都合の良い時間帯であって、今年は12時。
最寄りの庚申塚に集まって般若心経一巻を唱えたそうだ。
それを終えてトーヤ家でヨバレとなる。
今年は冬期オリンピック。
オリンピックの年には庚申さんの「モウシアゲ」もするという。
その日も村の初集会で決まった日。
今年は4月6日の日曜日。
これまでも実施日は4月の始めの日曜日。
「モウシアゲ」の場合はモチを供えて般若心経を三巻唱えることになると云う。
ご主人話した奥垣内の講中。
集落中央辺りにある庚申さんが場。
そこには橿原市の八木町にある愛宕神社を祀った社もあるらしい。
奥垣内と云えばF家がある。
行事取材でお世話になったF氏が住む家は母家にあたるそうだ。
以前に聞いていた川辺垣内もしていたようだと話す。
時間帯はそれぞれであった。
足を伸ばして宮講右座のお家も尋ねてみた。
ご主人曰く、おじいさんが生前に始めたと云う庚申講。
小高い丘のコバカに社で覆った庚申塚があった。
畑を作らねばというわけで場を移した。
そのうち、庚申塚もどこかへ行ってしまって行方不明。
そうした状況であったが、庚申塚を調べていた男性が訪れた。
その人は測量をして地図を作製していたらしい。
一組(東垣内であろう)は2カ月おきに講中が集まってお勤めをしているが、西茶ノ前垣内では年に一度の寄り合い。
ごっつおを作って食べていた。
講中の各家を回って茶碗、おひら、膳をもらってくる。
ヤドの家で料理を作って椀に盛りつけしていた。
講中は5軒ぐらい。
今年は欠席が多くて3人の寄り合いになった。
他の垣内と同様に2月の第一日曜にしたと云う。
ここでは旧暦の閏年には「モウシアゲ」をしているそうだ。
ハンノキを採ってきて願文を書く。
願文の内容は決まっていて見本を見ながら書くそうだ。
ハンノキはここら辺りには生えていない。
わざわざ都祁の吐山まで出かける。
そこにはずらりとハンノキがあるらしい。
それも面倒になってここら辺りにある木で代用している。
ハンノキには葉を落とす。
片方が二股になっている木を選ぶ。
「モウシアゲ」を終えたヤドはハンノキをツシに納めていたが、改築の際に捨てたそうだ。
そんな話を提供してくださった場に婦人が「おなかのムシやしない」と云って差し出されたピーナッツクリームを挟んだパン。
「えっ、今なんて言ったの」。
「ムシやしない」よ。
「なんでんねん、それ」と返した言葉は「お腹のたしに」という桜井市山田の住民。
ここらだけの言い方なのか判らないと話す。
「ムシやしない」。ラジオで伝えていた奇しくも今日は奄美大島の方言の日らしく。
奈良大和で初めて聞いた方言のひとつと思われる「ムシやしない」を解説するに、「空いた腹の虫をたしに養う」ということだそうで。
それにしても手作りパンが美味しかった。
(H26. 2.18 SB932SH撮影)
これまでにも川辺垣内や奥垣内の住民にも聞いていた庚申講。
初庚申がこの日であることを願って来たのであるが、二日前の日曜日に行われていたことを知る。
始めに聞いたのは東茶ノ前垣内の住民。
昨年に訪れたご主人がおられた。
カンピョウ干しをされていたご主人だ。
話しによれば、村の初集会で実施日が決まったらしく、本来ならその年に初めて迎えるかのえさる(庚申)の日にされるのだが、集まりやすい日曜日になったと云う。
垣内の講中の都合の良い時間帯であって、今年は12時。
最寄りの庚申塚に集まって般若心経一巻を唱えたそうだ。
それを終えてトーヤ家でヨバレとなる。
今年は冬期オリンピック。
オリンピックの年には庚申さんの「モウシアゲ」もするという。
その日も村の初集会で決まった日。
今年は4月6日の日曜日。
これまでも実施日は4月の始めの日曜日。
「モウシアゲ」の場合はモチを供えて般若心経を三巻唱えることになると云う。
ご主人話した奥垣内の講中。
集落中央辺りにある庚申さんが場。
そこには橿原市の八木町にある愛宕神社を祀った社もあるらしい。
奥垣内と云えばF家がある。
行事取材でお世話になったF氏が住む家は母家にあたるそうだ。
以前に聞いていた川辺垣内もしていたようだと話す。
時間帯はそれぞれであった。
足を伸ばして宮講右座のお家も尋ねてみた。
ご主人曰く、おじいさんが生前に始めたと云う庚申講。
小高い丘のコバカに社で覆った庚申塚があった。
畑を作らねばというわけで場を移した。
そのうち、庚申塚もどこかへ行ってしまって行方不明。
そうした状況であったが、庚申塚を調べていた男性が訪れた。
その人は測量をして地図を作製していたらしい。
一組(東垣内であろう)は2カ月おきに講中が集まってお勤めをしているが、西茶ノ前垣内では年に一度の寄り合い。
ごっつおを作って食べていた。
講中の各家を回って茶碗、おひら、膳をもらってくる。
ヤドの家で料理を作って椀に盛りつけしていた。
講中は5軒ぐらい。
今年は欠席が多くて3人の寄り合いになった。
他の垣内と同様に2月の第一日曜にしたと云う。
ここでは旧暦の閏年には「モウシアゲ」をしているそうだ。
ハンノキを採ってきて願文を書く。
願文の内容は決まっていて見本を見ながら書くそうだ。
ハンノキはここら辺りには生えていない。
わざわざ都祁の吐山まで出かける。
そこにはずらりとハンノキがあるらしい。
それも面倒になってここら辺りにある木で代用している。
ハンノキには葉を落とす。
片方が二股になっている木を選ぶ。
「モウシアゲ」を終えたヤドはハンノキをツシに納めていたが、改築の際に捨てたそうだ。
そんな話を提供してくださった場に婦人が「おなかのムシやしない」と云って差し出されたピーナッツクリームを挟んだパン。
「えっ、今なんて言ったの」。
「ムシやしない」よ。
「なんでんねん、それ」と返した言葉は「お腹のたしに」という桜井市山田の住民。
ここらだけの言い方なのか判らないと話す。
「ムシやしない」。ラジオで伝えていた奇しくも今日は奄美大島の方言の日らしく。
奈良大和で初めて聞いた方言のひとつと思われる「ムシやしない」を解説するに、「空いた腹の虫をたしに養う」ということだそうで。
それにしても手作りパンが美味しかった。
(H26. 2.18 SB932SH撮影)