今回で5回目になった「私がとらえた大和の民俗」写真展。
今回のテーマは衣。
写真家11人が織りなす民俗写真が33枚。
バラエテイに富んだ作品が展示された。
この日はカメラマントーク。
出席者は森川光、田中、脇坂、植田、松本、志岐、野本の7人。
聴講者はトークカメラマンの知人が半分の7人。
一般の聴講者は6人で計13人。
開催前日に案内された讀賣新聞の記事を見て来られたそうだ。
だいたいがこれぐらいの聴講者。
距離感は近すぎるぐらい短い。
始めに自己紹介。
3分間制限に紹介する。
植田さんは会社に勤めていたときの上司の話しをされる。
マツリがある日は休まなきゃならないということだ。
会社を辞めて云十年。
吉野川付近に点在するオカリヤがある。
ある地域の取材でばったり出会った上司は氏子総代だった。
松本さんは神さんのおかげで撮らせてもらっていると話す。
祀っている神さんから派生して民俗にはまった志岐さん。
先人の知恵で今の生活があるという野本さん。
それぞれの思いで自己紹介される。
今回のMCは森川光さん。
写真家それぞれの若い時のプロフイール写真が載っている図録の裏表紙を見せながら話す。
当時撮られたときの服装は今回のテーマの衣。
生きてきた写真家の生の生活文化に民俗、フアッションを見出す。
これよりは出展した自分の作品を解説する。
脇坂さんは奈良晒しを考えていたが、織るだけのシーンしか撮れなかったので、自分らしく子供のハレ着姿にしたという。
エジプト文化を揚げて大昔からあるエプロンを取り上げた志岐さん。
たまたま遭遇した現代の普段着。
肥え籠をオーコで担ぐ男性。
婦人はエプロン姿だ。
肥えを運ぶ作業から教えてもらったタバコの葉の生産。
蒸したタバコの葉は鉄管を通した蔵で保管していた。
行事に行列を組む前掛けもエプロン。
虫送りに練り歩く姿は他所で見たことがないという。
森川光さんは欠席者の代弁紹介もしなければならない。
ご自身も体験している修験の在り方。
インパクトがある作品は松井さんのだ。
修験の衣装は特異的。
「死に行」を着ていると話す。
鹿谷さんの作品は解説できないと云ってマイクを渡された。
本人も難しかったという3枚組。
本人の気持ちになって話す。
ここまでで1時間と20分。
聴講者は飽きてきたように思える。
ここからは自由に話してくださいとMCにバトンタッチ。
森川光さんは動かないものを撮る、動いているものを撮る、を獅子舞の被写体を選んで解説する。
カメラはこうして回す。
遊びの要素もある作品作りのコツを話す。
順番に渡されるマイク。
運ばれたら喋るしかないが、ネタはどうするのか。
急に言われても・・である。
裏表紙に残された叔母の姿。
若い時の生前の姿であるが、今月に亡くなった。
本人は生きていないが、撮られた写真が図録に残された。
写真があったからこそできる生前の記録である。
数か月前、私は入院していた。
職業病ではないが、写せる範囲内でケータイデジカメで撮っていた。
いつしか忘れてしまうものを記録しておけば後年に役立つ。
そう思っている。
なんてことを話していたら時間ばかりが経過する。
残り30分間は聴講者が求める質問時間に割り振る。
一つ目の質問は写ってはいけない人を撮った場合、或は写さない基準はあるのか、である。
地方行政の条例はあるが、肖像権という法律はない。
もう一人はお寺などに支払う志納金はどうすればいいのか、である。
これは人さまざまである。
有名寺院は規約がある。
それに沿って支払っている場合もあれば、賽銭は必ずという人もいる。
酒を供える人もあれば、無収入の身であるゆえ、何もしないという人もいる。
規約があれば、それに沿うが、基準なんてものはない。
最後に出た言葉が「もっと多くの人に、このトークに来てほしかった。賑やかになってほしかった」という橋本さん。
その通りだと思う。
数人の写真家はFBやブログで案内していた。
聴講者に友人が居られたのはそういうことだ。
ちなみに前日の初日は50人も来館したそうだ。
讀賣新聞の効果ではないだろうか。
毎回、悩ませる集客である。
(H27.10.25 SB932SH撮影)
今回のテーマは衣。
写真家11人が織りなす民俗写真が33枚。
バラエテイに富んだ作品が展示された。
この日はカメラマントーク。
出席者は森川光、田中、脇坂、植田、松本、志岐、野本の7人。
聴講者はトークカメラマンの知人が半分の7人。
一般の聴講者は6人で計13人。
開催前日に案内された讀賣新聞の記事を見て来られたそうだ。
だいたいがこれぐらいの聴講者。
距離感は近すぎるぐらい短い。
始めに自己紹介。
3分間制限に紹介する。
植田さんは会社に勤めていたときの上司の話しをされる。
マツリがある日は休まなきゃならないということだ。
会社を辞めて云十年。
吉野川付近に点在するオカリヤがある。
ある地域の取材でばったり出会った上司は氏子総代だった。
松本さんは神さんのおかげで撮らせてもらっていると話す。
祀っている神さんから派生して民俗にはまった志岐さん。
先人の知恵で今の生活があるという野本さん。
それぞれの思いで自己紹介される。
今回のMCは森川光さん。
写真家それぞれの若い時のプロフイール写真が載っている図録の裏表紙を見せながら話す。
当時撮られたときの服装は今回のテーマの衣。
生きてきた写真家の生の生活文化に民俗、フアッションを見出す。
これよりは出展した自分の作品を解説する。
脇坂さんは奈良晒しを考えていたが、織るだけのシーンしか撮れなかったので、自分らしく子供のハレ着姿にしたという。
エジプト文化を揚げて大昔からあるエプロンを取り上げた志岐さん。
たまたま遭遇した現代の普段着。
肥え籠をオーコで担ぐ男性。
婦人はエプロン姿だ。
肥えを運ぶ作業から教えてもらったタバコの葉の生産。
蒸したタバコの葉は鉄管を通した蔵で保管していた。
行事に行列を組む前掛けもエプロン。
虫送りに練り歩く姿は他所で見たことがないという。
森川光さんは欠席者の代弁紹介もしなければならない。
ご自身も体験している修験の在り方。
インパクトがある作品は松井さんのだ。
修験の衣装は特異的。
「死に行」を着ていると話す。
鹿谷さんの作品は解説できないと云ってマイクを渡された。
本人も難しかったという3枚組。
本人の気持ちになって話す。
ここまでで1時間と20分。
聴講者は飽きてきたように思える。
ここからは自由に話してくださいとMCにバトンタッチ。
森川光さんは動かないものを撮る、動いているものを撮る、を獅子舞の被写体を選んで解説する。
カメラはこうして回す。
遊びの要素もある作品作りのコツを話す。
順番に渡されるマイク。
運ばれたら喋るしかないが、ネタはどうするのか。
急に言われても・・である。
裏表紙に残された叔母の姿。
若い時の生前の姿であるが、今月に亡くなった。
本人は生きていないが、撮られた写真が図録に残された。
写真があったからこそできる生前の記録である。
数か月前、私は入院していた。
職業病ではないが、写せる範囲内でケータイデジカメで撮っていた。
いつしか忘れてしまうものを記録しておけば後年に役立つ。
そう思っている。
なんてことを話していたら時間ばかりが経過する。
残り30分間は聴講者が求める質問時間に割り振る。
一つ目の質問は写ってはいけない人を撮った場合、或は写さない基準はあるのか、である。
地方行政の条例はあるが、肖像権という法律はない。
もう一人はお寺などに支払う志納金はどうすればいいのか、である。
これは人さまざまである。
有名寺院は規約がある。
それに沿って支払っている場合もあれば、賽銭は必ずという人もいる。
酒を供える人もあれば、無収入の身であるゆえ、何もしないという人もいる。
規約があれば、それに沿うが、基準なんてものはない。
最後に出た言葉が「もっと多くの人に、このトークに来てほしかった。賑やかになってほしかった」という橋本さん。
その通りだと思う。
数人の写真家はFBやブログで案内していた。
聴講者に友人が居られたのはそういうことだ。
ちなみに前日の初日は50人も来館したそうだ。
讀賣新聞の効果ではないだろうか。
毎回、悩ませる集客である。
(H27.10.25 SB932SH撮影)