時間ともなれば正装した村人らが頭屋家にやってくる。
これより始まるのは桜井市萱森のマツリ行事だ。
頭屋祭を始めるにあたって座った頭人は烏帽子を被った白装束の狩衣姿。
これは太夫が着用する正装である。
頭人は一老でもあり、太夫でもある。
役目が重なってなければ、頭人、二老、三老、祭頭総代とも同じ装束の紺色素襖。
肩から袖にかけて二本の白染め、烏帽子を被って白い鉢巻きを締める。
中老、副中老は裃姿。氏子はスーツ姿で頭人に向かって「おめでとうございます」の挨拶をする。
一同揃って前夜に神さんを遷しましした神輿の前に座る。
祭主を勤めるのは瀧倉の今西宮司だ。
引退された親父さんの跡を継いだ娘さんだ。
幣で祓って、大宮に戻られる還幸の祝詞を奏上する。
「三月朔座の御神入り(おしめいり)に、家主として、頭人として今日の良く日に戻る大宮に還りませと、かしこみまおぉーす」と、お渡りの祝詞も終えて一段落した。
右手に見えるのは御供を納めた唐櫃。
その上に結った大注連縄を乗せていた。
かつて座を営む頭屋家は長男が生まれた家が受けていた。
戸数が17戸になった萱森では継承することが難しく、ミヤモト十人衆が順次交替して頭人を勤めるようになったそうだ。
頭屋祭神事を終えた一行は座敷を囲むような状態に「座り替え」。
その場で肴謡(さかなうたい)の謡を唄う。
唄うといっても節回しもなく、朗々と“詩”を詠みあげるような謡いである。
謳いは「トウヤダチウタイ」。
充てる漢字は「頭屋立詩」だ。
詞章は「神と君との道すぐに 都の春に行くべきは 此れぞ現状楽の舞 さて万才楽の生み衣 さすかいなには悪魔を祓い 納むる手にはふじくを抱き 千秋楽には民を撫で 万才楽には命を延ぶ 相生の松風颯々(さっさつ)の聲(こえ)ぞ楽しむ 颯々の聲ぞ楽しむ」だ。
「高砂」の最後に謡われる小謡の「付祝言(つけしゅうげん」。
かつては直会の酒宴に酒を飲み交わす際に謡われていたのであろう。
昨年の頭屋祭もそうだったが、突然の服忌によって今年のマツリも出仕される村人の人数は少ない。
これより始まるのは頭屋家から氏神さんが鎮座する高龗神社へのお渡りだ。
宵宮祭のお渡り順は警護・竹箒、警護・竹杖、御榊、日ノ御旗、月ノ御旗、御榊台、立矛、祭頭総代、氏子総代、御榊、中老、神輿、唐櫃、副中老、一老、奉幣、二老、三老、神職、宮本衆、立矛、座中一同である。
今年の渡り衆の数は足らない。
猫の手どころか、子供の手も借りたいくらいになった。
その声を聞いた子供は早速動きだした。
猫の手になったかどうか判らないが、子供が担うお渡り道具は警護の竹箒と竹杖だ。
先頭の警護は竹箒。
神さんが通る道を綺麗に掃く。
次も警護で竹杖。
かつては腰の曲がった長老が杖をついていた。
その様相は見ることないが、急遽決まった子供が役につく。
喜び勇んで箒か杖か、姉妹の競争だ。
先に掴んだほうが勝ち。
なんてことはないが、母親とともに動きだした。
初めての体験に母親の愛情が横につく。
子供のころに村で育った母親。
マツリを見ていたので、傍に就いて優しく教えながら道を掃いていた。
御榊、日ノ御旗、月ノ御旗、御榊台、立矛は重たい道具。
昔は大勢いたか役目を分担しえた。
今では一度に運ぶことも難儀なことだ。
何度も何度も運び抱えて往復する。
頭屋家から歩けばどれぐらいの距離があるのだろうか。
急な坂道は神社に向かう参道でもあるが、現在は玄関辻に停めた軽トラで高龗神社まで運ぶ。
神さんを遷された神輿も、御供を納めた唐櫃も重たい。
さすがにこれらは成人男子。
とはいっても若くはないし、年寄りでもない若手である。
彼らも村で生まれた男子。
数年も経たないうちにマツリ頭屋を務める。
昭和24年に新調した神輿を寄附した家はG家。
今年のマツリ直前に家人が亡くなり、一年間も神事ごとに参列することができない服忌になった。
大きくなった孫の姿に目を細めている頭人が抱えているのは8カ月間も神さんが仮住まいしていたヤカタだ。
前夜に行われた遷しまし神事によって神輿に遷されたからこの日は空である。
警護の竹杖を運んだ妹孫。
まだ運びたいらしく軽めの日ノ御旗をもった。
ともに運んでいるのは3本の御幣を運ぶ十老さん。
ミヤモト十人衆入りしたのは3年前だった。
その年は頭人も務めたと話す。
そのころに病んだ身体。
動きは不自由の身であるが、いつもこうして動ける範囲内でガンバッテはる。
私もほぼよう似た病み上がり者。
駆け登ることはできないが、動ける範囲内で写真を撮っていた。
神社に到着した一行はすぐさま宵宮祭に取り掛かる。
注連縄張りに提灯掲げ。
御榊を差し込んだ鏡と刀の立矛や紅白の日ノ御旗、月ノ御旗、槍立矛に御榊台などもある。
それぞれが分担し合って祭り道具を調える。
なかでも私のお気に入りは笑い顔の狛犬。
頭の上にちょこんと乗せたコジメがよほど嬉しいのだろう。
祭頭総代は「シバ」の呼び名がある頭人の木札を揃える。
場は鳥居柱の二か所だ。
一年間もこの場に置いておくが、ふらりと訪れる旅人は気がつくだろうか。
太夫こと今年の頭人は一人で「カンマツリ」。
本来なら太夫、頭人の二人で行う「カンマツリ」のお供えを一人二役でしていた。
手にしているのは、トリコ(米粉であろう)と呼ぶ粉に甘酒を入れて混ぜて練ったドロドロ状の白いもの。
萱森ではその名はついていないが、県内類事例から判断すれば、おそらくシトギであろう。
供える場所は神社奥にある掘切に鎮座する滝倉神社や狛犬の足元、燈籠である。
御供はもう一カ所ある。
高龗神社鳥居前数十メートルの場である山の神。
昨年は屋根ともども朽ちていた山の神。
つい最近において新しくなった。
それぞれの場にクリの木の箸で摘まんで供える。
太い大注連縄は鳥居に吊り下げる。
四つの大きな房の間にネムの木で細工したヨキ、オノをそれぞれ2個ずつぶら下げた。
これは神社側から見た大注連縄。
房を取り付けた藁の結び目が見える。
二老曰く、これは誤りだった。
本来なら、逆方向の潜る鳥居側から見てヨキ、オノがある方に結び目があるというのだ。
修正する時間、体力もない。
仕方ない、ということである。
大注連縄には日の丸旗が掲げられた。
頭屋家にも立てていた日の丸旗であるが、黄金色の金属ボールは見られない。
これは神社用の日の丸旗なのである。
掲げた大注連縄を潜って神社に戻っていく頭人こと太夫さん。
青竹をクロス状に支えた日の丸旗を潜っていった。
頭人こと太夫さんが潜った日の丸旗。
向こうの境内から妹孫が駆け寄ってきた。
その場に集まる姉孫に母親。
母親は頭屋家の次女。
隣に立つ女性は長女だ。
三女は頭屋家で留守番。
両親を祝う三人娘が一堂に揃った。
この場は揃わなかったが、じゃれ合う二人の孫娘に釣られて記念の一枚。
長女はどこかで見たことがあるような、ないような・・・。
萱森の太い注連縄から思いだされた嫁ぎ先の村行事。
なんでも大きな蛇を引きずって村中を巡るというのだ。
もしかとすれば御所市の蛇穴ではと云えば、あるブログの掲載写真に私が登場していると返す。
拝見したスマホの画面の一コマどころか、この記事は私が撮って執筆した年度の「汁掛け・綱曳き祭」だった。
長女さんが写っていた写真は頭屋家の接待料理を作って並べているところだった。
この年の垣内当番組は11、12組。
私がきいていた組と合致する。
萱森で出合った藁細工の注連縄は蛇に転じた。
これこそ奇遇と云うしかいいようがない。
この年の参拝者は昨年よりも格段に多い。
宵宮座の頭屋祭に出仕される座中の息子や娘は孫たちを連れて参拝していたのだ。
たまたまこの年に集中しただけだと話す氏子たち。
参拝者は作業のすべてを終えた座中ともども拝殿前で甘酒をいただいた。
斎主による祓えの詞、祓えの儀、祝詞奏上、玉串奉奠など、厳かに執り行われる。
拝殿に置いた祭壇に盛ったお供えがある。
五枚重ねの鏡餅。
上にはコモチが3個ある。
サバやカマスの魚も供えた。
ニンジン・キャベツ・ピーマン・ダイコン・ハクサイ・ゴボウ・ドロイモや果物のカキなども盛っている。
これらのお供えは小宮に捧げる御供だ。
祭壇下には折敷に盛った一升米もある。
その上には紙片も載せていた。
そして、神饌所に置いていた神饌は座中が手渡しで本殿に捧げて献饌する。
宵宮祭とも呼ばれる頭屋祭。
饌米を盛った三枚の折敷の前に三本の大御幣を置いた。
座中一同が起立して頭を下げる祝詞奏上の次に奉幣振りの神事が行われる。
始めに登場するのは太夫だ。
三本の御幣を纏めてもつ太夫。
裃姿の中老、副中老は大御幣が倒れないように介添えして支える。
御幣の下の部分の脚にあたるところを持って左回りに三回振りまわす。
次は撒米の作法に移る。
始めに中央の折敷より盛った饌米を手にして前方の本殿側に向かって奉る。
その作法は紙片とともに米を撒くのである。
中央の次は左手側、その次は右手側。
同じように撒米をする。
拝礼した太夫が退座された次は祭頭総代を務める二老が同様の作法をするが、御幣は一本持ちになる。
撒米は中央、左手、右手の順だった。
三番手は三老になるが、やむなく欠席。
五老が代わりに所作をする。
五老も同じく御幣は中央にあった一本持ちである。
撒米は中央、左手、右手の順だった。
饌米は今年度産ではなく昨年の産である。
本年も五穀豊穣でありますようにと願いを込めて撒米されるのは、この年の2月24日に祭典された御田植祭のお礼でもあると話していた。
また、この作法はすべての禍を祓う儀式でもあるそうだが、一瞬の作法をとらえるのは難しい。
このあとは撤饌、閉扉をされて祭式を終えた。
御供下げしたカマスは一尾ごとに頭と尾に解体する。
包丁で切り分けてパック詰め料理の宴席に置かれる。
持ち帰って家で食べるらしいが、炊く、煮るなど味付けしないと食べられないと話していた。
座中は配膳席に座っているが、裃姿の中老、副中老は着替えることもなく宴席の端に立っていた。
マツリの労いもある直会に移る直前のことだ。
中老、副中老は奉幣振りをした大御幣、それぞれ1本ずつもって動きだす。
座中一人ずつに頭の上から翳して振るのである。
振るというよりも、垂らした幣で頭を撫でながら通り過ぎるという感じだった。
こうした御幣祓いの儀式は除災の意味があると話していた。
頭屋祭を終えた直会の場は頭屋家がもてなす接待になる。
膳は頭屋家が注文した「太寅」の仕出し料理。
席についた祭頭総代が次の頭屋家を紹介する。
頭屋家代表はこれまで一年間も喪に服したY家。
頭人になるY氏が挨拶をされて承諾された。
来年の頭屋祭は10月23日と24日。
前週の日曜日は小夫の祭典。
今西トモ子宮司は小夫も祭式をされるが斎主は桑山俊英宮司。
萱森を斎主するのは今西さんということで日程が決まった。
マツリを終えた直会の場においても頭屋家の接待膳をよばれた。
この場を借りて厚く御礼を申し上げる次第だ。
宴席が終わって座中は解散する。
その際には一本のローソクを貰う。
このローソクは何時、どこで火を点けるのか。
聞いてみれば、今夜である。
かつては帰りの道中に、紋が描かれた各家が持ち込んだ提灯にローソクの火を灯した。
それは暗がりの夜道に足元を照らす道具であった。
今では提灯は持ち込まないが、一本のロ-ソク貰いだけは名残として昔通りに配られる。
ちなみに神社提灯は六つ。
拝殿、社務所に丸提灯の鳥居である。
(H27.10.24 EOS40D撮影)
これより始まるのは桜井市萱森のマツリ行事だ。
頭屋祭を始めるにあたって座った頭人は烏帽子を被った白装束の狩衣姿。
これは太夫が着用する正装である。
頭人は一老でもあり、太夫でもある。
役目が重なってなければ、頭人、二老、三老、祭頭総代とも同じ装束の紺色素襖。
肩から袖にかけて二本の白染め、烏帽子を被って白い鉢巻きを締める。
中老、副中老は裃姿。氏子はスーツ姿で頭人に向かって「おめでとうございます」の挨拶をする。
一同揃って前夜に神さんを遷しましした神輿の前に座る。
祭主を勤めるのは瀧倉の今西宮司だ。
引退された親父さんの跡を継いだ娘さんだ。
幣で祓って、大宮に戻られる還幸の祝詞を奏上する。
「三月朔座の御神入り(おしめいり)に、家主として、頭人として今日の良く日に戻る大宮に還りませと、かしこみまおぉーす」と、お渡りの祝詞も終えて一段落した。
右手に見えるのは御供を納めた唐櫃。
その上に結った大注連縄を乗せていた。
かつて座を営む頭屋家は長男が生まれた家が受けていた。
戸数が17戸になった萱森では継承することが難しく、ミヤモト十人衆が順次交替して頭人を勤めるようになったそうだ。
頭屋祭神事を終えた一行は座敷を囲むような状態に「座り替え」。
その場で肴謡(さかなうたい)の謡を唄う。
唄うといっても節回しもなく、朗々と“詩”を詠みあげるような謡いである。
謳いは「トウヤダチウタイ」。
充てる漢字は「頭屋立詩」だ。
詞章は「神と君との道すぐに 都の春に行くべきは 此れぞ現状楽の舞 さて万才楽の生み衣 さすかいなには悪魔を祓い 納むる手にはふじくを抱き 千秋楽には民を撫で 万才楽には命を延ぶ 相生の松風颯々(さっさつ)の聲(こえ)ぞ楽しむ 颯々の聲ぞ楽しむ」だ。
「高砂」の最後に謡われる小謡の「付祝言(つけしゅうげん」。
かつては直会の酒宴に酒を飲み交わす際に謡われていたのであろう。
昨年の頭屋祭もそうだったが、突然の服忌によって今年のマツリも出仕される村人の人数は少ない。
これより始まるのは頭屋家から氏神さんが鎮座する高龗神社へのお渡りだ。
宵宮祭のお渡り順は警護・竹箒、警護・竹杖、御榊、日ノ御旗、月ノ御旗、御榊台、立矛、祭頭総代、氏子総代、御榊、中老、神輿、唐櫃、副中老、一老、奉幣、二老、三老、神職、宮本衆、立矛、座中一同である。
今年の渡り衆の数は足らない。
猫の手どころか、子供の手も借りたいくらいになった。
その声を聞いた子供は早速動きだした。
猫の手になったかどうか判らないが、子供が担うお渡り道具は警護の竹箒と竹杖だ。
先頭の警護は竹箒。
神さんが通る道を綺麗に掃く。
次も警護で竹杖。
かつては腰の曲がった長老が杖をついていた。
その様相は見ることないが、急遽決まった子供が役につく。
喜び勇んで箒か杖か、姉妹の競争だ。
先に掴んだほうが勝ち。
なんてことはないが、母親とともに動きだした。
初めての体験に母親の愛情が横につく。
子供のころに村で育った母親。
マツリを見ていたので、傍に就いて優しく教えながら道を掃いていた。
御榊、日ノ御旗、月ノ御旗、御榊台、立矛は重たい道具。
昔は大勢いたか役目を分担しえた。
今では一度に運ぶことも難儀なことだ。
何度も何度も運び抱えて往復する。
頭屋家から歩けばどれぐらいの距離があるのだろうか。
急な坂道は神社に向かう参道でもあるが、現在は玄関辻に停めた軽トラで高龗神社まで運ぶ。
神さんを遷された神輿も、御供を納めた唐櫃も重たい。
さすがにこれらは成人男子。
とはいっても若くはないし、年寄りでもない若手である。
彼らも村で生まれた男子。
数年も経たないうちにマツリ頭屋を務める。
昭和24年に新調した神輿を寄附した家はG家。
今年のマツリ直前に家人が亡くなり、一年間も神事ごとに参列することができない服忌になった。
大きくなった孫の姿に目を細めている頭人が抱えているのは8カ月間も神さんが仮住まいしていたヤカタだ。
前夜に行われた遷しまし神事によって神輿に遷されたからこの日は空である。
警護の竹杖を運んだ妹孫。
まだ運びたいらしく軽めの日ノ御旗をもった。
ともに運んでいるのは3本の御幣を運ぶ十老さん。
ミヤモト十人衆入りしたのは3年前だった。
その年は頭人も務めたと話す。
そのころに病んだ身体。
動きは不自由の身であるが、いつもこうして動ける範囲内でガンバッテはる。
私もほぼよう似た病み上がり者。
駆け登ることはできないが、動ける範囲内で写真を撮っていた。
神社に到着した一行はすぐさま宵宮祭に取り掛かる。
注連縄張りに提灯掲げ。
御榊を差し込んだ鏡と刀の立矛や紅白の日ノ御旗、月ノ御旗、槍立矛に御榊台などもある。
それぞれが分担し合って祭り道具を調える。
なかでも私のお気に入りは笑い顔の狛犬。
頭の上にちょこんと乗せたコジメがよほど嬉しいのだろう。
祭頭総代は「シバ」の呼び名がある頭人の木札を揃える。
場は鳥居柱の二か所だ。
一年間もこの場に置いておくが、ふらりと訪れる旅人は気がつくだろうか。
太夫こと今年の頭人は一人で「カンマツリ」。
本来なら太夫、頭人の二人で行う「カンマツリ」のお供えを一人二役でしていた。
手にしているのは、トリコ(米粉であろう)と呼ぶ粉に甘酒を入れて混ぜて練ったドロドロ状の白いもの。
萱森ではその名はついていないが、県内類事例から判断すれば、おそらくシトギであろう。
供える場所は神社奥にある掘切に鎮座する滝倉神社や狛犬の足元、燈籠である。
御供はもう一カ所ある。
高龗神社鳥居前数十メートルの場である山の神。
昨年は屋根ともども朽ちていた山の神。
つい最近において新しくなった。
それぞれの場にクリの木の箸で摘まんで供える。
太い大注連縄は鳥居に吊り下げる。
四つの大きな房の間にネムの木で細工したヨキ、オノをそれぞれ2個ずつぶら下げた。
これは神社側から見た大注連縄。
房を取り付けた藁の結び目が見える。
二老曰く、これは誤りだった。
本来なら、逆方向の潜る鳥居側から見てヨキ、オノがある方に結び目があるというのだ。
修正する時間、体力もない。
仕方ない、ということである。
大注連縄には日の丸旗が掲げられた。
頭屋家にも立てていた日の丸旗であるが、黄金色の金属ボールは見られない。
これは神社用の日の丸旗なのである。
掲げた大注連縄を潜って神社に戻っていく頭人こと太夫さん。
青竹をクロス状に支えた日の丸旗を潜っていった。
頭人こと太夫さんが潜った日の丸旗。
向こうの境内から妹孫が駆け寄ってきた。
その場に集まる姉孫に母親。
母親は頭屋家の次女。
隣に立つ女性は長女だ。
三女は頭屋家で留守番。
両親を祝う三人娘が一堂に揃った。
この場は揃わなかったが、じゃれ合う二人の孫娘に釣られて記念の一枚。
長女はどこかで見たことがあるような、ないような・・・。
萱森の太い注連縄から思いだされた嫁ぎ先の村行事。
なんでも大きな蛇を引きずって村中を巡るというのだ。
もしかとすれば御所市の蛇穴ではと云えば、あるブログの掲載写真に私が登場していると返す。
拝見したスマホの画面の一コマどころか、この記事は私が撮って執筆した年度の「汁掛け・綱曳き祭」だった。
長女さんが写っていた写真は頭屋家の接待料理を作って並べているところだった。
この年の垣内当番組は11、12組。
私がきいていた組と合致する。
萱森で出合った藁細工の注連縄は蛇に転じた。
これこそ奇遇と云うしかいいようがない。
この年の参拝者は昨年よりも格段に多い。
宵宮座の頭屋祭に出仕される座中の息子や娘は孫たちを連れて参拝していたのだ。
たまたまこの年に集中しただけだと話す氏子たち。
参拝者は作業のすべてを終えた座中ともども拝殿前で甘酒をいただいた。
斎主による祓えの詞、祓えの儀、祝詞奏上、玉串奉奠など、厳かに執り行われる。
拝殿に置いた祭壇に盛ったお供えがある。
五枚重ねの鏡餅。
上にはコモチが3個ある。
サバやカマスの魚も供えた。
ニンジン・キャベツ・ピーマン・ダイコン・ハクサイ・ゴボウ・ドロイモや果物のカキなども盛っている。
これらのお供えは小宮に捧げる御供だ。
祭壇下には折敷に盛った一升米もある。
その上には紙片も載せていた。
そして、神饌所に置いていた神饌は座中が手渡しで本殿に捧げて献饌する。
宵宮祭とも呼ばれる頭屋祭。
饌米を盛った三枚の折敷の前に三本の大御幣を置いた。
座中一同が起立して頭を下げる祝詞奏上の次に奉幣振りの神事が行われる。
始めに登場するのは太夫だ。
三本の御幣を纏めてもつ太夫。
裃姿の中老、副中老は大御幣が倒れないように介添えして支える。
御幣の下の部分の脚にあたるところを持って左回りに三回振りまわす。
次は撒米の作法に移る。
始めに中央の折敷より盛った饌米を手にして前方の本殿側に向かって奉る。
その作法は紙片とともに米を撒くのである。
中央の次は左手側、その次は右手側。
同じように撒米をする。
拝礼した太夫が退座された次は祭頭総代を務める二老が同様の作法をするが、御幣は一本持ちになる。
撒米は中央、左手、右手の順だった。
三番手は三老になるが、やむなく欠席。
五老が代わりに所作をする。
五老も同じく御幣は中央にあった一本持ちである。
撒米は中央、左手、右手の順だった。
饌米は今年度産ではなく昨年の産である。
本年も五穀豊穣でありますようにと願いを込めて撒米されるのは、この年の2月24日に祭典された御田植祭のお礼でもあると話していた。
また、この作法はすべての禍を祓う儀式でもあるそうだが、一瞬の作法をとらえるのは難しい。
このあとは撤饌、閉扉をされて祭式を終えた。
御供下げしたカマスは一尾ごとに頭と尾に解体する。
包丁で切り分けてパック詰め料理の宴席に置かれる。
持ち帰って家で食べるらしいが、炊く、煮るなど味付けしないと食べられないと話していた。
座中は配膳席に座っているが、裃姿の中老、副中老は着替えることもなく宴席の端に立っていた。
マツリの労いもある直会に移る直前のことだ。
中老、副中老は奉幣振りをした大御幣、それぞれ1本ずつもって動きだす。
座中一人ずつに頭の上から翳して振るのである。
振るというよりも、垂らした幣で頭を撫でながら通り過ぎるという感じだった。
こうした御幣祓いの儀式は除災の意味があると話していた。
頭屋祭を終えた直会の場は頭屋家がもてなす接待になる。
膳は頭屋家が注文した「太寅」の仕出し料理。
席についた祭頭総代が次の頭屋家を紹介する。
頭屋家代表はこれまで一年間も喪に服したY家。
頭人になるY氏が挨拶をされて承諾された。
来年の頭屋祭は10月23日と24日。
前週の日曜日は小夫の祭典。
今西トモ子宮司は小夫も祭式をされるが斎主は桑山俊英宮司。
萱森を斎主するのは今西さんということで日程が決まった。
マツリを終えた直会の場においても頭屋家の接待膳をよばれた。
この場を借りて厚く御礼を申し上げる次第だ。
宴席が終わって座中は解散する。
その際には一本のローソクを貰う。
このローソクは何時、どこで火を点けるのか。
聞いてみれば、今夜である。
かつては帰りの道中に、紋が描かれた各家が持ち込んだ提灯にローソクの火を灯した。
それは暗がりの夜道に足元を照らす道具であった。
今では提灯は持ち込まないが、一本のロ-ソク貰いだけは名残として昔通りに配られる。
ちなみに神社提灯は六つ。
拝殿、社務所に丸提灯の鳥居である。
(H27.10.24 EOS40D撮影)