神明祭と書いて「シンメイサイ」と呼ぶ。
桜井市の山間部にある大字白木。
かつて白木の村は北、中、南白木の三村に別れていた。
南白木はいつしか全村が廃れ中白木に併合された。
中白木の氏神神社は高龗神社。
末社に春日神社と金比羅大明神社がある。
高龗神社の元の鎮座地はここよりはもっと上の急坂を登った山中だったという。
その元地に鎮座するのが神明社。
いわゆるお伊勢さんを祀った社である。
お参りは昼の会食を済ませてからと聞いていた。
終わるころを見計らって神社参籠所へ向かう。
部屋から声が聞こえる。
お参りはまだ始まっていなかった。
間に合ったと思った。
「ごめんください」と声をかけたら「残りものやけど、食事してや」と待っていたかのように云われた。
参籠所にあがれば、速攻のごとくテープルに配膳された食事はイロゴハン。
いつもならパック料理であるが、頭屋家がイロゴハンでもてなしたいと申し出たら座中の婦人たちも賛成されて参籠所で炊くことになった。
具材はニンジン、シメジキノコにアゲサンやゴボウなど。
だしの素を若干量入れて、醤油をドボドボ。味を調える塩は極僅か。
美味しそうな香りが漂うイロゴハンを飯椀に盛ってくれた。
ガッツリいただくイロゴハンはカシワ(鶏肉)の身を入れなくとも美味いのである。
大きな鍋で炊くから美味しくなると婦人たちが笑顔で応えていた。
頭屋接待の昼飯はイロゴハンだけでなくカブラ菜の漬物やサバの塩焼きもある。
塩焼きを食べるのは辛い。
塩分摂取量が限定されている療養の身。
脂がのったサバは美味しいが、味はショッパイ。
パクパク食べることもできず、であるが、接待料理は断れない。
この日の夜食を辛抱すればいいのだと思って完食した。
写真は撮っていないが、この他にも手作りのキュウリのQちゃんもあるし、味噌汁も。
すりおろした生姜を混ぜて作ったQちゃんの味は忘れられないが、食べる量は加減させてもらった。
「シンメイサン」は山の中にある。
正月に結った注連縄は「シンメイサン」の祠の屋根に架ける。
「シンメイサン」は神明社。
いつもそうしているという今年の頭屋家は座の二老。
頭屋家のカド(庭)にお不動さんの祠がある。
何代も前から祀っているという祠だ。
かつてお不動さんの前で護摩焚きをしていたのは修験者の父親だったと話す。
神明社は標高520mの集落よりもっと上の方にある。
急坂の林道は軽トラの4WDでなければ登れない。
たかだか数百メートルの地にある神明社。
歩きで登るには少しキツい山道だ。
手前に梵字を彫った石標がある。
ここら辺りはかつて寺院があったと伝わる。
藪のなかに「こんな大きな岩がある」と案内された。
宝珠のような文様に梵字が彫られている。
風化もせずに鮮明な残欠から「そうとう大きな寺院やったんと違うやろか」という。
村にそれ以上の云い伝えもなく、昭和56年刊・桜井市史および昭和32年刊・桜井町史や昭和13年刊・雑誌『磯城』にもまったく登場しない、名前も判らない寺院である。
手がかりを知っておられる人物も見当たらない。
ただ、気になるのは桜井市史・上之郷地区の寺院の項に「白木字峯畑・向円堂」の説明に「中白木の墓の入口にある東面の堂内に小さな阿弥陀仏や地蔵菩薩がある。廃寺になった惣合寺の旧仏ともいう」と書いてあったくだりだ。
が、「惣合寺」を示す在所・物的証拠もない。
ちなみに大字中白木に現在ある寺院は「極楽寺」。
場所は高龗神社の参籠所内。
村の会所にも使われている部屋だ。
そこに仏像が安置されているが、盗難にあったので新仏のようだ。
その極楽寺とは関係なく、「もっと古いんや」ということだけが伝わっているようである。
「梵字の文字の意味が判ったら教えて」と云われたが宿題は果たせないだろうと思う。
中白木の神明祭は年に一度。
お参りする日はこの日だけだ。
搗いた餅をお盆に盛って供える。
代表はローソクに火を灯す。
いつの時代に建てたか伝わっていない社。
そろそろ銅板も葺き替えしなければ・・・と云う。
社下に並んで、2礼、2拍手、1礼。
こうして「シンメイサン」参りを済ませた村人は供えたモチを抱えて集落に下っていった。
神明社に供えた餅とは別に、氏神神社の高龗神社にも餅を供えていた。
大きな桶に盛った御供餅は頭屋家が供える。
そろそろ始めようかと餅桶を拝殿前に並べた。
村人は前に並ぶ。
御供撒きは一老と宮さんの代表者が撒く。
おしあいへしあいまでとはいかないがそれに近い様相。
放り投げられる度に散らばった餅を拾う。
御供撒きの餅とは別にした餅は炭火で焼く。
火を起こした大小二つのドラムカンから形成した手作りの鉄製火鉢に網を乗せて餅を焼く。
焼いた餅はぜんざいに入れて食べる。
小豆も美味しいぜんざいは「何杯も食べてや」と云われるが・・・他にもある。
そのころの時間帯はやや日暮れ。
灯籠に灯したローソクの灯りが時を告げる。
神明祭の〆料理はオデン。
大鍋にオデンの具材を入れて煮込む。
ゴボテン、チクワ、コンニャク、ダイコン、茹でタマゴ、メークインジャガイモ、アツアゲに串に挿したスジ肉だ。
醤油、味醂、お酒、塩少々のダシ汁で炊く。
具材から染み出るオデンの味が美味い。
我が家同様にカラシを漬けて食べる。
私が生まれ育った大阪市内。
子供だったときも大きくなっても家族全員がカントダキと呼んでいた。
カントダキは関東煮(関東炊きとも)。
関西人はオデンと呼ばずにカントダキと呼んでいたと度々耳にするが・・・。
かつて、中白木の行事につきもの料理でお籠りをしていた。
三日三晩のお籠りは社務所。
夜に食べた料理の残りは翌朝の朝食にもなったと村人が話す。
普段は顔を合すことなく暮らしている。
行事に参加するのは夫婦連れ。
料理をするのも食べるのも一緒。
村の行事に出席しておしゃべりができることが大切だという。
賑やかになった社務所の外は真っ暗だ。
朝は清掃から始まった村の行事はこうして日が暮れるまで楽しんでいる。
夕空が焼けていくころには参道の常夜燈も灯りが点いた。
なお、中白木は今でも二組の庚申講がある。
一組は宮前の3戸。
もう一組は6戸の宮外になるらしい。
(H27.10.17 EOS40D撮影)
桜井市の山間部にある大字白木。
かつて白木の村は北、中、南白木の三村に別れていた。
南白木はいつしか全村が廃れ中白木に併合された。
中白木の氏神神社は高龗神社。
末社に春日神社と金比羅大明神社がある。
高龗神社の元の鎮座地はここよりはもっと上の急坂を登った山中だったという。
その元地に鎮座するのが神明社。
いわゆるお伊勢さんを祀った社である。
お参りは昼の会食を済ませてからと聞いていた。
終わるころを見計らって神社参籠所へ向かう。
部屋から声が聞こえる。
お参りはまだ始まっていなかった。
間に合ったと思った。
「ごめんください」と声をかけたら「残りものやけど、食事してや」と待っていたかのように云われた。
参籠所にあがれば、速攻のごとくテープルに配膳された食事はイロゴハン。
いつもならパック料理であるが、頭屋家がイロゴハンでもてなしたいと申し出たら座中の婦人たちも賛成されて参籠所で炊くことになった。
具材はニンジン、シメジキノコにアゲサンやゴボウなど。
だしの素を若干量入れて、醤油をドボドボ。味を調える塩は極僅か。
美味しそうな香りが漂うイロゴハンを飯椀に盛ってくれた。
ガッツリいただくイロゴハンはカシワ(鶏肉)の身を入れなくとも美味いのである。
大きな鍋で炊くから美味しくなると婦人たちが笑顔で応えていた。
頭屋接待の昼飯はイロゴハンだけでなくカブラ菜の漬物やサバの塩焼きもある。
塩焼きを食べるのは辛い。
塩分摂取量が限定されている療養の身。
脂がのったサバは美味しいが、味はショッパイ。
パクパク食べることもできず、であるが、接待料理は断れない。
この日の夜食を辛抱すればいいのだと思って完食した。
写真は撮っていないが、この他にも手作りのキュウリのQちゃんもあるし、味噌汁も。
すりおろした生姜を混ぜて作ったQちゃんの味は忘れられないが、食べる量は加減させてもらった。
「シンメイサン」は山の中にある。
正月に結った注連縄は「シンメイサン」の祠の屋根に架ける。
「シンメイサン」は神明社。
いつもそうしているという今年の頭屋家は座の二老。
頭屋家のカド(庭)にお不動さんの祠がある。
何代も前から祀っているという祠だ。
かつてお不動さんの前で護摩焚きをしていたのは修験者の父親だったと話す。
神明社は標高520mの集落よりもっと上の方にある。
急坂の林道は軽トラの4WDでなければ登れない。
たかだか数百メートルの地にある神明社。
歩きで登るには少しキツい山道だ。
手前に梵字を彫った石標がある。
ここら辺りはかつて寺院があったと伝わる。
藪のなかに「こんな大きな岩がある」と案内された。
宝珠のような文様に梵字が彫られている。
風化もせずに鮮明な残欠から「そうとう大きな寺院やったんと違うやろか」という。
村にそれ以上の云い伝えもなく、昭和56年刊・桜井市史および昭和32年刊・桜井町史や昭和13年刊・雑誌『磯城』にもまったく登場しない、名前も判らない寺院である。
手がかりを知っておられる人物も見当たらない。
ただ、気になるのは桜井市史・上之郷地区の寺院の項に「白木字峯畑・向円堂」の説明に「中白木の墓の入口にある東面の堂内に小さな阿弥陀仏や地蔵菩薩がある。廃寺になった惣合寺の旧仏ともいう」と書いてあったくだりだ。
が、「惣合寺」を示す在所・物的証拠もない。
ちなみに大字中白木に現在ある寺院は「極楽寺」。
場所は高龗神社の参籠所内。
村の会所にも使われている部屋だ。
そこに仏像が安置されているが、盗難にあったので新仏のようだ。
その極楽寺とは関係なく、「もっと古いんや」ということだけが伝わっているようである。
「梵字の文字の意味が判ったら教えて」と云われたが宿題は果たせないだろうと思う。
中白木の神明祭は年に一度。
お参りする日はこの日だけだ。
搗いた餅をお盆に盛って供える。
代表はローソクに火を灯す。
いつの時代に建てたか伝わっていない社。
そろそろ銅板も葺き替えしなければ・・・と云う。
社下に並んで、2礼、2拍手、1礼。
こうして「シンメイサン」参りを済ませた村人は供えたモチを抱えて集落に下っていった。
神明社に供えた餅とは別に、氏神神社の高龗神社にも餅を供えていた。
大きな桶に盛った御供餅は頭屋家が供える。
そろそろ始めようかと餅桶を拝殿前に並べた。
村人は前に並ぶ。
御供撒きは一老と宮さんの代表者が撒く。
おしあいへしあいまでとはいかないがそれに近い様相。
放り投げられる度に散らばった餅を拾う。
御供撒きの餅とは別にした餅は炭火で焼く。
火を起こした大小二つのドラムカンから形成した手作りの鉄製火鉢に網を乗せて餅を焼く。
焼いた餅はぜんざいに入れて食べる。
小豆も美味しいぜんざいは「何杯も食べてや」と云われるが・・・他にもある。
そのころの時間帯はやや日暮れ。
灯籠に灯したローソクの灯りが時を告げる。
神明祭の〆料理はオデン。
大鍋にオデンの具材を入れて煮込む。
ゴボテン、チクワ、コンニャク、ダイコン、茹でタマゴ、メークインジャガイモ、アツアゲに串に挿したスジ肉だ。
醤油、味醂、お酒、塩少々のダシ汁で炊く。
具材から染み出るオデンの味が美味い。
我が家同様にカラシを漬けて食べる。
私が生まれ育った大阪市内。
子供だったときも大きくなっても家族全員がカントダキと呼んでいた。
カントダキは関東煮(関東炊きとも)。
関西人はオデンと呼ばずにカントダキと呼んでいたと度々耳にするが・・・。
かつて、中白木の行事につきもの料理でお籠りをしていた。
三日三晩のお籠りは社務所。
夜に食べた料理の残りは翌朝の朝食にもなったと村人が話す。
普段は顔を合すことなく暮らしている。
行事に参加するのは夫婦連れ。
料理をするのも食べるのも一緒。
村の行事に出席しておしゃべりができることが大切だという。
賑やかになった社務所の外は真っ暗だ。
朝は清掃から始まった村の行事はこうして日が暮れるまで楽しんでいる。
夕空が焼けていくころには参道の常夜燈も灯りが点いた。
なお、中白木は今でも二組の庚申講がある。
一組は宮前の3戸。
もう一組は6戸の宮外になるらしい。
(H27.10.17 EOS40D撮影)