この日は何十年ぶりかの期間を経て京都中心部の市街地に向かう。
京都は祖母が入院していた地。
毎週は行かないと顔を忘れてしまうほどの認知症に陥っていた。
琵琶湖の水を京都しないに運ぶ疎水に疎水橋水路閣やインクラインがある蹴上など見所多い処からすぐ近くに施設があった。
我が家から車で行くには地道をほぼ一直線。
市内に遡上するまでは田園地帯を走る。
宇治の大川を渡って市内中心部へ。
記憶に残っている道を走ろう。
そう思って出かけた京都の展示場はラボ京都。
京奈和道路を利用して北上する。
その下を走る地道は覚えている。
さらに走って記憶にある国道にでる。
たしかここらへんにあったと思う京都では有名なラーメン店。
店名も忘れてしまえば所在地も出てこない。
数か月経ってふと頭に浮かんだ新福菜館。
たしかそんな名前のラーメン店は久御山町にあったお店だと思う。
行先をインップトしたカーナビゲーションのいう通りに走っていたが、覚えている道にでればここやろ、と思ってハンドルを切る。
曲がった先で警告を発信する愛車のカーナビゲーション。
それも無視して走れば道が消えた。
記憶っていうものはそうなるわが身の勝手な判断である。
そういや大多数の車は指示された道を走っていった。
そこを走る車はとても多い。
いわゆる渋滞なのだ。
ノロノロ走る渋滞に辟易するが、仕方なく波に乗らざるを得ない。
目的地のラボ京都の所在地は京都市下京区釘隠町248-1。
フジカラーの総合ラボでもある。
ラボ京都のHPには㈱トミカラーとか日本風景写真協会、一般社団法人二科会写真部などのアイコンがある。
拝見したい写真展会場はそこであるが、散々迷った。
会場はわかったが駐車場は併設していない。
付近にあるタイムパーキングを探して周回する。
結局は迷って入ってしまった道にあった。
15分で200円だから1時間もおれば800円にもなる。
そこまでは滞在しないと思うがとにかくそこに停めてラボ京都まで歩く。
ここはどこなんだ。
京都といえば辻々に地番表記がある。
ここは「下京区 室町通仏光寺下る 山王町」とある。
表記の下に「京都南」とあるから京都市中心市街地からみれば「南」になるのだろう。
すぐ近くには与謝野蕪村の終焉地となる宅跡施設がある。
目印はこれなんだろう。
その向かいがラボ京都。
見上げたら電信柱に清輝ビル内にある施設を明示していた。
写真展の会場はこのビル内の4階にあるギャラリーラボ京都だ。
一階玄関前に写真展案内の立て看板があった。
やっと着いた、と思った看板ポスターに「いずれこの場所で語り部の一人となるために」が書いてあった。
心を揺さぶる独白のように思えた。
会場におられた作者の倉家衛藤修司さんは奈良市月ヶ瀬桃香野に住む。
倉家さんが発信する写真展のコメントに「月ヶ瀬と縁が出来てから住むまでの10年間 その地で生まれ育った訳ではなく 無関係な人間でもなく 近すぎず離れすぎずという立場で 将来の自分の居場所探しを目的に撮り始めた写真です・・・」とある。
「毎年行われる行事 正月・観梅・茶刈り・お盆・祭り それは、ひと時のやすらぎと 生活の中の風習、歴史、文化が伝承する大切な時間でした・・・」にまたもや心に響く。
それがすべての本人の意思。
そう思った通りの写真であった。
一点、一点が重みをもつ写真。
とらえた映像に立ち止る。
私がいくらガンバッても撮ることができない暮らしの民俗に見惚れていた。
感動もんの作品がずらりと並ぶ。
特に印象的だったのはご婦人が沈みかける夕陽を見ているシーンだ。
その婦人はうしろ姿だが、心情は映像で答えてくれる。
正月のイタダキも感動するお家の行事や風習。
ありのままの自然な姿をとらえた映像にウソはない。
そう思った作品は私にとっては衝撃的。
撮り方もさることながら、プリントの風合いがさらに深みを増していると思った。
素晴らしい作品は、これからもずっと撮り続けてくださいと伝えて帰路につく。
復路の道はちょっと寄り道。
時間はたっぷりあるからあっちへよれよれ。
こっちへよれよれと思ったが、どうにもならない交通渋滞に巻き込まれた。
ここはどこだ。
京奈和道路の南の端っこ。
山田川で下りてからどこへ行く。
東か南か・・。
ふと頭の中に湧いた「鹿畑」。鹿が多く生息したことからその名がついたとか・・・。
新興住宅地に囲まれている旧村集落がある。
その辺りで車が動かなくなった。
昔の街道に生活溢れる住宅地に多くの物流が動く。
昼間はそうでないと思うが、今の時間帯は午後の5時半。
どうしようもないぐらいに前へ進まない。
田園が広がるこの地に案山子が立つ。
スズメは追い払えるが車は無理だ。
ずっと先に見える信号は青だがまったく進まない。
その間に撮らせてもらった車越しの案山子。
嘲笑っているかのように思えた。
(H28. 9. 3 SB932SH撮影)
京都は祖母が入院していた地。
毎週は行かないと顔を忘れてしまうほどの認知症に陥っていた。
琵琶湖の水を京都しないに運ぶ疎水に疎水橋水路閣やインクラインがある蹴上など見所多い処からすぐ近くに施設があった。
我が家から車で行くには地道をほぼ一直線。
市内に遡上するまでは田園地帯を走る。
宇治の大川を渡って市内中心部へ。
記憶に残っている道を走ろう。
そう思って出かけた京都の展示場はラボ京都。
京奈和道路を利用して北上する。
その下を走る地道は覚えている。
さらに走って記憶にある国道にでる。
たしかここらへんにあったと思う京都では有名なラーメン店。
店名も忘れてしまえば所在地も出てこない。
数か月経ってふと頭に浮かんだ新福菜館。
たしかそんな名前のラーメン店は久御山町にあったお店だと思う。
行先をインップトしたカーナビゲーションのいう通りに走っていたが、覚えている道にでればここやろ、と思ってハンドルを切る。
曲がった先で警告を発信する愛車のカーナビゲーション。
それも無視して走れば道が消えた。
記憶っていうものはそうなるわが身の勝手な判断である。
そういや大多数の車は指示された道を走っていった。
そこを走る車はとても多い。
いわゆる渋滞なのだ。
ノロノロ走る渋滞に辟易するが、仕方なく波に乗らざるを得ない。
目的地のラボ京都の所在地は京都市下京区釘隠町248-1。
フジカラーの総合ラボでもある。
ラボ京都のHPには㈱トミカラーとか日本風景写真協会、一般社団法人二科会写真部などのアイコンがある。
拝見したい写真展会場はそこであるが、散々迷った。
会場はわかったが駐車場は併設していない。
付近にあるタイムパーキングを探して周回する。
結局は迷って入ってしまった道にあった。
15分で200円だから1時間もおれば800円にもなる。
そこまでは滞在しないと思うがとにかくそこに停めてラボ京都まで歩く。
ここはどこなんだ。
京都といえば辻々に地番表記がある。
ここは「下京区 室町通仏光寺下る 山王町」とある。
表記の下に「京都南」とあるから京都市中心市街地からみれば「南」になるのだろう。
すぐ近くには与謝野蕪村の終焉地となる宅跡施設がある。
目印はこれなんだろう。
その向かいがラボ京都。
見上げたら電信柱に清輝ビル内にある施設を明示していた。
写真展の会場はこのビル内の4階にあるギャラリーラボ京都だ。
一階玄関前に写真展案内の立て看板があった。
やっと着いた、と思った看板ポスターに「いずれこの場所で語り部の一人となるために」が書いてあった。
心を揺さぶる独白のように思えた。
会場におられた作者の倉家衛藤修司さんは奈良市月ヶ瀬桃香野に住む。
倉家さんが発信する写真展のコメントに「月ヶ瀬と縁が出来てから住むまでの10年間 その地で生まれ育った訳ではなく 無関係な人間でもなく 近すぎず離れすぎずという立場で 将来の自分の居場所探しを目的に撮り始めた写真です・・・」とある。
「毎年行われる行事 正月・観梅・茶刈り・お盆・祭り それは、ひと時のやすらぎと 生活の中の風習、歴史、文化が伝承する大切な時間でした・・・」にまたもや心に響く。
それがすべての本人の意思。
そう思った通りの写真であった。
一点、一点が重みをもつ写真。
とらえた映像に立ち止る。
私がいくらガンバッても撮ることができない暮らしの民俗に見惚れていた。
感動もんの作品がずらりと並ぶ。
特に印象的だったのはご婦人が沈みかける夕陽を見ているシーンだ。
その婦人はうしろ姿だが、心情は映像で答えてくれる。
正月のイタダキも感動するお家の行事や風習。
ありのままの自然な姿をとらえた映像にウソはない。
そう思った作品は私にとっては衝撃的。
撮り方もさることながら、プリントの風合いがさらに深みを増していると思った。
素晴らしい作品は、これからもずっと撮り続けてくださいと伝えて帰路につく。
復路の道はちょっと寄り道。
時間はたっぷりあるからあっちへよれよれ。
こっちへよれよれと思ったが、どうにもならない交通渋滞に巻き込まれた。
ここはどこだ。
京奈和道路の南の端っこ。
山田川で下りてからどこへ行く。
東か南か・・。
ふと頭の中に湧いた「鹿畑」。鹿が多く生息したことからその名がついたとか・・・。
新興住宅地に囲まれている旧村集落がある。
その辺りで車が動かなくなった。
昔の街道に生活溢れる住宅地に多くの物流が動く。
昼間はそうでないと思うが、今の時間帯は午後の5時半。
どうしようもないぐらいに前へ進まない。
田園が広がるこの地に案山子が立つ。
スズメは追い払えるが車は無理だ。
ずっと先に見える信号は青だがまったく進まない。
その間に撮らせてもらった車越しの案山子。
嘲笑っているかのように思えた。
(H28. 9. 3 SB932SH撮影)