前日は午後から低気圧が西からやってきた。
夜ともなれば雨も降ってきた。
翌日は320年ぶりに再建された大和郡山市小林町の新福寺本堂の落慶法要がある。
天気予報では朝から午前中いっぱいは小雨、若しくは曇天と伝えていた。
朝、起きたときは予報通りの曇天だった。
それがしばらく経てば青空が見えてきた。
予報は大きく外れてこの日は真っ青。
建て替えた本堂の宝珠が眩しく輝く日になった。
前日から天に願っていたのが良かったのかどうかわからないが、天に思いが通じ、叶えてくれたのかも知れない。
美しく輝いた本堂の宝珠が光っていた。
新福寺住職から参列願いの電話をもらったのは8月7日だった。
9月30日にも電話があった。
朝の9時より受付が始まる。
村に希望者を募ったお稚児さんは28人にもなる。
引率に親がついてお練りをする稚児行列がある。
公民館を出発して小林町の旧村を一周する。
落慶法要の式典は稚児行列が終わった10時ころになる。
参列の席を設けているのでお越しくださいとのことだ。
なお、落慶法要式典の記録写真は写真館に依頼しているから・・という。
ありがたいお言葉を伝えてくれる携帯電話。
録音だったら何度も聞き返したくなるほどのありがたいお言葉である。
その日に届いた「新福寺本堂観“落慶法要・記念式典”出席ご依頼状。
「初秋の候 皆様には益々ご清祥の段大慶に存じ上げます。平素は、小林町並びに本寺の護持興隆に特段のご配慮を賜り、厚く御礼申し上げます。さて、標記の件について左記の通り落慶の式典を挙行致すはこびとなりました。施工主古市工務店及び宮大工等によります最新の施工技術を駆使すると共に伝統的寺院建築様式を織り交ぜたすばらしい新福寺本堂が完成致しました。江戸・元禄九年以来320年ぶりの再建となる歴史を刻む一日を、小林町民並びに新福寺檀信徒が一堂に会してこの日を祝し、同時に新福寺本堂建立実行委員会及び現住職より深甚の謝意を表したく存じております。ご来賓の皆様方には万障お繰り合わせの上、是非ご出席の栄を賜りますよう心よりお願い申し上げます」とあった。

行列ができていた受付に綺麗な和服を召した女性たちがいる。
住職の息子たちのお嫁さん。
うちお一人はたしかオコナイ行事のときに赤ちゃんを抱いていたと思う。
尤も息子たちは受付もそうだが本日の落慶法要のために入念に打合せをしてきたと思う。
忙しく動き回る息子たちが頼もしい。
受付を済ませて、まずはお稚児さんに囲まれてにこやかな表情の住職を撮らせてもらう。
写真館のカメラマンは高い位置から撮っているが、私なりの撮り方で撮影する。
この日はピーカン状態の真っ青な晴天。
一同が並んだ位置は本堂の陰になる人たちもいる。
しかも本堂いっぱいに広がる。
この日のレンズはCanonEF28-80mm F3.5-5.6 V USM。
10日ほど前に活躍していたCanonEFS17-85ISUUSMレンズが「Err01」の故障。
修理を出していたが間に合わなかった代替品は広角でない。
これでは撮りたくても範囲が狭すぎて目いっぱいに広がったお稚児さん全員が写らない。

こういう現状になってしまって申しわけないが、限界まで下がってシャッターをきる。
そして、出発したお稚児さんたちのお練り巡業。
華やかな衣装で旧村を彩る。
先頭はおりんを打つ僧侶。
すぐ後ろにつくお稚児さん。
親御さんは手を繋いで歩く。
我が子の華やかな姿を撮ろうとしてビデオやスマホのカメラが横につく。
そのうちドラの音色が響いてきた。

数人の僧侶の次が住職。
赤い番傘を持つスーツ姿の人たちは本堂建立実行委員会の代表者。
晴れやかなこの日に顔も晴れやかである。

最近にできた新興住宅地もお練りする一行。
予定では9時50分に着く予定だったが、若干の遅れで本堂に戻ってきた。

そして、お稚児さんたちはありがたくご加持を受ける。
一人ずつというわけにはいかないから、前の方に詰め寄ってもらってのご加持である。
予定よりも若干の遅れで始まった落慶法要。
ご本尊は平安時代末期の造立と思われる木造聖観音立像。
これまでの本堂は幕を下ろしていたから観ることもできなかった。
旧本堂で行われた3月3日のオコナイ行事を何度も取材してきたが、本尊をはっきりと認識したことはなかった。
これまでは帳に隠れて本尊のすべてを拝観したことはない。
それが見事にそそり立つ聖観音立像。
320年間もの期間の小林町をずっと見守ってきたご本尊は新しくなった本堂に住まいを替えて村の未来を据えてみる。

あらためてお会いしたご本尊の前に座って見上げる。
そして、今日の出合いに感謝。
お招きをいただき感謝していますと手を合わす。
参列者一同は先に席について僧侶たちを迎える。
おりんの音を先導に入堂する。
支援する僧侶たちは本尊の左手に。
招待客は右手に設けた席に座る。
内陣についてまずはご真言。

荘厳な響きが堂内に広がる。
そして、声明。
僧侶がそれぞれに唱える声明は和音。
美しい音色になって堂内に響応する。
そして、今日に至った320年ぶりの落慶法要の表白を敬って申す。

散華をされ、小林町の未来、安寧を願って焼香をする。
招待者に続いて村の本堂建立実行委員会の人たちも焼香をする。
そして、功労者の皆さん方を称えて表彰状と記念品の授与。

そして、住職も功労者。
授与された住職は本堂より下におられる参列者の皆さん方にお礼の言葉を述べられた。
住職を務めるようになって40年。
村の人たちがおられてこそこうして落慶を迎えることができたと心を込めて特別な祝いのこの日に挨拶をされた。
記念式典のすべてが終われば小林町の住民たちや檀家並びに来賓者との交流を兼ねた会食の膳に移る。
会場は真新しくなった新福寺と数年前に造営事業をされた杵築神社の境内である。
前夜の雨にテントを張っていたその下でいただく祝いの膳。
馴染みの婦人たちに手招きされて同席する。

祝いの膳はあづまケータリングサービスの㈱東鮓である。
蓋を開けたら豪華な盛りの膳。
お魚などの造りはないが、どれもこれも美味しくいただく。
そのころともなれば風がやや強くなっていた。
ときには日陰になったテント内に風が吹き抜ける。
寒いと零した老婦人の声に立ち上がったSさん。
家から持ち出した服を着せてあげた。
ありがとうと言って防寒したご婦人もいっしょになって食べた膳に話題は尽きない。
住職家族や住民たちにお礼を伝えて帰路につく。
時間帯は予想していた時間よりも早かった。
ハレの日の晴れ間に今日も歩行のリハビリ。
家にいるときの欠かせない運動である。
晴れのお日さんに背中が温もる。歩いているうちに汗も・・、ということもない日だった。
強い風は青空の向こう側、天により近いところでピュー、ピューと唸っていた。
たぶんにこれは木枯らしの音。
この日の夕刻ニューで木枯らし1号の名を伝えていた。
※ 手違いで公開が長期間に亘って遅延したことお詫び申し上げます。
(H28.10.29 EOS40D撮影)
(H28.10.29 SB932SH撮影)
夜ともなれば雨も降ってきた。
翌日は320年ぶりに再建された大和郡山市小林町の新福寺本堂の落慶法要がある。
天気予報では朝から午前中いっぱいは小雨、若しくは曇天と伝えていた。
朝、起きたときは予報通りの曇天だった。
それがしばらく経てば青空が見えてきた。
予報は大きく外れてこの日は真っ青。
建て替えた本堂の宝珠が眩しく輝く日になった。
前日から天に願っていたのが良かったのかどうかわからないが、天に思いが通じ、叶えてくれたのかも知れない。
美しく輝いた本堂の宝珠が光っていた。
新福寺住職から参列願いの電話をもらったのは8月7日だった。
9月30日にも電話があった。
朝の9時より受付が始まる。
村に希望者を募ったお稚児さんは28人にもなる。
引率に親がついてお練りをする稚児行列がある。
公民館を出発して小林町の旧村を一周する。
落慶法要の式典は稚児行列が終わった10時ころになる。
参列の席を設けているのでお越しくださいとのことだ。
なお、落慶法要式典の記録写真は写真館に依頼しているから・・という。
ありがたいお言葉を伝えてくれる携帯電話。
録音だったら何度も聞き返したくなるほどのありがたいお言葉である。
その日に届いた「新福寺本堂観“落慶法要・記念式典”出席ご依頼状。
「初秋の候 皆様には益々ご清祥の段大慶に存じ上げます。平素は、小林町並びに本寺の護持興隆に特段のご配慮を賜り、厚く御礼申し上げます。さて、標記の件について左記の通り落慶の式典を挙行致すはこびとなりました。施工主古市工務店及び宮大工等によります最新の施工技術を駆使すると共に伝統的寺院建築様式を織り交ぜたすばらしい新福寺本堂が完成致しました。江戸・元禄九年以来320年ぶりの再建となる歴史を刻む一日を、小林町民並びに新福寺檀信徒が一堂に会してこの日を祝し、同時に新福寺本堂建立実行委員会及び現住職より深甚の謝意を表したく存じております。ご来賓の皆様方には万障お繰り合わせの上、是非ご出席の栄を賜りますよう心よりお願い申し上げます」とあった。

行列ができていた受付に綺麗な和服を召した女性たちがいる。
住職の息子たちのお嫁さん。
うちお一人はたしかオコナイ行事のときに赤ちゃんを抱いていたと思う。
尤も息子たちは受付もそうだが本日の落慶法要のために入念に打合せをしてきたと思う。
忙しく動き回る息子たちが頼もしい。
受付を済ませて、まずはお稚児さんに囲まれてにこやかな表情の住職を撮らせてもらう。
写真館のカメラマンは高い位置から撮っているが、私なりの撮り方で撮影する。
この日はピーカン状態の真っ青な晴天。
一同が並んだ位置は本堂の陰になる人たちもいる。
しかも本堂いっぱいに広がる。
この日のレンズはCanonEF28-80mm F3.5-5.6 V USM。
10日ほど前に活躍していたCanonEFS17-85ISUUSMレンズが「Err01」の故障。
修理を出していたが間に合わなかった代替品は広角でない。
これでは撮りたくても範囲が狭すぎて目いっぱいに広がったお稚児さん全員が写らない。

こういう現状になってしまって申しわけないが、限界まで下がってシャッターをきる。
そして、出発したお稚児さんたちのお練り巡業。
華やかな衣装で旧村を彩る。
先頭はおりんを打つ僧侶。
すぐ後ろにつくお稚児さん。
親御さんは手を繋いで歩く。
我が子の華やかな姿を撮ろうとしてビデオやスマホのカメラが横につく。
そのうちドラの音色が響いてきた。

数人の僧侶の次が住職。
赤い番傘を持つスーツ姿の人たちは本堂建立実行委員会の代表者。
晴れやかなこの日に顔も晴れやかである。

最近にできた新興住宅地もお練りする一行。
予定では9時50分に着く予定だったが、若干の遅れで本堂に戻ってきた。

そして、お稚児さんたちはありがたくご加持を受ける。
一人ずつというわけにはいかないから、前の方に詰め寄ってもらってのご加持である。
予定よりも若干の遅れで始まった落慶法要。
ご本尊は平安時代末期の造立と思われる木造聖観音立像。
これまでの本堂は幕を下ろしていたから観ることもできなかった。
旧本堂で行われた3月3日のオコナイ行事を何度も取材してきたが、本尊をはっきりと認識したことはなかった。
これまでは帳に隠れて本尊のすべてを拝観したことはない。
それが見事にそそり立つ聖観音立像。
320年間もの期間の小林町をずっと見守ってきたご本尊は新しくなった本堂に住まいを替えて村の未来を据えてみる。

あらためてお会いしたご本尊の前に座って見上げる。
そして、今日の出合いに感謝。
お招きをいただき感謝していますと手を合わす。
参列者一同は先に席について僧侶たちを迎える。
おりんの音を先導に入堂する。
支援する僧侶たちは本尊の左手に。
招待客は右手に設けた席に座る。
内陣についてまずはご真言。

荘厳な響きが堂内に広がる。
そして、声明。
僧侶がそれぞれに唱える声明は和音。
美しい音色になって堂内に響応する。
そして、今日に至った320年ぶりの落慶法要の表白を敬って申す。

散華をされ、小林町の未来、安寧を願って焼香をする。
招待者に続いて村の本堂建立実行委員会の人たちも焼香をする。
そして、功労者の皆さん方を称えて表彰状と記念品の授与。

そして、住職も功労者。
授与された住職は本堂より下におられる参列者の皆さん方にお礼の言葉を述べられた。
住職を務めるようになって40年。
村の人たちがおられてこそこうして落慶を迎えることができたと心を込めて特別な祝いのこの日に挨拶をされた。
記念式典のすべてが終われば小林町の住民たちや檀家並びに来賓者との交流を兼ねた会食の膳に移る。
会場は真新しくなった新福寺と数年前に造営事業をされた杵築神社の境内である。
前夜の雨にテントを張っていたその下でいただく祝いの膳。
馴染みの婦人たちに手招きされて同席する。

祝いの膳はあづまケータリングサービスの㈱東鮓である。
蓋を開けたら豪華な盛りの膳。
お魚などの造りはないが、どれもこれも美味しくいただく。
そのころともなれば風がやや強くなっていた。
ときには日陰になったテント内に風が吹き抜ける。
寒いと零した老婦人の声に立ち上がったSさん。
家から持ち出した服を着せてあげた。
ありがとうと言って防寒したご婦人もいっしょになって食べた膳に話題は尽きない。
住職家族や住民たちにお礼を伝えて帰路につく。
時間帯は予想していた時間よりも早かった。
ハレの日の晴れ間に今日も歩行のリハビリ。
家にいるときの欠かせない運動である。
晴れのお日さんに背中が温もる。歩いているうちに汗も・・、ということもない日だった。
強い風は青空の向こう側、天により近いところでピュー、ピューと唸っていた。
たぶんにこれは木枯らしの音。
この日の夕刻ニューで木枯らし1号の名を伝えていた。
※ 手違いで公開が長期間に亘って遅延したことお詫び申し上げます。
(H28.10.29 EOS40D撮影)
(H28.10.29 SB932SH撮影)