この日はおふくろの誕生日。
祝いに宇陀市大宇陀本郷にある椿寿荘に宿泊する。
目的は宿泊だけで済ますわけにはいかない。
遅咲きというか、時季的にだいたいが4月中旬。
場合によっては月末になるかもしれない桜見を兼ねた小旅行である。
宇陀市大宇陀本郷は夕刻までに到着すればいい。
本郷へ行くには西名阪国道の針ICを抜けて国道369号線を南下する。
旧都祁村を通る国道をさらに南下して香酔峠を越えるころには宇陀市榛原になる。
玉立信号から一旦は国道を外れて県道に切り換えてさらに南下。
榛原篠楽からは交差する国道370号伝いにまたもや南下していけば宇陀市大宇陀の道の駅に着く。
そこからちょいと西に入れば本郷であるが、もっと手前の榛原篠楽の信号を東に向きを換えて国道369号線をひたすら走る。
その道は伊勢本街道の幹線道路。
距離的にはさほど遠くない。
地名は榛原内牧。
その東の端に架かるトンネルは弁財天トンネル。
十数年前まではこのトンネルはなかったから、地道の峠越で宇陀市室生田口に出る。
今では真っすぐなトンネル道。
あっという間に旧室生村に突入してしまう。
その弁財天トンネルの弁財天は字地名である。
奈良県には広陵町にも弁財天の字地名がある。
何年か前から脚光を浴びて花見にくる県内外のお客さんが目指すのは弁財天石楠花。
村の人たちが段丘に植樹した花見処。
奈良県観光公式サイトが案内するアドレス表記は宇陀市室生弁財天であるが、そのような地名は見当たらない。
詳しくは宇陀市観光協会に聞け、という具合だ。
一方、大手サイトのじゃらんガイドによればアドレスは宇陀市室生田口元上田口になっているが、弁財天表記は見当たらない。
どうやら室生田口元上田口にある垣内名のようである。
じゃらんが示す弁財天の地は弁財天トンネル入り口手前にある地道を行くようになっている。
弁財天に来るのは何年ぶりになるのだろうか。
私が残したメモを手繰れば平成19年の4月26日。
そのときの咲き具合は1分咲きだったとメモっていた弁財天石楠花の丘。

(H19. 4.26 Kiss Digtal N撮影)
所蔵する写真蔵から掘り出した3枚。
映像で思い出す林の中にある石楠花の花。
急な山道と思える坂道を登っていった辺りをぐるりと回遊できるように造成した丘。
斜面はきつく、湿り気がない。
お日さんが当たった斜面がカラカラに乾いていた10年前の姿を思い出した。

(H19. 4.26 Kiss Digtal N撮影)
うち、一枚の写真に目がいく。見下ろした先に見える朱の色。
屋根もあることからこれは神社である。
たしか境内近くまで車で登って、そこから回遊した1分咲きの石楠花を拝見していたように思いだす。

(H19. 4.26 Kiss Digtal N撮影)
さて、その神社に登る石段がある。

入山料の500円を求めるさい銭箱を置いてあった神社は金毘羅神社。
祭神は大物主命。
鎮座地は宇陀室生区田口弁財天とある。
「神武天皇東征のとき、弁財天川から2km下流の胎ノ川との合流地点付近の“城(じょう”が河原で、八十梟帥(やそたける)軍団との激戦の上、勝利を納めた天皇は現在地に宮城を築かれ、傷を癒し兵力を貯え暫時政務を執られたと言い伝えがある」と記された由緒書を立てている。

鎮座地の“宇陀室生区田口弁財天”の“室生区”は現在表記されていない。
旧室生村は榛原町に大宇陀町、菟田野町と合併されて宇陀市になった。
平成18年1月、宇陀市になったときの旧室生村名は“室生区”を充てていたが、現在は“区”表記を外しているから、由緒書を書いたのは平成18年当時とわかる。
おふくろに見せてあげたい石楠花はこのさい銭箱から石段を登らなければならないが、身体的に無理がある。
階段が登れなきゃ車でとも思ったが、そこまでしてくれなくとも・・という。
折角、ここへ来て見たものの断念せざるを得ない。
ちなみにこのときに来ていた79歳の男性カメラマンンは、石楠花がどこにあるのかわからなくて、うろうろしていたそうだ。
それも3年ぶり。
記憶がない景観に狼狽えていたと云う。

結局のところお花を観たのは駐車場に咲いていた巨木の白い木蓮。

すぐ近くに咲いていた黄色いレンギョゥの花を前に集落民家をぼかして撮っておいた。

ちなみに桃色のツツジが咲いていたので撮った写真の向こう側に石楠花があることを付言しておこう。
(H19. 4.26 Kiss Digtal N撮影)
(H29. 4.27 EOS40D撮影)
祝いに宇陀市大宇陀本郷にある椿寿荘に宿泊する。
目的は宿泊だけで済ますわけにはいかない。
遅咲きというか、時季的にだいたいが4月中旬。
場合によっては月末になるかもしれない桜見を兼ねた小旅行である。
宇陀市大宇陀本郷は夕刻までに到着すればいい。
本郷へ行くには西名阪国道の針ICを抜けて国道369号線を南下する。
旧都祁村を通る国道をさらに南下して香酔峠を越えるころには宇陀市榛原になる。
玉立信号から一旦は国道を外れて県道に切り換えてさらに南下。
榛原篠楽からは交差する国道370号伝いにまたもや南下していけば宇陀市大宇陀の道の駅に着く。
そこからちょいと西に入れば本郷であるが、もっと手前の榛原篠楽の信号を東に向きを換えて国道369号線をひたすら走る。
その道は伊勢本街道の幹線道路。
距離的にはさほど遠くない。
地名は榛原内牧。
その東の端に架かるトンネルは弁財天トンネル。
十数年前まではこのトンネルはなかったから、地道の峠越で宇陀市室生田口に出る。
今では真っすぐなトンネル道。
あっという間に旧室生村に突入してしまう。
その弁財天トンネルの弁財天は字地名である。
奈良県には広陵町にも弁財天の字地名がある。
何年か前から脚光を浴びて花見にくる県内外のお客さんが目指すのは弁財天石楠花。
村の人たちが段丘に植樹した花見処。
奈良県観光公式サイトが案内するアドレス表記は宇陀市室生弁財天であるが、そのような地名は見当たらない。
詳しくは宇陀市観光協会に聞け、という具合だ。
一方、大手サイトのじゃらんガイドによればアドレスは宇陀市室生田口元上田口になっているが、弁財天表記は見当たらない。
どうやら室生田口元上田口にある垣内名のようである。
じゃらんが示す弁財天の地は弁財天トンネル入り口手前にある地道を行くようになっている。
弁財天に来るのは何年ぶりになるのだろうか。
私が残したメモを手繰れば平成19年の4月26日。
そのときの咲き具合は1分咲きだったとメモっていた弁財天石楠花の丘。

(H19. 4.26 Kiss Digtal N撮影)
所蔵する写真蔵から掘り出した3枚。
映像で思い出す林の中にある石楠花の花。
急な山道と思える坂道を登っていった辺りをぐるりと回遊できるように造成した丘。
斜面はきつく、湿り気がない。
お日さんが当たった斜面がカラカラに乾いていた10年前の姿を思い出した。

(H19. 4.26 Kiss Digtal N撮影)
うち、一枚の写真に目がいく。見下ろした先に見える朱の色。
屋根もあることからこれは神社である。
たしか境内近くまで車で登って、そこから回遊した1分咲きの石楠花を拝見していたように思いだす。

(H19. 4.26 Kiss Digtal N撮影)
さて、その神社に登る石段がある。

入山料の500円を求めるさい銭箱を置いてあった神社は金毘羅神社。
祭神は大物主命。
鎮座地は宇陀室生区田口弁財天とある。
「神武天皇東征のとき、弁財天川から2km下流の胎ノ川との合流地点付近の“城(じょう”が河原で、八十梟帥(やそたける)軍団との激戦の上、勝利を納めた天皇は現在地に宮城を築かれ、傷を癒し兵力を貯え暫時政務を執られたと言い伝えがある」と記された由緒書を立てている。

鎮座地の“宇陀室生区田口弁財天”の“室生区”は現在表記されていない。
旧室生村は榛原町に大宇陀町、菟田野町と合併されて宇陀市になった。
平成18年1月、宇陀市になったときの旧室生村名は“室生区”を充てていたが、現在は“区”表記を外しているから、由緒書を書いたのは平成18年当時とわかる。
おふくろに見せてあげたい石楠花はこのさい銭箱から石段を登らなければならないが、身体的に無理がある。
階段が登れなきゃ車でとも思ったが、そこまでしてくれなくとも・・という。
折角、ここへ来て見たものの断念せざるを得ない。
ちなみにこのときに来ていた79歳の男性カメラマンンは、石楠花がどこにあるのかわからなくて、うろうろしていたそうだ。
それも3年ぶり。
記憶がない景観に狼狽えていたと云う。

結局のところお花を観たのは駐車場に咲いていた巨木の白い木蓮。

すぐ近くに咲いていた黄色いレンギョゥの花を前に集落民家をぼかして撮っておいた。

ちなみに桃色のツツジが咲いていたので撮った写真の向こう側に石楠花があることを付言しておこう。
(H19. 4.26 Kiss Digtal N撮影)
(H29. 4.27 EOS40D撮影)