2年前に聞いていた旧五ケ谷村・米谷の水口まつり。
今ではどこもしてないはずや、と氏子たちは口々にそう云っていた。
苗代田を作る家もあるが、お札を立てるような家は見ない。
昨今は苗をJAで買うようになったから苗代をすることもなくなった。
そう話していたが3月1日に取材した新年祭(米谷では二ノツイタチの新年祭と呼んでいる)に参拝していた宮総代のOさんは「うちは今でも苗代をしている」という。
「明日するから来られますか・・」の声にありがたく出かける。
モミオトシをしたのは4日前の17日。
64枚の苗箱に落とした籾種の品種はヒノヒカリとキヌヒカリ。
ヒノヒカリは粳米でキヌヒカリが餅米。
いずれもJAから購入した籾は早くも芽出し初め。
急激に気温が上昇したのか、驚いた籾がせっつかれるように動き出した。
軽トラの荷台に載せて下る村の道。
ずっと下れば名阪国道が見えてくる。
道路に跨る橋を越えてさらに下ったところが稲作地。
旧五ケ谷の谷間に綺麗な谷水が流れる地で作るお米は美味いという。
そういう話しは多くの地域で語られる。
水口まつりに忘れてはならない祭具がある。
一つは2月4日、寿福寺上ノ坊で行われたオコナイ行事にたばったごーさん札。
もう一枚が2月11日ころに行われる初集会後に持ち替えるごーさん札である。
このごーさん札は右に「牛王」。
左が「寶」に「印」であろう。
そして中央に「米谷宮」を配したごーさん札である。
お札はもう一枚ある。
ここでは割愛するが、中央の「米谷宮」に代わって「寿福寺」である。
「米谷宮」は米谷の氏神社である白山比咩神社のことである。
神仏混合の行事にごーさん札は2枚である。
それと、もう一つの祭具は、新年祭にたばった大きなチンチロ付きの松苗である。
これらも忘れずに軽トラに載せて下った場がO家の苗代田である。
運んできた苗箱よりも先にしておくごーさん札挟み。
山で伐ってきたウルシ棒がある。
その先を割にはナタがいるが、太めのカッターナイフでも充分に切れる。
まずは半分に割る。
二つになった片方に切れ目を入れる。
割り面を正面から見れば「T」字型。
こうして割った箇所に2枚のごーさん札を挟みこむ。
後でわかったことだが、ウルシ棒は神社に置いてあった。
2月1日に行われる小正月行事に神社に供えるウルシ木は長さがある。
3mぐらいもあるウルシ木は村神主が準備する。
行事が終わったらウルシ木は社務所建物辺りか、近くの所に立てかけておく。
村の人がいつでももらっていけるようにそうされている。
ついついそういうことを失念してわざわざ山に出かけて伐ってきたという。
水口まつりの準備が調ったところで苗代作業が始まった。
先ずは、穴あきシートを苗床に敷いてモミオトシをした苗箱を並べる作業だ。
苗箱の並びを整列させたいから農道具(田植え縄のチョナワ若しくはミズナワ)を使う。
いわゆる田植え綱をピンと張って一直線。
その綱に合わせて苗箱を置く。
軽トラに積んで運んできた苗箱を下ろす。
抱えた苗箱を苗代田にいるご主人に渡す。
均等に測った苗床の位置に置いていく。
多少の歪みはあるようだが、俯瞰してみれば一直線である。
一列すべてにいきわたったら、半分は苗床越しに手渡して受け取る。
距離があるからどうしても前かがみになる。
この行為が腰に負担をかける作業なのだ。
2列の苗箱が置けたら、空間を設けてもう一列。
さきほどと同じように田植え縄のチョナワを使って一本の筋を設けて穴あきシートを張る。
その間に祭具の微調整。
ウルシ棒に挟んだごーさん札が落ちないように紐で締め付ける。
一方の松苗には大きなチンチロ松もあるが、白いものもある。
これは2月22日辺りに行われる座の四大行事の一つである田楽飯のときに作られる籾種括りである。
籾種は前年のマツリに出仕されるイネカツギが担いできた新穀である。
そのときは根付きの稲穂。
マツリを終えてから籾種にして竹の「ゴンゴ」に詰めていたもの。
田楽飯行事の幕締め近くになれば十人衆が作業をする。
その籾種を半紙に包んでオヒネリの形にして松苗に括り付ける。
それが白いもの。
今年もまた豊作になりますように、という願いである。
二つの祭具が調ったら水口辺りに立てる。
立ててからも苗箱並べの作業は続く。
苗箱すべてを並べたらポール立て。
苗を保護する幌被せに用いるポールを泥田に差し込んで、ぐにゃりと曲げる。
そして反対側も泥田に差し込んで固定する。
この写真ではわかり難いが、向こう側に水口がある。
谷から流れる水を泥で作った受水道がくにゃくにゃしていた。
何故にそのような形態にされるのか、尋ねた結果である。
冷たい谷の水は冷たいから、直接受水する水温は低い。
少しでも日に当てて温めるためにくにゃくにゃと伸ばしたという。
なるほどである。
完成の一歩前。
後は白い幌を被せるだけだ。
長さのある幌は意外と重たい。
これもまた二人作業。
ここ数年前から応援してくださる人が居るからできるという。
突然というか、おもむろに普通トラックに乗ってどこかへ行かれたご主人。
姿を追いかけたら向こうにいる。
そこで何をしているかといえば、お花摘みである。
水口まつりに欠かせないイロバナは植樹していたハナズオウである。
松苗やごーさん札を立てたところにハナズオウの枝を挿す。
今年の気温はとても低い。
いつもならツツジを挿すのだが、これもいいね、と云ってわざわざ採ってきたと、いう。
こうしてすべての作業を終えた水口まつりであるが、拝むこともなく最後に白い幌を調えて終わったが、作業はまだある。
薬剤を撒いておくことだ。
せっかく育った苗が枯れてしまわないように薬剤の「タチガレン」を撒いて自宅に戻られた。
(H29. 4.21 EOS40D撮影)
今ではどこもしてないはずや、と氏子たちは口々にそう云っていた。
苗代田を作る家もあるが、お札を立てるような家は見ない。
昨今は苗をJAで買うようになったから苗代をすることもなくなった。
そう話していたが3月1日に取材した新年祭(米谷では二ノツイタチの新年祭と呼んでいる)に参拝していた宮総代のOさんは「うちは今でも苗代をしている」という。
「明日するから来られますか・・」の声にありがたく出かける。
モミオトシをしたのは4日前の17日。
64枚の苗箱に落とした籾種の品種はヒノヒカリとキヌヒカリ。
ヒノヒカリは粳米でキヌヒカリが餅米。
いずれもJAから購入した籾は早くも芽出し初め。
急激に気温が上昇したのか、驚いた籾がせっつかれるように動き出した。
軽トラの荷台に載せて下る村の道。
ずっと下れば名阪国道が見えてくる。
道路に跨る橋を越えてさらに下ったところが稲作地。
旧五ケ谷の谷間に綺麗な谷水が流れる地で作るお米は美味いという。
そういう話しは多くの地域で語られる。
水口まつりに忘れてはならない祭具がある。
一つは2月4日、寿福寺上ノ坊で行われたオコナイ行事にたばったごーさん札。
もう一枚が2月11日ころに行われる初集会後に持ち替えるごーさん札である。
このごーさん札は右に「牛王」。
左が「寶」に「印」であろう。
そして中央に「米谷宮」を配したごーさん札である。
お札はもう一枚ある。
ここでは割愛するが、中央の「米谷宮」に代わって「寿福寺」である。
「米谷宮」は米谷の氏神社である白山比咩神社のことである。
神仏混合の行事にごーさん札は2枚である。
それと、もう一つの祭具は、新年祭にたばった大きなチンチロ付きの松苗である。
これらも忘れずに軽トラに載せて下った場がO家の苗代田である。
運んできた苗箱よりも先にしておくごーさん札挟み。
山で伐ってきたウルシ棒がある。
その先を割にはナタがいるが、太めのカッターナイフでも充分に切れる。
まずは半分に割る。
二つになった片方に切れ目を入れる。
割り面を正面から見れば「T」字型。
こうして割った箇所に2枚のごーさん札を挟みこむ。
後でわかったことだが、ウルシ棒は神社に置いてあった。
2月1日に行われる小正月行事に神社に供えるウルシ木は長さがある。
3mぐらいもあるウルシ木は村神主が準備する。
行事が終わったらウルシ木は社務所建物辺りか、近くの所に立てかけておく。
村の人がいつでももらっていけるようにそうされている。
ついついそういうことを失念してわざわざ山に出かけて伐ってきたという。
水口まつりの準備が調ったところで苗代作業が始まった。
先ずは、穴あきシートを苗床に敷いてモミオトシをした苗箱を並べる作業だ。
苗箱の並びを整列させたいから農道具(田植え縄のチョナワ若しくはミズナワ)を使う。
いわゆる田植え綱をピンと張って一直線。
その綱に合わせて苗箱を置く。
軽トラに積んで運んできた苗箱を下ろす。
抱えた苗箱を苗代田にいるご主人に渡す。
均等に測った苗床の位置に置いていく。
多少の歪みはあるようだが、俯瞰してみれば一直線である。
一列すべてにいきわたったら、半分は苗床越しに手渡して受け取る。
距離があるからどうしても前かがみになる。
この行為が腰に負担をかける作業なのだ。
2列の苗箱が置けたら、空間を設けてもう一列。
さきほどと同じように田植え縄のチョナワを使って一本の筋を設けて穴あきシートを張る。
その間に祭具の微調整。
ウルシ棒に挟んだごーさん札が落ちないように紐で締め付ける。
一方の松苗には大きなチンチロ松もあるが、白いものもある。
これは2月22日辺りに行われる座の四大行事の一つである田楽飯のときに作られる籾種括りである。
籾種は前年のマツリに出仕されるイネカツギが担いできた新穀である。
そのときは根付きの稲穂。
マツリを終えてから籾種にして竹の「ゴンゴ」に詰めていたもの。
田楽飯行事の幕締め近くになれば十人衆が作業をする。
その籾種を半紙に包んでオヒネリの形にして松苗に括り付ける。
それが白いもの。
今年もまた豊作になりますように、という願いである。
二つの祭具が調ったら水口辺りに立てる。
立ててからも苗箱並べの作業は続く。
苗箱すべてを並べたらポール立て。
苗を保護する幌被せに用いるポールを泥田に差し込んで、ぐにゃりと曲げる。
そして反対側も泥田に差し込んで固定する。
この写真ではわかり難いが、向こう側に水口がある。
谷から流れる水を泥で作った受水道がくにゃくにゃしていた。
何故にそのような形態にされるのか、尋ねた結果である。
冷たい谷の水は冷たいから、直接受水する水温は低い。
少しでも日に当てて温めるためにくにゃくにゃと伸ばしたという。
なるほどである。
完成の一歩前。
後は白い幌を被せるだけだ。
長さのある幌は意外と重たい。
これもまた二人作業。
ここ数年前から応援してくださる人が居るからできるという。
突然というか、おもむろに普通トラックに乗ってどこかへ行かれたご主人。
姿を追いかけたら向こうにいる。
そこで何をしているかといえば、お花摘みである。
水口まつりに欠かせないイロバナは植樹していたハナズオウである。
松苗やごーさん札を立てたところにハナズオウの枝を挿す。
今年の気温はとても低い。
いつもならツツジを挿すのだが、これもいいね、と云ってわざわざ採ってきたと、いう。
こうしてすべての作業を終えた水口まつりであるが、拝むこともなく最後に白い幌を調えて終わったが、作業はまだある。
薬剤を撒いておくことだ。
せっかく育った苗が枯れてしまわないように薬剤の「タチガレン」を撒いて自宅に戻られた。
(H29. 4.21 EOS40D撮影)