マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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勾田町・苗代の水口まつり

2018年05月02日 08時57分49秒 | 天理市へ
10年ぶりに訪れた天理市の勾田町。

ふとしたことから思い出したように取材した行事は4月初めに行われる頭屋座の春まつりであった。

午前中に頭屋座十人衆が版木で摺るごーさん札はかつてあった神宮寺の「常楽寺」。

朱印も押してヤナギの木とともに春日神社の神事に奉る。

神事が終われば十人衆が手分けして氏子家に配る。

その一人についていったM家は4月30日に苗代を作って立てると話していた。

当日伺った苗代田で合流する家族とともに作業をはじめる。

この日の朝に始めたモミオトシと、同時に済ませておいた苗床作り。

苗床はサラエで均して作ったという。

午前中いっぱいは明日香村の八釣で苗代作業を取材していた。

昼過ぎもされる作業であったが、お付き合いは丁度の昼で切り上げさせてもらった。

八釣から天理市の勾田町までの直線距離はおよそ20km。

車中食に調達したおにぎりをほうばりながら北上した。

勾田町のM家に着いたのは午後1時10分前。

今から出発すると云ってモミオトシを済ませた苗箱を運ぶ。

運搬車は操舵ハンドルがある4輪車。

調べてみれば四国ホイル型運搬車ジャガーSE40―F油圧ダンプのようだ。

力強く見えた運搬車の積載量はどれくらいなのだろうか。

エンジン音高らかに畑地を走る。

車幅がそんなにないから畝道を走っていった。

着いた場は午前中いっぱいかけて作った苗床は2列。

M家と友達夫妻のH家の2列である。



苗床に穴開きシートを敷いてから、中央に線引き。

旦那さんが手前に差し込んだ田植え縄(※綱とも)のチョナワ(※若しくはミズナワの呼び名がある)。

軸側が倒れないように強く押し込む。

糸巻機のような道具はカラカラと回転する。

縄は一般的にシュロの細縄。

向こう側について縄を真っすぐ張る。

位置が決まれば糸巻機側もぐっと差し込む。

昔は田植えに苗があっちこちへ動かないように一直線に植える。

そのための道具であったが、現在では田植え機が一直線に作動する検知機能付きになってからは用なしになった。

ところが出番は苗箱を置くための道具に移っている。

これまでどれほど多くの苗代作りを取材したことか。

いずこも同じように苗箱をきちんと揃えるために利用しているのが嬉しい。

そうこうしているうちに友達夫妻のHさんがイトバナとヤナギに挟んだごーさん札を持ってきた。

「今日はヤナギをやろう」と日程を決めていた。

ごーさん札は今月の8日に春日神社で行われた当屋座の春の祭典で奉られたものだ。

ごーさん札を擦ったのは午前に集まった十人衆。

一老、二老、三老の手によって刷り上げた

ヤナギに切れ目を入れて挟んだのは四老以下の座中だ。

春の祭典を終えたごーさんは各戸に配られる。

苗代に立てるまでの期間は神棚などに置いていたのだろう。



このごーさん札とイロバナは苗代作りのすべてを終えてからである。

それまでは乾かないように軸枝を水に浸けておく。



四国ホイル型運搬車に苗箱を積んだままの状態にしておいて、一枚、一枚を運ぶ。

左右に分かれて行う作業は分担作業。

奥さんは苗箱運びで、旦那さんは苗箱置き。

チョナワを目印に合わせて置いていく。



一枚、一枚の苗箱を置く度に運ぶ距離が伸びていく。

奥さんは運んでは運搬車に戻って再び運ぶ。

行ったり、戻ったりで距離はますます伸びるが、走行する足場の違いによって負担度が替わる。

一人は畦道であるが、もう一人は苗代田。

つまり泥田であるから、一歩、一歩を行くのに力が要る。

その差はずいぶんある。



苗床一枚、端から端まで置いたらもう一枚の苗床に移る。

一枚目と同じようにチョナワを張って一直線に指標する。



端に2枚の苗箱を置いて中央を決める。

置く場所が決まれば、さきほどと同じように苗箱運び。



旦那さんに手渡しては戻って、また運ぶ。



その前にH家と同様にM家もイロバナを水に浸けた。

ごーさん札は風で飛ばされないようにヤナギの枝に重しをした。

イロバナは白色と赤色の2種のツツジにコデマリやハナショウブ。

以前、ヤナギの枝にイリゴメ(炒り米)を包んだ半紙をオヒネリの形にして結んでいたが、カラスがすぐにやってきて摘まんでしまうので、これもまたやめたという。

さて、そのごーさんのお札である。



当屋祭の祭り道具で拝見した版木で刷っていた。

護符の文字は「牛玉 常楽寺 寶印」。

2種類の朱印を3カ所に押印している。

版木に「寛政九丁巳年(1797)正月二〇日 奉再興牛王版木 施主松岡儀右エ門」の墨書文字があったことを付記しておく。

並べた苗箱の数はおよそ170枚。

2軒分のモミオトシ量である。



次の作業は白い色の寒冷紗かけ。

ロールになっているからすこしずつ転がすように移動していった。

以前は育苗シートの沙を被せてから鳥除けに犬除けの細工もしていたが、今はやめている。

また、沙に転換する前は、溜めておいた新聞紙を糊で繋いでとても長いロール紙を作っていた。

その作業はとても時間がかかる。

そういう負担を避けて穴開きシートに替えた。



今では、まず、新聞紙ロールを滅多に見ることはないが、平成22年の5月4日に取材した大和郡山市小林町のKさんがしていたことを思い出した。

新聞紙であっても沙であっても端っこに泥を被せる。

風に飛んでしまわないように重しの泥土である。

これでやっと苗代作りを終えた。

そこでようやく登場するごーさん札。

ヤナギの枝に挟んだごーさん札は枝を泥田に挿して立てる。



その傍にはイロバナを立てる。

両家が揃って立てた豊作願いに手を合わせることはなかった。

これですべてが終わり、ではなく、水入れである。



勾田新池から流した池水がどっと寄せてきた。

開けた水口に吸い込まれるように苗代田に流れていく。

水の溜まり具合を確かめて堰を停める。

その具合は苗床がヒタヒタ程度になる水面である。

そうして解散した両夫妻。

M夫妻は来た畝道を運搬車に乗って戻っていった。



向こう側の畑にはいち早く移動して農作業の続きをするH夫妻。

その畝道すぐ横にある八王子さん。



当屋祭その日に行われた八王子巡拝の一つである。

その日に立てた幣が残っていた。

稲が育って田植え。

その時期はだいたいが6月10日前後になるそうだ。

育った苗は苗箱ごと積んで田んぼに運ぶ。

その場所はどこであるのか聞きそびれたが、奥さんの話しによれば、田植えのすべてが終わってから残った苗を家に持って帰るという。

なにをするかと云えば、荒神さん、つまりオクドさんであるが、大黒さんのようでもある。

田植えが無事に終って家の神さんに供えて豊作を願うウエジマイ(植え終い)の在り方である。

苗は2束。

根っこ辺りを稲藁で縛って供える。

その形は稲穂に見えるようにする。

そして茹でたソーメンを苗に振りかける。

家でされるウエジマイは民俗語彙で云えば家さなぶりであるが、その場はお見せできないと伝えられた。

この年の6月11日に取材した明日香村上(かむら)に住むF家の在り方
を参考にしていただければ幸いである。

勾田の田園から立ち去る際に拝見した綺麗な花。

蕾というかねぎ坊主のような形に特徴のある花は西洋もん。



最近よく見かけるようになった「シラー・ぺルビアナ(※ときわ木さまご指摘に訂正しました)」である。

この花を苗代のイロバナに立てているご家族を取材したのは三日後の5月3日。

所在地は同市内の和爾町だったことを付記しておこう。

(H29. 4.30 EOS40D撮影)