6月20日は第7回目の「私がとらえた大和の民俗」写真展の打合せ。
この日で7回目の開催になる会場は奈良県立民俗博物館。
近々に取材する魔除けの紫陽花を学芸員に伝えていた。
見るのも聞くのも初めてである紫陽花の民俗。
つい先だって、あじさい祈願をしていると知った久米寺に訪問。
あらかたはわかったが、原点は個人のお家でしているということだった。
その魔除けの紫陽花民俗を取材させていただくお家は山添村の人。
そんな話を学芸員に話したら、実は奈良県立民俗博物館に問い合わせがあったという。
問い合わせした人が拝見した民博ブログにそのことを記載していたというのである。
何日か前にあった県民と思われる人の問合せに、学芸員たちは紫陽花の話題で沸騰したそうだ。
当時にアップした記事の映像。
紫陽花の花を半紙に包んで水引をかけていたという。
その記事があったとはつゆ知らず。
しかも、当時勤めていられたSさんが書いていたというのだ。
今は、もうその記事は削除され、失効しているという。
どんな様子であったのか、詳しく聞いてみたくなった。
Sさんは何年か学芸課に所属していた方。
なにかといろいろ話すことがあった。
気の利くSさんならお話を聞きたい。
そう思って本人に繋いでほしい旨を伝えた。
後日、私宛にメールが送られてきた。
文面はお断りであった。
あじさい祈願をお家でされている母親であった。
ちょっと、という母親。
それもそのはずあじさい祈願をしている場はトイレ。
そこを撮るのはちょっと、ということである。
なら、あじさい祈願をするに至った経緯でも、と伝えたが、それも無理なことであるようだ。
それが、直前になって一転した。
ありがたいことに許可してくださったのだ。
Sさんの声を久しぶりに聴いてほっと安堵した。
お家に伺うのは初めて。
母親にお会いするのも初めて。
気遣いを持参して伺ったならまち界隈の民家である。
車も指定される場所に停めさせてもらった。
Sさんが民博ブログで伝えたあじさい祈願は体験談であった。
あるときに、である。親戚のおばあさんから母親に頼んだこと。
我が家に生えている紫陽花の花を摘んで持ってきて、と云われた。
おばあさんの家に紫陽花を届けに行ったら、紫陽花を逆さに吊るしていた。吊るす場所はトイレである。
おばあさんがしていた逆さ紫陽花吊りは魔除けであった。
それを知ってからはS家でもするようになった、ということだ。
山添村の民家でも同じようなことをしているが、そこはまじないと思われる呪文を書いていた。
ところがS家にはそれが伝わってなく、紫陽花を逆さに吊ることだけが一緒だった。
S家では6月の「6」の付く日に摘んだ紫陽花を半紙に包んで水引で括る。
それをトイレに逆さ吊りする。
紫陽花の花粉は落下するが、花は枯れたまま付いている。
そうして一年間をトイレに祭っていた紫陽花は、翌年に降ろして、また新しく吊っているという。
今年は26日にしようと思っているというから、山添村の民家と同じ日になった。
その日のSさんは仕事の日。
休むわけにもいかないから、直接母親にお会いして撮らせてもらう習俗取材である。
早速はじめてくださった魔除けの紫陽花。
まずは、S家を一年間も守っていた古い紫陽花を下ろして捨てる。
紫陽花を包んでいた半紙は綺麗なままであるが、中身の紫陽花はカラカラに乾いた色落ちの枯れ花である。
次は、摘んできた紫陽花を半紙に包む。
花束を作るような感じで、丸めながら包む。
そして、落ちないように茎の部分に水引をかける。
きっちり括った形は花束そのものである。
それを持ってトイレに吊るす。
逆さに吊るした紫陽花が落ちないように水引で締める。
拝みのない習俗は括り付けて終わった。
元々は斑鳩に住むおばあさんが、ご近所かどこかで聞いてきた習俗。
シモの世話にならないようにと毎年していたと云う。
母親の母親も同じように、みなに世話かけんように、と願って紫陽花を逆さに吊るす。
下世話をかけたくない家族の願いでしているまじないであった。
(H29. 6.26 EOS40D撮影)
この日で7回目の開催になる会場は奈良県立民俗博物館。
近々に取材する魔除けの紫陽花を学芸員に伝えていた。
見るのも聞くのも初めてである紫陽花の民俗。
つい先だって、あじさい祈願をしていると知った久米寺に訪問。
あらかたはわかったが、原点は個人のお家でしているということだった。
その魔除けの紫陽花民俗を取材させていただくお家は山添村の人。
そんな話を学芸員に話したら、実は奈良県立民俗博物館に問い合わせがあったという。
問い合わせした人が拝見した民博ブログにそのことを記載していたというのである。
何日か前にあった県民と思われる人の問合せに、学芸員たちは紫陽花の話題で沸騰したそうだ。
当時にアップした記事の映像。
紫陽花の花を半紙に包んで水引をかけていたという。
その記事があったとはつゆ知らず。
しかも、当時勤めていられたSさんが書いていたというのだ。
今は、もうその記事は削除され、失効しているという。
どんな様子であったのか、詳しく聞いてみたくなった。
Sさんは何年か学芸課に所属していた方。
なにかといろいろ話すことがあった。
気の利くSさんならお話を聞きたい。
そう思って本人に繋いでほしい旨を伝えた。
後日、私宛にメールが送られてきた。
文面はお断りであった。
あじさい祈願をお家でされている母親であった。
ちょっと、という母親。
それもそのはずあじさい祈願をしている場はトイレ。
そこを撮るのはちょっと、ということである。
なら、あじさい祈願をするに至った経緯でも、と伝えたが、それも無理なことであるようだ。
それが、直前になって一転した。
ありがたいことに許可してくださったのだ。
Sさんの声を久しぶりに聴いてほっと安堵した。
お家に伺うのは初めて。
母親にお会いするのも初めて。
気遣いを持参して伺ったならまち界隈の民家である。
車も指定される場所に停めさせてもらった。
Sさんが民博ブログで伝えたあじさい祈願は体験談であった。
あるときに、である。親戚のおばあさんから母親に頼んだこと。
我が家に生えている紫陽花の花を摘んで持ってきて、と云われた。
おばあさんの家に紫陽花を届けに行ったら、紫陽花を逆さに吊るしていた。吊るす場所はトイレである。
おばあさんがしていた逆さ紫陽花吊りは魔除けであった。
それを知ってからはS家でもするようになった、ということだ。
山添村の民家でも同じようなことをしているが、そこはまじないと思われる呪文を書いていた。
ところがS家にはそれが伝わってなく、紫陽花を逆さに吊ることだけが一緒だった。
S家では6月の「6」の付く日に摘んだ紫陽花を半紙に包んで水引で括る。
それをトイレに逆さ吊りする。
紫陽花の花粉は落下するが、花は枯れたまま付いている。
そうして一年間をトイレに祭っていた紫陽花は、翌年に降ろして、また新しく吊っているという。
今年は26日にしようと思っているというから、山添村の民家と同じ日になった。
その日のSさんは仕事の日。
休むわけにもいかないから、直接母親にお会いして撮らせてもらう習俗取材である。
早速はじめてくださった魔除けの紫陽花。
まずは、S家を一年間も守っていた古い紫陽花を下ろして捨てる。
紫陽花を包んでいた半紙は綺麗なままであるが、中身の紫陽花はカラカラに乾いた色落ちの枯れ花である。
次は、摘んできた紫陽花を半紙に包む。
花束を作るような感じで、丸めながら包む。
そして、落ちないように茎の部分に水引をかける。
きっちり括った形は花束そのものである。
それを持ってトイレに吊るす。
逆さに吊るした紫陽花が落ちないように水引で締める。
拝みのない習俗は括り付けて終わった。
元々は斑鳩に住むおばあさんが、ご近所かどこかで聞いてきた習俗。
シモの世話にならないようにと毎年していたと云う。
母親の母親も同じように、みなに世話かけんように、と願って紫陽花を逆さに吊るす。
下世話をかけたくない家族の願いでしているまじないであった。
(H29. 6.26 EOS40D撮影)