飛鳥民俗調査会が調査され、昭和62年3月に発刊された報告書『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』がある。
明日香村を多方面に亘って調査した年中行事に目が釘付けになった行事があった。
「岡に産の宮と呼ぶ安産の神を祀る祠がある。岡本神社ともいい、祭神は高皇産霊神・素戔嗚神・神功皇后であるという。7月14日に祭典が行われ、明日香村内だけでなく近郷からも妊婦がお参りにくる。元は、花井家三軒と上田家5軒とで祭祀していたが、数年前からは大字で祀るようになった。昼ごろから清掃を行い、孟宗竹の鳥居を立てる(※現在は常設)。妊婦は竹の鳥居に腹帯を吊るし、安産を祈る。夕方に神職による祭典が行われ、おさがりのゴクマキをする。このゴクをいただいても安産に御利益があるという。元は、当屋の主人が、当日の朝、吉野川でミソギをして、鮎を買って帰り供えたという」。
紹介されていた行事は今もされているのだろうか。
されているとすればその在り方を見ておきたい。
そう、思って大字岡を目指すのであるが、神職が夕刻とあるから、その時間帯までに到着して場所探し、とでも思っていたが、結論からいうとお昼過ぎの時間帯にしていたということだった。
大字岡をカーナビゲーションにセットして車を走らせる。
中心部は岡本寺付近の駐車場辺りで「到着しました」のアナウンス。
さて、どうするか、であるが、外を歩いている様子はない。
ないと思えたが散歩されていた女性に「産の宮」さんがある場所を尋ねてみた。
女性がいうには本日の午後1時に祭典があって飛鳥坐神社の飛鳥宮司が祭祀を務めていたという。
「今日来られたのは安産祈願ですか」と云われたが、いやそうではなく民俗行事の探訪ですとお伝えした。
「産の宮」さんは八阪神社であるという。
それならこの日は祇園さん。
夏祭りと称する神社もあるが、7月14日は京都祇園社の祇園さんが名高い。
奈良県内においても八阪神社、八坂神社に牛頭天王を祀る素盞嗚系の神社ではこの日は祇園さんと称する夏祭りが多くみられる。
「産の宮」さんの祭典の行事名は聞かずじまいだったが、祇園さんの夏祭りと考えていいと思った。
女性が教えてくださった「産の宮」がある地。
ここよりに行くには細い道を行かねばならない。
左折れに道を曲がって、すぐでてくる三叉路を左折れ。
急な坂道を下って右に曲がる。
その道は岡寺に向かう参道道。
そこからは細い道。
両サイドにお寺が見えたらすぐ近く。
さらに細い道を左に行けばあると教えてくださった通りに下る。
右側に「花井」の表札が見えた。
その家の下にたまたまおられた老婦人にも宮さんの場所を尋ねる。
そこはここの細い道を行った先にある。
距離は遠くない目と鼻の先。
ふと見上げた電信柱に表示があった矢印の先にある。
車は一時停車もできないくらいの参道道。
老婦人が云った。
下ってきた道の上流に駐車場があるから、そこへ仮停めしていいと云われて駐車させてもらう。
とはいっても民家の駐車場。
場所がわかったので写真を撮るだけと思って一時的仮駐車。
参道を下ったら老婦人が待っていてくれた。

ありがたいことで、案内してあげると云われて後につく。
たしかにあった高台の上に鎮座していた「産の宮」。
社殿はさらに高い高台にある。

社殿下にあったのが孟宗竹で作った鳥居である。
記事の通り、常設のようであるが、付近には切断した数本の青竹が置いてあった。
伐りとった竹片もあることから、近日に建てた竹製の鳥居であろう。
社務所らしき小屋が建っている。
改築した年号は・・・。
これらだけを撮って参道に戻ったら呼び止められた。
「産の宮」さんへ行く道を教えてくださった女性だった。
場所がわかるかどうか、気になって車を出したそうだ。
女性がいうには停めていた駐車場の車が出られなくなっているという。
こりゃえらい迷惑をかけてしまった。
ぎりぎりいっぱいまで寄せていた女性に頭を下げて、即急に対応する。
狭い参道の切り返しが難しかったがなんとか脱出。
もう一度頭を下げて申し上げございませんと声をあげたら笑顔で返してくれた。
短時間にお会いした大字岡の女性の対応に感謝するばかりだ。
だいたいの様相がわかってきた「産の宮」さんの行事であるが、7月14日と安産祈願の関係性が見えない。
八阪神社名は明治時代になってからの名である。
日本全国どこでもそうだ。京都の八坂神社も元の社名は祇園社。
県内事例の多くを見てきたが、まず間違いなく牛頭天王社、若しくは素盞嗚神社。
素盞嗚神社を充てる漢字は違うところも多くあるが、いずれも江戸時代は牛頭天王社。
灯籠などのその痕跡が残っている。
大字岡の「産の宮」さんにそうした痕跡があるのかどうかわからないが、「産の宮」の名は何かのおりに訛ったものではないだろうか。
つまりは〇〇のさんの宮さん。
しかし、〇〇は何であろうか、さっぱりわからない。
ではなく、先にあげた記事中に祭神は三神の高皇産霊神、素戔嗚神、神功皇后とある。
とすれば三神を祀る宮さん。
そう解したら「三神の宮さん」から、神を略して「三の宮さん」さんに産前か産後に参った女性に御利益があったと伝聞さされる。
伝聞はお産の神さんとなって崇められ、いつしか変化した「産の宮」さんではないだろうか。
いささか、勝手な推測であるが・・・。
さて、「サンノミヤサン」で思い出した行事がある。
同じ明日香村の大字平田である。
平成25年11月5日に取材した庚申講の「サンノンサン」行事。
地元の話しによれば、お祭りをされる猿石の一つ。
「山王権現」を崇敬する地元民は親しみを込めて「サンノンサン」と呼んでいた。
(H29. 7.14 EOS40D撮影)
明日香村を多方面に亘って調査した年中行事に目が釘付けになった行事があった。
「岡に産の宮と呼ぶ安産の神を祀る祠がある。岡本神社ともいい、祭神は高皇産霊神・素戔嗚神・神功皇后であるという。7月14日に祭典が行われ、明日香村内だけでなく近郷からも妊婦がお参りにくる。元は、花井家三軒と上田家5軒とで祭祀していたが、数年前からは大字で祀るようになった。昼ごろから清掃を行い、孟宗竹の鳥居を立てる(※現在は常設)。妊婦は竹の鳥居に腹帯を吊るし、安産を祈る。夕方に神職による祭典が行われ、おさがりのゴクマキをする。このゴクをいただいても安産に御利益があるという。元は、当屋の主人が、当日の朝、吉野川でミソギをして、鮎を買って帰り供えたという」。
紹介されていた行事は今もされているのだろうか。
されているとすればその在り方を見ておきたい。
そう、思って大字岡を目指すのであるが、神職が夕刻とあるから、その時間帯までに到着して場所探し、とでも思っていたが、結論からいうとお昼過ぎの時間帯にしていたということだった。
大字岡をカーナビゲーションにセットして車を走らせる。
中心部は岡本寺付近の駐車場辺りで「到着しました」のアナウンス。
さて、どうするか、であるが、外を歩いている様子はない。
ないと思えたが散歩されていた女性に「産の宮」さんがある場所を尋ねてみた。
女性がいうには本日の午後1時に祭典があって飛鳥坐神社の飛鳥宮司が祭祀を務めていたという。
「今日来られたのは安産祈願ですか」と云われたが、いやそうではなく民俗行事の探訪ですとお伝えした。
「産の宮」さんは八阪神社であるという。
それならこの日は祇園さん。
夏祭りと称する神社もあるが、7月14日は京都祇園社の祇園さんが名高い。
奈良県内においても八阪神社、八坂神社に牛頭天王を祀る素盞嗚系の神社ではこの日は祇園さんと称する夏祭りが多くみられる。
「産の宮」さんの祭典の行事名は聞かずじまいだったが、祇園さんの夏祭りと考えていいと思った。
女性が教えてくださった「産の宮」がある地。
ここよりに行くには細い道を行かねばならない。
左折れに道を曲がって、すぐでてくる三叉路を左折れ。
急な坂道を下って右に曲がる。
その道は岡寺に向かう参道道。
そこからは細い道。
両サイドにお寺が見えたらすぐ近く。
さらに細い道を左に行けばあると教えてくださった通りに下る。
右側に「花井」の表札が見えた。
その家の下にたまたまおられた老婦人にも宮さんの場所を尋ねる。
そこはここの細い道を行った先にある。
距離は遠くない目と鼻の先。
ふと見上げた電信柱に表示があった矢印の先にある。
車は一時停車もできないくらいの参道道。
老婦人が云った。
下ってきた道の上流に駐車場があるから、そこへ仮停めしていいと云われて駐車させてもらう。
とはいっても民家の駐車場。
場所がわかったので写真を撮るだけと思って一時的仮駐車。
参道を下ったら老婦人が待っていてくれた。

ありがたいことで、案内してあげると云われて後につく。
たしかにあった高台の上に鎮座していた「産の宮」。
社殿はさらに高い高台にある。

社殿下にあったのが孟宗竹で作った鳥居である。
記事の通り、常設のようであるが、付近には切断した数本の青竹が置いてあった。
伐りとった竹片もあることから、近日に建てた竹製の鳥居であろう。
社務所らしき小屋が建っている。
改築した年号は・・・。
これらだけを撮って参道に戻ったら呼び止められた。
「産の宮」さんへ行く道を教えてくださった女性だった。
場所がわかるかどうか、気になって車を出したそうだ。
女性がいうには停めていた駐車場の車が出られなくなっているという。
こりゃえらい迷惑をかけてしまった。
ぎりぎりいっぱいまで寄せていた女性に頭を下げて、即急に対応する。
狭い参道の切り返しが難しかったがなんとか脱出。
もう一度頭を下げて申し上げございませんと声をあげたら笑顔で返してくれた。
短時間にお会いした大字岡の女性の対応に感謝するばかりだ。
だいたいの様相がわかってきた「産の宮」さんの行事であるが、7月14日と安産祈願の関係性が見えない。
八阪神社名は明治時代になってからの名である。
日本全国どこでもそうだ。京都の八坂神社も元の社名は祇園社。
県内事例の多くを見てきたが、まず間違いなく牛頭天王社、若しくは素盞嗚神社。
素盞嗚神社を充てる漢字は違うところも多くあるが、いずれも江戸時代は牛頭天王社。
灯籠などのその痕跡が残っている。
大字岡の「産の宮」さんにそうした痕跡があるのかどうかわからないが、「産の宮」の名は何かのおりに訛ったものではないだろうか。
つまりは〇〇のさんの宮さん。
しかし、〇〇は何であろうか、さっぱりわからない。
ではなく、先にあげた記事中に祭神は三神の高皇産霊神、素戔嗚神、神功皇后とある。
とすれば三神を祀る宮さん。
そう解したら「三神の宮さん」から、神を略して「三の宮さん」さんに産前か産後に参った女性に御利益があったと伝聞さされる。
伝聞はお産の神さんとなって崇められ、いつしか変化した「産の宮」さんではないだろうか。
いささか、勝手な推測であるが・・・。
さて、「サンノミヤサン」で思い出した行事がある。
同じ明日香村の大字平田である。
平成25年11月5日に取材した庚申講の「サンノンサン」行事。
地元の話しによれば、お祭りをされる猿石の一つ。
「山王権現」を崇敬する地元民は親しみを込めて「サンノンサン」と呼んでいた。
(H29. 7.14 EOS40D撮影)