今年の3月12日。
明日香村上(かむら)の薬師堂で行われたハッコウサン行事に出仕されていた飛鳥坐神社の飛鳥宮司さんにお願いした。
その行事は大字飛鳥の飛鳥坐神社で行われる夏越し大祓いである。
茅の輪潜りに藁で作った舟があると知って、それを拝見したくお願いした取材を許可してくださった。
条件は神事の進行を妨げない、参拝者に迷惑をかけない、ということである。
飛鳥坐神社の夏越し大祓いに藁舟があると聞いたのは平成28年だった。
時期は覚えていないが写真家のKさんが、教えてくださった「舟」である。
その「舟は」奉ったあとに近くの川に流すということだった。
これまでまったく存じていなかった飛鳥坐神社の夏越し大祓いである。
ネットをぐぐってみたら、確かに「舟」を奉っているシーンをとらえていたブログがある。
半年間の穢れは身代わりのヒトガタ(人形)に移す。
参拝者、祈願者たちの穢れを「舟」に詰めて川に流すあり方である。
「舟」は祓えつ物(はらえつもの)である。
祓えつ物を直に拝見することはできないが、所作される祓えつ物儀式を拝見した行事がある。
一つは三郷町の龍田大社。
もう一つは橿原市曽我町の天高市(あめのたかち)神社である。
いずれも6月30日の大祓。
半年に一度の夏越しの大祓いに見られる神事作法である。
行事は午後4時から始められる。
先に拝見しておきたい茅の輪。
高さは2m以上もある茅の輪の両側に支えの杭を打ち、笹竹を立てていた。
大祓いの儀式が始まる前。
一人の男性が頭を垂れて茅の輪を跨いでいた。
なんでも遠方の地からやってきたという旅行者。
参拝を済ませたいと先に跨いで階段を登っていった。
ちなみに茅の輪は前日までに飛鳥宮司お一人が茅を刈り取ってきて、一人で組み立てた茅の輪。
心棒は竹を3本繋いで立てたという。
参拝者が座る場は2カ所。
一つは立てた茅の輪の真ん前。
もう一つは社務所の前。
暑い盛りに日差しを避けてもらうにテントを立てた場が座る席。
15分前になっても参拝者はまだ来られない。
鳥居のすぐ近くに川がある。
その付近で遊んでいた小学生。
川に何かを落としたようで、木の棒で手繰り寄せて回収していた。
川にはまりなや、と注意すれば素直に応じる子供たち。
もう一つの拾い物は屋根の上にある。
その棒をもって落としてあげたら喜んでいた。
そうこうしているうちに大勢の参拝者が集まってきた。
おかげさまでテント内の椅子は満席である。
祭壇は神事の場になる祓戸社。
祭神は瀬織津比賣神、速開都比賣神、気吹戸主神、速佐須良比賣神の四神。罪や穢れを祓い去る神様とある。
神饌御供は予め供えていた。
上段にお神酒、水に洗い米。
シイタケにコーヤドーフの盛り。
シメジにニンジン、サンドマメの盛り。
トマト、ナスビにチンゲンサイ。
パイナップルにバナナ、夏柑などなど。
献酒の酒が並ぶ前にある造り物は小型の茅の輪。
その横にある朱の色は御守だ。
下段中央に置いたのが、祈願者たちの穢れを納める祓えつ物の「舟」である。
この時点では何も詰めていないので中央は膨れていない。
その左脇にあるのは祈願者が氏名、年齢を書いて送ってきたヒトガタ(人形)であろう。
当日に参拝できない願主が予め送ってきたヒトガタである。
先ずは祓詞に祓の儀である。
次に降神の儀、献饌と続いて夏越の祝詞を奏上される。
次に参拝者の人たちに切幣・ヒトガタを配布される。
参拝者それぞれが身の汚れを払う儀式である。
身の汚れは穢れである。
我の穢れはヒトガタにふっと息を吹きかけて移す。
それをそっと紙に包み込む。
その次に祓い清めるキリヌサ。
穢れを払う作法である。
半年間の暮らし。
知らず知らずに身についた穢れを払ったそれを回収して藁で作った「舟」に詰め込む。
穢れを封じ込めたということであろう。
参拝者たちの身を清めたキリヌサは足元に散らばった。
次は大祓詞の奏上である。
本来は参列者に向かって大祓詞を奏上するのであるが、祓戸社の四神に向かって奏上された。
夏越しの大祓は神さんの祭りではなく、村人や参拝者に対する祭りごとであると聞いている。
教えてくださったのは田原本町の村屋坐弥冨都比売神社の守屋宮司だった。
実際、飛鳥坐神社・神職の飛鳥宮司は「ほんとは皆さん方に向かって申し上げないといかんのですが・・・」と神事後に伝えられた。
これより始まるのが茅の輪潜りである。
宮司が、その作法を解説される。
茅の輪は本来、3度潜る。
まずは茅の輪の正面から入って左に廻る。
ぐるっと廻ってまた正面に戻る。
次の廻りは右回り。
茅の輪を潜ったら右へ旋回して、再び後尾につく。
そして再び茅の輪の正面に立つ。
茅の輪を跨いで一番初めと同じ左に旋回して正面に戻る。
つまり、左、右、左に廻る8の字廻りの3度潜りの作法であるが、2度廻りの作法の場合はこうするのです、と説明される。
まずはじめの廻りは右に旋回。
その場合の茅の輪潜りは右足から跨ぐ。
ぐるっと廻って後尾につく。
正面に戻って今度は左回り。
その際の足は左足から入って跨ぐ、と話されたら、参拝者は、足が右、左、どっちなのか、もつれそうになるわ、と声をあげたら会場はどっと笑いに包まれた。
そして宮司を先頭に前総代、氏子らに一般参拝者が茅の輪を潜る。
茅の輪潜りに唱和する唱詞がある。
「みな月の 夏越のはらひする人は 千歳(ちとせ)の命 延ぶといふなり」である。
つまりは「6月の夏越しの祓いをする人は、寿命が延びて千歳の命を得るということである。
ところで大祓詞に「瀬織津比賣神」や「速開都比賣神」の名が詠みあげられる。
その名は飛鳥坐神社の祓戸社の四神にある。
「罪と言ふ罪は在らじと 科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く・・・」。
「速川(はやかわ)の瀬に坐す瀬織津比賣(せおりつひめ)と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣(はやつあきつひめ)と言ふ神・・云々」である。
民の穢れを詰めた祓えつ物の「舟」は、ここ飛鳥の寺川から流されて大河の大和川へ。
そして大阪湾の瀬に流れつく。
そういうことだと、田原本町の守屋宮司に教わったことがある。
飛鳥の川も田原本町の川も皆、大和川に合流。
風が吹きほこる大海原の浪速の津に流れついて大阪湾に。
布引き裂き納めの作法はいつされたのか、わからなかった祓えつ物の「舟」を大事に抱えて、寺川に流す場に向かう。
総代に氏子、そして参拝者が後続について行列する。
寺川の今は水を堰き止めているから流れていない。
「舟」を流すにはある程度の水流が要る。
そこは前総代の権限で堰を開放した。
所定の地に着いたら流す場所に向けて榊で祓う。
その場から投げ入れる「舟」。
参拝者は物珍しそうに覗き込む。
流れる水流に身を任せて下流にくだった祓えつ物の「舟」はこうして見送られた。
大祓の式は流すことで〆るわけでもなく、皆揃って神社に戻る。
座っていた席に戻って始まった昇神の儀。
頭を垂れて式典を終えたが、茅の輪はそのままの形でしばらくは残される。
その茅の輪を潜る村の人。
観光客も交えて潜っていた微笑ましい情景を撮っていたが、その方向は逆向きだよ・・。
祭典を終えた時間帯は午後6時ころ。
長い影が伸びていた。
ちなみに式典にいただいた小型の茅の輪がある。
どうぞ持ち帰って祭ってくださいと云われた茅の輪はありがたく賜り、玄関に吊るした。
(H29. 6.30 EOS40D撮影)
明日香村上(かむら)の薬師堂で行われたハッコウサン行事に出仕されていた飛鳥坐神社の飛鳥宮司さんにお願いした。
その行事は大字飛鳥の飛鳥坐神社で行われる夏越し大祓いである。
茅の輪潜りに藁で作った舟があると知って、それを拝見したくお願いした取材を許可してくださった。
条件は神事の進行を妨げない、参拝者に迷惑をかけない、ということである。
飛鳥坐神社の夏越し大祓いに藁舟があると聞いたのは平成28年だった。
時期は覚えていないが写真家のKさんが、教えてくださった「舟」である。
その「舟は」奉ったあとに近くの川に流すということだった。
これまでまったく存じていなかった飛鳥坐神社の夏越し大祓いである。
ネットをぐぐってみたら、確かに「舟」を奉っているシーンをとらえていたブログがある。
半年間の穢れは身代わりのヒトガタ(人形)に移す。
参拝者、祈願者たちの穢れを「舟」に詰めて川に流すあり方である。
「舟」は祓えつ物(はらえつもの)である。
祓えつ物を直に拝見することはできないが、所作される祓えつ物儀式を拝見した行事がある。
一つは三郷町の龍田大社。
もう一つは橿原市曽我町の天高市(あめのたかち)神社である。
いずれも6月30日の大祓。
半年に一度の夏越しの大祓いに見られる神事作法である。
行事は午後4時から始められる。
先に拝見しておきたい茅の輪。
高さは2m以上もある茅の輪の両側に支えの杭を打ち、笹竹を立てていた。
大祓いの儀式が始まる前。
一人の男性が頭を垂れて茅の輪を跨いでいた。
なんでも遠方の地からやってきたという旅行者。
参拝を済ませたいと先に跨いで階段を登っていった。
ちなみに茅の輪は前日までに飛鳥宮司お一人が茅を刈り取ってきて、一人で組み立てた茅の輪。
心棒は竹を3本繋いで立てたという。
参拝者が座る場は2カ所。
一つは立てた茅の輪の真ん前。
もう一つは社務所の前。
暑い盛りに日差しを避けてもらうにテントを立てた場が座る席。
15分前になっても参拝者はまだ来られない。
鳥居のすぐ近くに川がある。
その付近で遊んでいた小学生。
川に何かを落としたようで、木の棒で手繰り寄せて回収していた。
川にはまりなや、と注意すれば素直に応じる子供たち。
もう一つの拾い物は屋根の上にある。
その棒をもって落としてあげたら喜んでいた。
そうこうしているうちに大勢の参拝者が集まってきた。
おかげさまでテント内の椅子は満席である。
祭壇は神事の場になる祓戸社。
祭神は瀬織津比賣神、速開都比賣神、気吹戸主神、速佐須良比賣神の四神。罪や穢れを祓い去る神様とある。
神饌御供は予め供えていた。
上段にお神酒、水に洗い米。
シイタケにコーヤドーフの盛り。
シメジにニンジン、サンドマメの盛り。
トマト、ナスビにチンゲンサイ。
パイナップルにバナナ、夏柑などなど。
献酒の酒が並ぶ前にある造り物は小型の茅の輪。
その横にある朱の色は御守だ。
下段中央に置いたのが、祈願者たちの穢れを納める祓えつ物の「舟」である。
この時点では何も詰めていないので中央は膨れていない。
その左脇にあるのは祈願者が氏名、年齢を書いて送ってきたヒトガタ(人形)であろう。
当日に参拝できない願主が予め送ってきたヒトガタである。
先ずは祓詞に祓の儀である。
次に降神の儀、献饌と続いて夏越の祝詞を奏上される。
次に参拝者の人たちに切幣・ヒトガタを配布される。
参拝者それぞれが身の汚れを払う儀式である。
身の汚れは穢れである。
我の穢れはヒトガタにふっと息を吹きかけて移す。
それをそっと紙に包み込む。
その次に祓い清めるキリヌサ。
穢れを払う作法である。
半年間の暮らし。
知らず知らずに身についた穢れを払ったそれを回収して藁で作った「舟」に詰め込む。
穢れを封じ込めたということであろう。
参拝者たちの身を清めたキリヌサは足元に散らばった。
次は大祓詞の奏上である。
本来は参列者に向かって大祓詞を奏上するのであるが、祓戸社の四神に向かって奏上された。
夏越しの大祓は神さんの祭りではなく、村人や参拝者に対する祭りごとであると聞いている。
教えてくださったのは田原本町の村屋坐弥冨都比売神社の守屋宮司だった。
実際、飛鳥坐神社・神職の飛鳥宮司は「ほんとは皆さん方に向かって申し上げないといかんのですが・・・」と神事後に伝えられた。
これより始まるのが茅の輪潜りである。
宮司が、その作法を解説される。
茅の輪は本来、3度潜る。
まずは茅の輪の正面から入って左に廻る。
ぐるっと廻ってまた正面に戻る。
次の廻りは右回り。
茅の輪を潜ったら右へ旋回して、再び後尾につく。
そして再び茅の輪の正面に立つ。
茅の輪を跨いで一番初めと同じ左に旋回して正面に戻る。
つまり、左、右、左に廻る8の字廻りの3度潜りの作法であるが、2度廻りの作法の場合はこうするのです、と説明される。
まずはじめの廻りは右に旋回。
その場合の茅の輪潜りは右足から跨ぐ。
ぐるっと廻って後尾につく。
正面に戻って今度は左回り。
その際の足は左足から入って跨ぐ、と話されたら、参拝者は、足が右、左、どっちなのか、もつれそうになるわ、と声をあげたら会場はどっと笑いに包まれた。
そして宮司を先頭に前総代、氏子らに一般参拝者が茅の輪を潜る。
茅の輪潜りに唱和する唱詞がある。
「みな月の 夏越のはらひする人は 千歳(ちとせ)の命 延ぶといふなり」である。
つまりは「6月の夏越しの祓いをする人は、寿命が延びて千歳の命を得るということである。
ところで大祓詞に「瀬織津比賣神」や「速開都比賣神」の名が詠みあげられる。
その名は飛鳥坐神社の祓戸社の四神にある。
「罪と言ふ罪は在らじと 科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く・・・」。
「速川(はやかわ)の瀬に坐す瀬織津比賣(せおりつひめ)と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣(はやつあきつひめ)と言ふ神・・云々」である。
民の穢れを詰めた祓えつ物の「舟」は、ここ飛鳥の寺川から流されて大河の大和川へ。
そして大阪湾の瀬に流れつく。
そういうことだと、田原本町の守屋宮司に教わったことがある。
飛鳥の川も田原本町の川も皆、大和川に合流。
風が吹きほこる大海原の浪速の津に流れついて大阪湾に。
布引き裂き納めの作法はいつされたのか、わからなかった祓えつ物の「舟」を大事に抱えて、寺川に流す場に向かう。
総代に氏子、そして参拝者が後続について行列する。
寺川の今は水を堰き止めているから流れていない。
「舟」を流すにはある程度の水流が要る。
そこは前総代の権限で堰を開放した。
所定の地に着いたら流す場所に向けて榊で祓う。
その場から投げ入れる「舟」。
参拝者は物珍しそうに覗き込む。
流れる水流に身を任せて下流にくだった祓えつ物の「舟」はこうして見送られた。
大祓の式は流すことで〆るわけでもなく、皆揃って神社に戻る。
座っていた席に戻って始まった昇神の儀。
頭を垂れて式典を終えたが、茅の輪はそのままの形でしばらくは残される。
その茅の輪を潜る村の人。
観光客も交えて潜っていた微笑ましい情景を撮っていたが、その方向は逆向きだよ・・。
祭典を終えた時間帯は午後6時ころ。
長い影が伸びていた。
ちなみに式典にいただいた小型の茅の輪がある。
どうぞ持ち帰って祭ってくださいと云われた茅の輪はありがたく賜り、玄関に吊るした。
(H29. 6.30 EOS40D撮影)