シモの世話にならないように願う婦人の願いを叶えてくださるまじないがあると知ったのは、この年の平成29年2月11日。
在所は山添村の勝原。
その日は勝原で行われる子供の涅槃を取材していた。
取材にお世話になったお家がある。
そのお家で用足しを利用させてもらったトイレ内にあった逆さ吊りの紫陽花。
家人がいうには毎年の6月26日にしているというまじないである。
6月に「6」の付く日が3回ある。
6日、16日に26日である。
その「6」の付く日に、である。
家のトイレに紫陽花の花を逆さに吊るしておけば、女性特有のシモの病気にかからないと云われている。
紫陽花に霊力が宿るとみなして魔除けになるという習俗である。
なかでも一番の効果があると信ぜられた26日に吊るすと話していた民家に向かう。
まじないをする時間帯は夜遅くなると話していた。
取材許可は得ているが、夜遅くはほんとに申しわけない。
ご主人の仕事帰りは遅くなる。
運動クラブに所属している子供さんも遅くなるし、送迎もある。
そうでなくとも例年はもっと遅い時間帯にしているという、S家は、取材に遅くなっては申しわけないと、早めてくださった。
気持ち早めてもらっても夜は夜。
真っ暗な村の道を歩いて呼び鈴を押した。
待ってくださっていたのはSさんの奥さんに母親だった。
夜遅くに訪問させていただくこと、たいへん恐縮しながらの取材である。
S家の紫陽花のまじないに呪文がある。
願文は「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウ ウンジャク ランラン」である。
願文は例年同じ。
参照する見本通りに書く願文。
奥さんは奥さんの字。
母親は母親の字でそれぞれに書く。
祭るこの日の日付けに生年月日、並びに氏名を書。
願主の証しである。
二人並んで書いた願文を内側に置いて摘んできたお家の紫陽花を包む。
花束を作るようにくるくる巻いて包む。
金・銀それぞれの水引で茎の部分を括って締める。
紫陽花を包んだ花束は先端を折りたたんで毀れないようにしている。
できあがったら紫陽花包みをトイレに持ち込む。
先にしておくのが一年前に吊った紫陽花包み外し。
取り除いてから新しく作った紫陽花包みを逆さに吊る。
締める際に余らせていた水引でタオル掛けのところに括っておく。
このように紫陽花を逆さに吊るした願かけ。
手を合わせることのない願かけは、いつから当家に伝わるようになったのか。
奥さんの話しによれば、実家の桜井市芝がはじまり。
芝にお住まいの母親が、友達から聞いたシモの世話にならないようにという願掛け。
紫陽花をトイレに吊るすまじないであった。
嫁入りした奥さんは嫁いだS家でもするようになった。
それを知った義母もしたいというようになって今では二人揃ってしているという。
先代から教えられ、学んだ伝承民俗が一般的だと思っていたが、当家の伝承はお嫁さんが持ち込んだ出里の民俗文化である。
義母は、これは良いことだとお嫁さんがしてきたことを受け入れた逆の展開。
嫁、姑間にこだわりのない関係性に感動した夜だったが、面白いことに出里の母親が云った言葉。
「まだしてんのん」である。
実家の母親は継続することはなかったが、嫁入りしたS家で民間信仰を繋いできたこともまた驚きである。
この日の午後に取材させていただいたならまち界隈に住む女性は親戚のおばあさんから、であった。
後日にお会いした宇陀市榛原萩原・小鹿野(おがの)に住む老婦人は、最近になってからご近所の人から聞いてはじめたと云っていた。
伝わるルートは人さまざまである。
地域の行事でもなく、人と人の繋がりで拡散していた紫陽花祈願は、特に奈良に限定されているわけでなく、ネットで調べてみれば各地に存在する。
また、各家ではなく、神社や寺行事によって行われているところもある。
ところで願主の二人が願文に揚げた「鳥枢沙摩明王」である。
読みは「うすさまみょうおう」或いは「うすしまみょうおう」。
ネット調べであるが、密教の明王の一尊。
真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗などの諸宗派で信仰されるとあった。
飯島吉晴氏が報告された論考『烏枢沙摩明王と厠神』。
「鳥枢沙摩明王」はトイレの神さまで、「うっさま明王」の名で呼ばれているそうだ。
また、陳甜氏が論考された『ポックリ信仰研究序説:ポックリ信仰の諸相(東北文化研究室紀要)』によれば、「鳥枢沙摩明王」はトイレの神様である。
「不浄を厭わず、不浄な場所に巣食って、諸病災厄の因をなす魔鬼の類を抑える呪力を有するための、厠(かわや)の守護神」である。
ごく普通の一般家庭では、お嫁さんに面倒をかけたくない。
とりわけ、シモの世話にならんように、という願う人は多い。
呪文の「オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」は鳥枢沙摩明王のご真言であるが、何故に紫陽花であるのか、また何故に「6」の付く日であるのか、謎は謎のままで終わった。
ちなみに一年間もトイレで守ってくれた古い紫陽花はどうされるのか。
お聞きすれば翌年のとんどで燃やすと話していた。
ちなみに南山城にもこの習俗があるようだが・・
(H29. 6.26 EOS40D撮影)
在所は山添村の勝原。
その日は勝原で行われる子供の涅槃を取材していた。
取材にお世話になったお家がある。
そのお家で用足しを利用させてもらったトイレ内にあった逆さ吊りの紫陽花。
家人がいうには毎年の6月26日にしているというまじないである。
6月に「6」の付く日が3回ある。
6日、16日に26日である。
その「6」の付く日に、である。
家のトイレに紫陽花の花を逆さに吊るしておけば、女性特有のシモの病気にかからないと云われている。
紫陽花に霊力が宿るとみなして魔除けになるという習俗である。
なかでも一番の効果があると信ぜられた26日に吊るすと話していた民家に向かう。
まじないをする時間帯は夜遅くなると話していた。
取材許可は得ているが、夜遅くはほんとに申しわけない。
ご主人の仕事帰りは遅くなる。
運動クラブに所属している子供さんも遅くなるし、送迎もある。
そうでなくとも例年はもっと遅い時間帯にしているという、S家は、取材に遅くなっては申しわけないと、早めてくださった。
気持ち早めてもらっても夜は夜。
真っ暗な村の道を歩いて呼び鈴を押した。
待ってくださっていたのはSさんの奥さんに母親だった。
夜遅くに訪問させていただくこと、たいへん恐縮しながらの取材である。
S家の紫陽花のまじないに呪文がある。
願文は「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウ ウンジャク ランラン」である。
願文は例年同じ。
参照する見本通りに書く願文。
奥さんは奥さんの字。
母親は母親の字でそれぞれに書く。
祭るこの日の日付けに生年月日、並びに氏名を書。
願主の証しである。
二人並んで書いた願文を内側に置いて摘んできたお家の紫陽花を包む。
花束を作るようにくるくる巻いて包む。
金・銀それぞれの水引で茎の部分を括って締める。
紫陽花を包んだ花束は先端を折りたたんで毀れないようにしている。
できあがったら紫陽花包みをトイレに持ち込む。
先にしておくのが一年前に吊った紫陽花包み外し。
取り除いてから新しく作った紫陽花包みを逆さに吊る。
締める際に余らせていた水引でタオル掛けのところに括っておく。
このように紫陽花を逆さに吊るした願かけ。
手を合わせることのない願かけは、いつから当家に伝わるようになったのか。
奥さんの話しによれば、実家の桜井市芝がはじまり。
芝にお住まいの母親が、友達から聞いたシモの世話にならないようにという願掛け。
紫陽花をトイレに吊るすまじないであった。
嫁入りした奥さんは嫁いだS家でもするようになった。
それを知った義母もしたいというようになって今では二人揃ってしているという。
先代から教えられ、学んだ伝承民俗が一般的だと思っていたが、当家の伝承はお嫁さんが持ち込んだ出里の民俗文化である。
義母は、これは良いことだとお嫁さんがしてきたことを受け入れた逆の展開。
嫁、姑間にこだわりのない関係性に感動した夜だったが、面白いことに出里の母親が云った言葉。
「まだしてんのん」である。
実家の母親は継続することはなかったが、嫁入りしたS家で民間信仰を繋いできたこともまた驚きである。
この日の午後に取材させていただいたならまち界隈に住む女性は親戚のおばあさんから、であった。
後日にお会いした宇陀市榛原萩原・小鹿野(おがの)に住む老婦人は、最近になってからご近所の人から聞いてはじめたと云っていた。
伝わるルートは人さまざまである。
地域の行事でもなく、人と人の繋がりで拡散していた紫陽花祈願は、特に奈良に限定されているわけでなく、ネットで調べてみれば各地に存在する。
また、各家ではなく、神社や寺行事によって行われているところもある。
ところで願主の二人が願文に揚げた「鳥枢沙摩明王」である。
読みは「うすさまみょうおう」或いは「うすしまみょうおう」。
ネット調べであるが、密教の明王の一尊。
真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗などの諸宗派で信仰されるとあった。
飯島吉晴氏が報告された論考『烏枢沙摩明王と厠神』。
「鳥枢沙摩明王」はトイレの神さまで、「うっさま明王」の名で呼ばれているそうだ。
また、陳甜氏が論考された『ポックリ信仰研究序説:ポックリ信仰の諸相(東北文化研究室紀要)』によれば、「鳥枢沙摩明王」はトイレの神様である。
「不浄を厭わず、不浄な場所に巣食って、諸病災厄の因をなす魔鬼の類を抑える呪力を有するための、厠(かわや)の守護神」である。
ごく普通の一般家庭では、お嫁さんに面倒をかけたくない。
とりわけ、シモの世話にならんように、という願う人は多い。
呪文の「オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」は鳥枢沙摩明王のご真言であるが、何故に紫陽花であるのか、また何故に「6」の付く日であるのか、謎は謎のままで終わった。
ちなみに一年間もトイレで守ってくれた古い紫陽花はどうされるのか。
お聞きすれば翌年のとんどで燃やすと話していた。
ちなみに南山城にもこの習俗があるようだが・・
(H29. 6.26 EOS40D撮影)