マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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榛原萩原小鹿野・中組東の旧暦閏年の庚申トアゲ

2018年08月16日 09時37分09秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
服忌の場合であれば、上の組は参ることはできないが、コデキ(子出来)の場合は参加できるという中組東の庚申講の寄り合いである。

前日の7月1日は隣組になる中組講中の営みを拝見していた宇陀市榛原萩原小鹿野。

三つの組があるが、5~6軒の組だった上の組は現在2軒。

営みをできる状況ではないから停止している。

この日に行われるのは中組東。

昭和59年12月9日に建立した庚申さんの祠もずいぶんと朽ちてきたことから、2週間前に一部を修繕された。

昭和59年当時は7軒もあった中組東の講中。



一軒、一軒と脱会されて今では3軒になったという。

花立もゴクダイも葉付きの杉材で作る庚申塔婆もしていたが、現状を継いでいくには困難になった。

若い人たちが気負うことなく次世代に継げるよう、大改革をされた講中。

旧暦閏年の庚申さんの都度、毎回作り替えていた祭具を恒久化すれば次世代が継ぎやすくなると判断されて、花立もゴクダイも作らない。

これからは作らなくてもいいような形の塔婆にしようということになった。



願文は美しい書体で、はじめに五文字の梵字。

中組と同じの「キャ カ ラ バァ」。

続いて「奉造立 庚申供養五穀豊穣講中安全祈願」だ。

この庚申供養塔は前回の平成26年10月に新調したという。

庚申祠が建つ場は今では高台のようになったが、かつてはそうではなかった。

東京オリンピックがあった昭和39年。

土を掘って取り除いて道を拡げた。

それからアスファルト舗装にした。

祠がある場はもっと広かったから大勢の講中が並んでも十分な広さだった。

今では狭いから体制を崩したら落ちそうにもなる場で拝礼をする。



儀式は般若心経を唱えるわけでもなく、2礼2拍手1礼でもなく、手をポンポンと合わすだけ。

「心の中では心経を唱えているような感じで拝ませてもらっています」、という、実にその通りの作法であった。

かつては三つの組とも同じ日に営んでいた旧暦閏年の庚申講。

3カ所を巡って、お下がり御供目当ての子どもが大勢やってきたのであげていたが、今は面影すらない。



ずいぶんと寂しくなったと云いつつこの場で直会。

しばらくの歓談後は、近場の料理屋に出かけて会食をすると云って足早に去っていった。

この日にふと話してくださったTさんの奥さん。

昭和18年生まれの婦人が云うには、最近になって知人から教わったまじないをしていたという。

そのまじないはならまち界隈のS家や山添村のS家と同じように摘んだ紫陽花の花をトイレに吊るしたと・・。

吊るす日は「6」のつく日でもない。

しかも逆さでもない。

教えを聞いたのはどうやら断片的のようだが、来年は拝見したいと申し出たら、拒まれるようでもなかったことを付記しておく。

(H29. 7. 2 EOS40D撮影)