6月半ばともなれば、そろそろ準備にとりかかる。
私ではなくて農家の人たちだ。
それもユウガオを育ててカンピョウを作っている人たちである。
これまで幾つかの地域でカンピョウ干しを取材したことがある。
初めて取材したのは平成22年7月17日に訪れた田原本町の多。
その年、その月の24日は天理市の嘉幡町もあったが、いずれも高齢者だった。
その翌年には両軒ともやめられた。
聞いていた周辺地も巡ったがすでにやめていた。
それから3年後の桜井市山田の茶ノ前垣内である。
カンピョウを干すには竿がいる。
その存在に気づいたのは平成24年の4月10日だった。
多や嘉幡で構造物を拝見していたのでそれが何であるのか、すぐにわかった。
竿の持ち主は昭和4年生まれの高齢者。
元気でいる限り、カンピョウ干しをしていると云っていた。
この日は明日香村の飛鳥に取材がある。
その通り道に拝見したカンピョウ干し構造物に変化が見られた。
支柱は以前のままであるが、竿が新しくなっていた。
奇麗に藁を縛りつけている。
縛った紐はなんとなくPP紐のように思えるが、藁束に見慣れたものがある。
古びた紐のようなものがあるからこれは使い古した簾であろう。
簾の再利用ははじめて見た。
これも記録と思ってカメラに収めた。
(H29. 6.30 EOS40D撮影)
私ではなくて農家の人たちだ。
それもユウガオを育ててカンピョウを作っている人たちである。
これまで幾つかの地域でカンピョウ干しを取材したことがある。
初めて取材したのは平成22年7月17日に訪れた田原本町の多。
その年、その月の24日は天理市の嘉幡町もあったが、いずれも高齢者だった。
その翌年には両軒ともやめられた。
聞いていた周辺地も巡ったがすでにやめていた。
それから3年後の桜井市山田の茶ノ前垣内である。
カンピョウを干すには竿がいる。
その存在に気づいたのは平成24年の4月10日だった。
多や嘉幡で構造物を拝見していたのでそれが何であるのか、すぐにわかった。
竿の持ち主は昭和4年生まれの高齢者。
元気でいる限り、カンピョウ干しをしていると云っていた。
この日は明日香村の飛鳥に取材がある。
その通り道に拝見したカンピョウ干し構造物に変化が見られた。
支柱は以前のままであるが、竿が新しくなっていた。
奇麗に藁を縛りつけている。
縛った紐はなんとなくPP紐のように思えるが、藁束に見慣れたものがある。
古びた紐のようなものがあるからこれは使い古した簾であろう。
簾の再利用ははじめて見た。
これも記録と思ってカメラに収めた。
(H29. 6.30 EOS40D撮影)