マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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岡・湯屋谷垣内のサンノミヤサン

2020年11月15日 11時43分58秒 | 明日香村へ
本日訪れた明日香村の大字岡。

この地に産の宮とも呼ばれる八阪神社がある。

鎮座地は湯屋谷垣内(ゆやんたにかいと)。

狭い道を行った先に建つ神社は石垣を組んだ丘の上である。

前年の平成29年7月14日に訪れ「サンノミヤサン」行事を調べていた。

『岡に産の宮と呼ぶ安産の神を祀る祠がある。岡本神社ともいい、祭神は高皇産霊神・素戔嗚神・神功皇后である。7月14日に祭典が行われ、明日香村内だけでなく近郷からも妊婦がお参りにくる。元は、花井家の三軒と上田家の五軒が、祭祀をしていたが、数年前からは大字岡で祀るようになった。昼ごろから清掃を行い、孟宗竹の鳥居を立てる(※現在は常設)。妊婦は竹の鳥居に腹帯を吊るし、安産を祈る。夕方、神職による祭典が行われ、下げた御供をゴクマキする。この御供をいただいても、安産に御利益がある。元は、当屋の主人が、当日の朝、吉野川で禊をして、鮎を買って帰り供えた』という。

この記事は、飛鳥民俗調査会によって昭和62年3月に発刊された調査報告書『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』に載っていた。

行事の時間帯は夕方。

早めに着いて聞き取りをしたい。

そう思ってやってきた大字岡。

山麓線を走ってきた。

車をどこに停めたらいいのか、また知りたい産の宮の地を教えてもらいたく、犬の散歩されていた婦人に声をかけたら、なんと・・。

この日に行われた「サンノミヤサン」行事を務めた年当番家の女性だった。

昔は夕方にしていた「サンノミヤサン」行事。

その日は、午後1時に行われた、という。

場所と時間がわかっていたから駐車地を探す。

鎮座地の湯屋谷垣内もそうだが、岡寺行く急坂道の参道に駐車場はない。

探しあてた場所は、近くにある明日香村の役場。

今日は土曜日、空いている場に停めさせてもらった。

そこから東、南へと歩けば鳥居があった。

扁額のない鳥居はどこの神社に該当するのだろうか。



ふと、視線を落とした鳥居右下に石灯籠があった。

刻印に「八幡宮」とある。

左側に立てていた岡寺に向かう案内。

これより約430m先が岡寺行きの参道である。

参道を歩けば新道の山麓線にたどり着く。

岡寺はそこからまだ先になるが、手前にある治田神社(はるたじんじゃ)の石段が見える。

その治田神社はかつて「八幡宮」と呼ばれていた。

治田神社に掲示する由緒沿革によれば、「当社の創建は明らかでないが、延喜式巻十の延喜神名帳に式内社とされており、十世紀の平安時代には社があったとわかる。・・・~・・・八世紀初頭の岡寺(※龍蓋寺)創建伽藍が、あったと推測されており、寺の鎮守神として、境内地に祀られ、後に治田神社となったとも考えられる。元々は治田氏の祖神を奉祀・・。文安年間(1445~1448)に、一時は大国主命の和魂である大物主命を奉祀されたと古書にある。さらに、社名を八幡宮と称し、祭神の応神天皇を奉祀、現在に至っている」とあったが、明治時代になって治田神社名に戻したようだ。

鳥居傍に建てた石灯籠が「八幡宮」とあるのは、そういうことだが・・。

ちなみに、『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』によれば、「昭和0年ごろにあった旧講・新講・新々講の三講だった。現在は豊穣講の一組に纏まった村座(講)がある。6月に早苗饗(さなぶり)。9月1日が八朔座(※豊穣講)行事。本社から一の鳥居までの渡御。御幣の神輿遷しや、百燈明に厄除け煎餅を子供に配る。また、神饌は生きた鯉。祭礼後に岡寺本堂前の龍蓋池に放生する。百味の御食と称する供物があり、芋とか、蒟蒻、牛蒡などを煮た“ごんざ”と称する馳走に、3個の大きな握り飯もある」そうだ。

鳥居から100mも歩けば、左手の電信柱に掲げる「安産祈願 産の宮 八阪神社」の木札に目がいく。

右行き矢印に沿って、集落道を行ったそこに八阪神社がある。

石段を登っていけば、社殿下の境内に立てた青竹組みの鳥居が目に入る。



昨年にお会いした年当番家の女性は、午後1時と話していた。

待っていたが、一向に人が集まってくる気配を感じない。

午前中に、青竹の鳥居を立てて、午後一番に神事をされる。

そう、思って待っていたが、誰一人現れない。

社殿裏を見れば、数本の玉串幣を捨てていた。



付近には洗い米も散乱している。

この状態に、行事は終わっている、と判断した。

で、あれば集落に住まいするどなたかのお家に訪ねるしかない。



参道筋に出たところのお家の呼び鈴を押す。

奥から出てこられた男性に、立ち寄った主旨を伝えて教えを乞うた男性は、前総代のT氏。

垣内総代の任期は2年。

今年は役を離れたが、「サンノミヤサン」行事は午前中に終わったと聞いている。

詳しいことなら、現総代に聞いたほうがよいだろうと、垣内住まいのKさんを紹介してくださった。

呼び鈴を押したら屋内から出てこられた。

要件を伝えて今日の行事を伺う。

この日は、都合で午前11時から始まった。

今から2時間前に終わった「サンノミヤサン」。

直会の場は、一の鳥居手前にある百壽司。

ついさっきに終わったばかりの会食。

お家に戻ってゆっくりしていた、という昭和30年生まれのKさんが話してくださる。

八坂神社の“犬”は、多産だからお産に良いと云われている。

“犬”に跨ったら、安産になると伝わっている。

そのことを、息子さんのお嫁さんに話した。

神社に連れていって、「そこに跨ったら、えーで」と言われたお嫁さんは“犬”に跨った。

跨ぐ日は、特に決まりはない。

他人さんに見られないように、こっそり跨ぐ。

呪文もなく、ただ跨ぐだけで安産が叶うご利益さん。

不思議なことに、無事、安産で生まれてきた、という。

生まれた孫は、元気に育ってもうじき1歳になるそうだ。

かつては、安産に願掛けした人たちは座小屋の壁に願掛け札をかけていたが、今は屋内に飾って並べている、という。

青竹の鳥居は、前日にK家の裏山から伐りだした孟宗竹で作った。

行事当日は、朝からみなが集まって鳥居造り。

大字岡の垣内戸数は20。

多くの人たちが集まって作業する。

鳥居を立てたころにやってくる飛鳥坐神社の飛鳥宮司が神事を行う。

そして直会、ということだった。

先ほどまで八坂神社境内にいたが、“犬”は、どこにあるのですか、と聞けば案内してあげると連れてってくださった。



石段を登った境内。

辺りを見渡しても“犬”の存在がわからない。

とことこ歩いてここだと示すKさん。

おもむろに跨って、「こういう感じに腰掛ける」のだと・・。



まさか、と思った石造りの安産“犬”。

青竹で作った鳥居ばかりに気を取られて、その下にあったとは・・。

いわれてはじめてわかった安産“犬”の石造である。

安産願い、つまり子宝願いは、今年の4月25日に訪れた明日香村川原の小山田に住む女性も話してくれた。

小山田の地に鎮座する弁天社を探していた。

弁天社は見つからず、あったのは宗像神社だった。

実は、宗像神社は弁天社とも称していた。

神仏習合の際、弁財天は、女神・宗像神と考えられたことによるそうだが・・。

場所を訪ねた女性が話してくれた子宝。

ここ小山田に嫁入りしたときのこと。

女性の出里は、吉野町寄りの大淀町の生まれ。

その出里の神さんは男の神さん。

男の神さんに子宝願いの願かけをすると、女の子が生まれるといわれていたが、実際は2人とも男の子だった。

弁天さんに願っても叶えてくれなかった子宝願いであった。

ところ場所は明日香村でなく旧月ケ瀬村の月瀬にあった安産祈願の印し。

山の神の所在地探しにたまたま見つかった旧松福寺地蔵菩薩に願いを込めた奉納安産祈願である。

子安地蔵とも称されている地蔵菩薩に奉納する形は布で象った乳房であった。

FB知人のM氏が伝えてくださった淡路島・枯木神社の事例

7月の土用入りの丑の日。

夏まつりの宵宮に、満ち潮を浴びの肌襦袢の女性。

薄い襦袢が海風に煽られて腰巻姿が・・・。

腰掛ける石は10個くらいの子宝石。

満ち潮に子宝石を重ねた子宝の願い。

子宝石は“犬”型石ではないが、現代には見られない子宝願望の習俗例として挙げておく。

ネット探しに見つかった吉野町・吉野水分神社の事例にたくさんの立体乳房型絵馬や母乳を絞る絵馬がある。

富山の天王さんこと日枝神社の安産祈願は、水天宮の子宝犬

形態は母子犬の石像であるが、直接触れることなく、その周りに置いてある“十二支”の印し。

自分自身の“十二支”を探し出し、例えば戌年であれば、“戌”の石を撫でるという形式である。

ただ、願いを叶えていただきたい参拝日は“戌”の日。

また、東京・日本橋にある東京水天宮も、同等の安産祈願がある。

事例はもっと多くあると、推定するが、ここ明日香村の岡の産の宮さんのような犬の石造に跨るケースはまずないだろう、と思う。

サンノミヤサンの聞き取りを終えてから立ち寄った飛鳥坐神社。

前年に取材した夏越し大祓いと上(かむら)のハッコウサン行事写真をさしあげたく立ち寄った。

そこで伺った、サンノミヤサン以外の日程である。

何かの折に取材させていただきたく、事前確認である。

本日に予定していた午後の行事は、明日香村大字真弓の地之窪・櫛玉命神社に。

越(こし)の許世都比古命(こせつひこのみこと)神社行事は、先週に済ませた、という。

いずれも夏祭りの行事。

真弓は夕方5時。

5基の高張提灯に火を灯す夏祭りは、別名に蒟蒻座と称する。

許世都比古命(こせつひこのみこと)神社は、炊いた蚕豆(フクマメ)を供えるようだ。

また機会を設けて取材したい行事である。

(H30. 7.14 SB932SH撮影)
(H30. 7.14 EOS7D撮影)